(3)
どうやら、シンパシィは涼子といっしょにいる間に、例の「えーあいえっくす!」から自己紹介をして、全部を話してしまったらしい。
特に口止めしているわけではなかったからやむを得ないが、なんといってもあまりに突拍子もない話だ。だが、涼子はすんなりとそれを受け入れているようだった。
「最初は、なんかのごっこかなぁっておもったんだけど、あんまりにも具体的にしーちゃん話すから。でも、見た目ではなぁんにも変わんないふつうの女の子だし、別にいいかなって」
涼子も今日はこの講義で終わりだと言った。そしてシンパシィがあまりにも涼子になついていることから途中まで一緒に帰ることにした。
彼女の家は知らないが、とにかく駅のほうということだった。
シンパシィは「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とうれしそうに涼子の手をにぎっている。耕平からすれば都合のいいことではある。できれば、これからこの講義のたびにあずかってもらえればとの下心もあり、ちょっと川澄さんとの距離はツメといたほうがいいかなとも考える。
大学の校舎の、高い塀の横の狭い歩道を歩く。向かいから自転車が走ってきた。塀際に三人はよけて、また日差しの中を歩き出す。
夏の日差し。太陽は三人を容赦なく照らしている。涼子とシンパシィの速度に合わせて、耕平もゆっくり歩く。
「おれもさ、実はまだ信じられないんだけど、ほんとらしい。なんかさ、内定した会社の新製品で、運用試験って」
耕平は前からの歩行者をよける。涼子とシンパシィから少し距離ができて、早足で近づいてまた続ける。
「来年の三月までおれんところであずかることになった、みたい」
「そっか、それで出身地はマヤ、なのね」
くすくすとおかしそうに笑って涼子はシンパシィを見た。シンパシィは不安げに彼女をみあげる。
「あの、しーちゃん、なんか変なこと言いましたか?」
「ううん、そんなことないのよ。しーちゃんってかわいいねって話してたの」
「…えへへ」
照れくさそうに、でもうれしそうにシンパシィは「お姉ちゃん、お姉ちゃん」とまた繰り返して涼子の手を引き始める。
「あのさ」耕平は涼子に聞く。
「なに?」
「あのさ、でもロボットだって話、よく信じたね。おれもまだ信じられないのに。というか、そんなにさらっと仲良くなってくれるのもなんか、びっくりなんだけど」
「だってしーちゃん、とってもいい子だもの。ロボットかどうかよりも、もう仲良しさんだし。それに、それをいうなら、惣領くんも」
涼子はなんだか楽しそうだ。
「惣領君も、お兄ちゃんかなんかみたい。ふつうに彼女と接してるじゃない。それと同じよ。たいしたことじゃないわ」
踏切のところまで来た。警報は鳴ってない。そのまま涼子の手を引こうとするシンパシィを涼子はその手を優しく引き、しゃがみこんでいう。
「あのね、しーちゃん、踏切わたるときは右と左をよく見てからわたろうね。電車が来てるとあぶないから」
その光景を、なんかいいな、と耕平は思う。
初めて知った。涼子の家は、耕平の通学路である商店街で酒屋だった。
踏切をわたってしばらく歩き、「ここ、あたしの家」と彼女は立ち止まり、耕平は「えー、すごい近所じゃん、おれんちと」と驚いた。
大学のある、大きなビルが建ち並ぶ駅の反対側と違ってこちらは昔からの小さな商店で構成された商店街だ。涼子はシンパシィの手を離した。
「じゃぁ、しーちゃん、またね」
「え?お姉ちゃん、おうちに行かないんですか?」
シンパシィは、どういう理由なのか耕平と、そしていまや「お父さんたち」の詰めているアパートまで涼子が来るものだとおもっていたらしい。もしかするとシンパシィにはまだ、それぞれ人が住まいを別に暮らしているという認識が薄いのかもしれなかった。
涼子はしゃがみ、シンパシィに話す。
「そうねぇ、また今度、かな? お姉ちゃん、お店のお手伝いがあるからね。またね」
「うちからもお姉ちゃんち、ちかいから、また遊びに来ようよ、だから、今日は、な」
数日前までならともかく、耕平としては、今は間違っても涼子に来てほしくない。
昨夜の宴会で散々問いつめられたのは、「おまえ、彼女はいるのか?」だったからだ。「ええいますよ、何人か」と、酒も入って調子のいい返事をした耕平は、計測器がつみあげられた中で集団からプロレス技の応酬をうけた。
がっちりと技をきめられ動けない耕平に、あまり酒に強くない尾津が真っ赤な顔でくどくどと繰り返し説教していた
「耕平、ふざけんな。コロス。というか、おまえが女連れで歩いているのでも発見したら、その場でコロス」。
「言ってやってください!言ってやってくださいよ尾津さん!おれら死ぬ思いで設計してるのに!」と、他の設計メンバーがはやしたてた。そのときはメカ設計の岩本のコブラツイストだった。岩本はおそらく、容赦なく締めていた。
設計課のメンバーは、尾津と八盾が30代である以外は皆から「老師」と呼ばれているメカ設計の老人一名をのぞいてみな20代後半だった。そのこともあり酒の力も借りてあっというまにうちとけた後だったが、あの「コロス」の連呼は耕平の耳に残っている。
まさか本当に殺されはしないだろうが、何が起こるかわからない。素面の時はともかく、次に呑むときにコロされるかもしれない。このペースでいけば、それは今夜だ。
だが、そんなことを耕平が思っているとはシンパシィにはわからない。
「いい子にするので、仲良くしてください」
嫌われたのかと心配そうに彼女は耕平を見上げ、そして涼子を見た。少し極端な想像をシンパシィがしていることを意識し耕平と涼子は顔を見合わせ、そして涼子がシンパシィに言った。
「あのね、しーちゃん、お姉ちゃんとしーちゃんはもう仲良しよ。んー、困ったわね。お父さんに言って、手伝いの時間ちょっとあとにしてもらおうかしら」
「あ、いや、川澄さん、それはその、おれが困る」
そんなことをやっているうちに店から怒鳴り声が飛んだ。太く勢いのある声だったが、妙に遠いところから聞こえる。店の奥かららしい。
「おまえら!商売の邪魔だ!なにやっとるか!」
「あら、お父さんだわ。ちょっとまっててね」
その怒号を特に気にせず「いつものことなの」というように澄子はただいま、と店の中に消えていった。
シンパシィはびくつき、耕平はとりあえず店の前からどいた方がいいのかもとおもったが、涼子の「待ってて」のあとでは動くわけにもいかない。困ったなぁと、耕平はシンパシィの前にしゃがみ、もう一度言う。
「なぁ、シンパシィ、お姉ちゃんを困らしちゃいけないって。今日はさ、おうちにかえろう。な」
「だって、仲良しさんになったんです」シンパシィはすでに涙目だ。
耕平は改めて思う。本当に彼女、ロボットなのか?ありえないんだが、これ。
ちょっと感情の起伏がオーバーなところはあるけど。泣きそうになって顔を赤くして、日差しと不安にうっすらと汗までかいているシンパシィ。耕平はその頭をなでてやりながら、根気強く言った。
「でもさ、お姉ちゃんにも都合があるんだって。きっと。で、おれも」
耕平が、あまりにも悲しそうなシンパシィをどう説得する者か悩みつつ、彼女の前にしゃがみこんだとき、涼子が店から出てきた。さっきまでのワンピースの上から店のエプロンをつけて、つっかけ履き。二人の様子をみて、にっこり笑った。
「あ、惣領くん、しーちゃん、よかったら冷たいものとか出すけど、あがっていく?今日、そんな忙しくないみたいだし大丈夫だよ」
「お姉ちゃん!」
シンパシィはぴょんと涼子に抱きついた。
これは少しあがらせてもらうしかなさそうだと耕平は観念した。
数日前から続く自分ではどうにもならないことがまた増えた。さっきの怒鳴り声の親父がなかにいるのはわかっているが、このままではシンパシィは家に帰ってくれそうにない。しょうがない。立ち上がる。
「悪いね、川澄さん。じゃぁちょっとだけ」
そう言った頃には、すでにシンパシィと涼子は店の中に入っていた。
からからと涼子のつっかけの音が軽く店に響いていた。
この瞬間、耕平のバブル学生としての時間が完全に終わりを告げたことを、まだ耕平はわからずにいた。