(2)
その後、尾津は眠り込んでいたシンパシィをだきかかえ、「やだ、おとうさんたちとおはなしします」と寝ぼけるように駄々をこねる彼女をぶち抜いた隣室に敷いてある宿直用布団に寝かしつけて作業台に戻った。
耕平が最初よりはいくぶんかは態度の柔らかくなった尾津と、またもや高速で動き始めた八盾に自己紹介と、尾津と八盾に求められて自分の生活のパターンを話し始めた頃、夕方5時ごろに他のエンジニアたちも「お疲れさんです!」と到着した。
のこりの機材の搬入をどたばたとはじめ、だが、尾津の「シンパシィ寝てんだぞ、こらぁ!」の小声での一括に「すんません!」とやはり小声で返事をし、今度は忍び足で搬入を続けた。
耕平も初日から見事に手伝わされた。手伝いながら挨拶を交わした。
「お、あんたが惣領くん? おれ岩本。メカ設計担当」
「なーんかたよんないなぁ、おまえ。腰いれろよコシ!あ、電気の林」
「ソフト坪倉です。よろしくね。あ、あっちの大箱もってきてよー」
「電気川村。ちょっと、おまえ邪魔」
「あ、はい、惣領です。あ、よろしくお願いします。惣領耕平です」
小声で名乗り続け、できるだけ静かに機材の梱包を解く。運ぶ荷物はどれも重く、梱包を開けると箱の大きさのわりに中は緩衝材が多く、その中心には決まって耕平には不思議な機器が入っていた。
尾津と八盾はその間に買い出しにゆき、大量の酒とつまみを買い込んできていた。さらに全員で据え付け作業を行い、途中でシンパシィも起き出してきて手伝った。
全部すんだころには夜11時を回っていた。
その後、そのまま宴会に突入し、耕平は強烈に呑まされた。
そしてさらに土日も呑まされた。作業台をテーブルにした宴会だった。
そして今日。月曜日。
悪い酔いは残っていないが、耕平はのんびりとはしていられない。
今日は講義に出ないといけない。出席するだけで単位がくると学生に好評の高橋の日本語論だった。卒論なんて面倒なものに関わりたくない耕平は卒論が必須ではないゼミに加入して、その分の単位は楽勝講義をとることで単位数に充当していた。故に、とにかく出席する必要があった。
耕平のアパートは大学から歩いて20分程度。坂の多いこの街でその道のりはかなり平坦な方だったが、多少の傾斜はある。
昨夜の宴会で、八盾が酔っぱらって言っていた。
「一応さ、僕ら下見はしたんだよね。僕らの大事なシンパシィをあずけるんだから、耕平くんの登下校ルートはもう知ってるわけよ。いやよかったよかった。この程度の上り下りだったらシンパシィのアクチュエータにもそんなに負担はかけないね」
つまり、これからの学校生活にもシンパシィを連れて行かなくてはいけないらしい。
おぼろげな記憶だが、「大丈夫ですよ、おれが彼女を一人前にしてみせます!」とか、叫んだ記憶もある。学校に連れて行く約束もした気がする。
とにかく、行くしかない。
「じゃぁ、シンパシィ、行くよ」
必要な教科書と筆記用具を入れたブランドもののバッグを肩からかけて、玄関先で靴を履いて、耕平はシンパシィに言った。
玄関先で妙に気合いの入った顔で彼を見上げているシンパシィ。昨日買い込んできた彼女用の服から淡いピンクのブラウスと紺のスカート。男ばかりで選んでいるからセンスは今ひとつよくない。だが、おろしたての服で彼女はうれしそうだ。
おかっぱの髪を振って、耕平のほうを見上げてシンパシィは気合いを入れて言った。
「はい!がんばります!」
「いやそんな、がんばらなくても」
それにしても思えばかなり困った状況だ。
一応保険もかけていくつか楽勝科目を登録してある。だがこんな女の子を連れて講義に出ているとなればある程度人目も引くだろう。教官によってはいろいろ言うかもしれない。だが、拒否することはできない。
これには、おれの内定がかかってるんだから。
そう思うとなんとなく、まぁしかたがないという気持ちを奮い起こすこともできる。とにかく、彼女を連れて学校に向かった。
アパート前の公園を突っ切る。
母親と子供とベビーカーの群れを抜けた。小さな女の子の手を引く自分に、彼女らの視線が向いている気がして耕平は少し早足になった。公園を出て、左に曲がり商店街に入ってさらに左。そこを抜ければ駅。だが電車には乗らず、踏切をわたりバスロータリーの横を抜け、10分ほど歩くと左手に高い塀とその奥の緑が増え、校門が見える。いつもと同じ風景。
だが、昨日と違うのは女の子の手を引いている自分だ。しかも、その手は柔らかくて小さくて、こんなに暖かいのに彼女はマシンだという。
シンパシィはここ数日の外出でもそうであったように、いろんなものがめずらしいらしくきょろきょろと見回している。特に大学近くまで来ると耕平と同年代の者が一斉に同じ方向に向かって歩く風景に「うわー」と声を上げた。
この三日、耕平は素面で、あるいは呑みながらいろいろと注意事項を聞いた。
特に日常生活で気にすることはない。ただ、彼女は食事ができない。トイレにもいかない。もし彼女にマシントラブルがおこれば、「俺たちがかけつける。キミはなにもすることはない。24時間体制でおれらがシステム監視している」と尾津が言っていた。どういう方法でなのかはわからないが、とにかく耕平は彼女をいつもの生活につれて歩けばいい。
それだけだ。だから平気だ。
そんなことをおもいつつ校門をくぐる。おかっぱ頭の、小学生風の女の子といっしょに。
教室につくと、いつもと変わらない雰囲気。
講義が始まるのを待つ学生達が騒がしく溜まっている。シンパシィはなにもかもめずらしがり見回している。
本当は目に入ったものについてひとつひとつ耕平に聞きたい彼女だったが、家を出る前の「今日はとにかくおとなしくしていてくれ」という約束を守っていた。
この講義をとっているのはほとんどが単位取得にしか興味のない、逆に言えば授業内容にはまったく興味のない学生ばかりだ。あちこちでコンパの店の予約がどうとか、四年生らしき学生は、どこの会社に内定をもらって、これから遊び放題だとかそんな話ばかり。
耕平は、いつもの指定席である一番うしろの出口に近い席に座る。シンパシィも隣に座らせた。いつも通りなら、席が足りなくなることもないだろうから問題ないだろうと耕平は思う。
もうすぐ講義がはじまる。
きょろきょろと周りを見回しつづけるシンパシィは、やはりかなり目立つようだ。席についていつも通り一応形だけノートと筆記用具をだす耕平の耳にも「あの女の子」「なに?」「自分の子?」という言葉や小さな笑い声が聞こえる。だが話しかけるものはいない。
そんなに親しいやつもいない講義だし、まぁ、いいか、と耕平は聞こえる言葉はすべて無視することにした。だが、そんな中、ふいに声がかけられた。
「惣領くん、あのさ」
耕平がそちらを向くと、けばけばしい化粧と強い香水の匂い。だらしない笑顔。
あ、あの女だ、なんていったっけ?覚えちゃいないが。
「惣領くん、ごめんね、こないだ、おもいっきりあたし寝ちゃっててさー。で、これカバン、わすれてったでしょ?」
どさ、と机の上に、耕平が彼女の部屋に置き忘れていったバッグが雑に置かれた。未だに名前を思い出せないその女に、適当に耕平は返事をする。
「あ、あぁ、ありがとう。この講義とってたんだっけ?」
「うん。ていうか、ひどいよー。話したじゃない。惣領くんがこの講義にいるの、こっちは知ってるっていうのにー」
「あ、いやごめん。かなり酔ってたかも。でも助かったよ」
「でさぁ、で、この子は惣領くんが連れてきてるの?」
彼女の視線の先には、もちろんシンパシィ。教室のなかのいくつかの意識が、ぐっと自分に寄せられたのがわかる。耕平の返答をにやにやとした感覚で聞き逃すまいとしているようだ。
やっぱり不自然だよな、と耕平は思いつつ返答する。思いつくままに、適当に。
「あ、あぁ、その、親戚の子でさ、なんか大学みたいっていうから」
「ふうん、そうなの、ふうううん」
信じるとかそういうことではなく、単純におもしろがっているらしい。
「そっかぁ、てっきり惣領くんの娘さんかとおもっちゃったぁ、あははは」
脳天気にあまり品のない調子で笑う女は、シンパシィに「お嬢ちゃん、お名前は?」と聞く。耕平と彼女の会話を興味津々で聞きつつ、耕平の返答が事実と違うことを訂正しようとしたシンパシィだったが、直接自分に話しかけられたことがうれしく、自分の出番だ!と勢い込んで返答する。大きな声で、元気よく。
「えーあいえっくすたいぷぜろぜろ!シンパシィです!」
うわっ!と耕平はあせるが後の祭りだった。
「え?」
「あ、いや、その」
耕平は「やっちゃったよ!」とたじろぎあわてる。女はイメージしていた返答の音の並びとあまりに違った言葉に、「あたし、子供好きなんだ」というアピールの笑顔のままで固まってしまっている。
シンパシィからすれば、その二人の様子は自分がうまく自己紹介できなかったのかもしれないふうに見えた。あんなに練習したのに。もう一回!
「えーあいえっくす!」
「ち、ちがうんだ、その、この子は、「しーちゃん」で、はは、なんかさ、昨日みたアニメかなにかのごっこをやってんだよね。はは」
「そうなんだ。しーちゃんねぇ。あのねお姉ちゃんは」
いきなりこれかよ、と事態の収拾に頭を巡らせる耕平の視界の端に教壇に近づく教授の姿が入った。逃げるように、言う。
「高橋、高橋来たよ」
助かった。耕平は教壇にあがった神経質そうな白髪の男を目でさして彼女に言う。
「あ。ほんとだ。じゃぁ惣領くん、後でね」
そして、彼女は去り際にこっそり耕平に耳打ちする。
「あのさ、こないだの、中に出してたから、なんかあったらお願いね」
え?とびっくりして彼女の方を向くと、手をひらひらさせながら机の間を縫って離れる後ろ姿だけがみえた。さっきまで耕平達にまとわりついていた周りの視線や意識も、とっくに興味をなくしてどこかに消えていた。
講義が始まる。
いつも通り、眠い。
他言語との違いを成立の過程から追うと、などと話す講義内容。おそらく誰も聞いていない。私語をしないで座っていれば単位がくるのだ。それを邪魔するものもいない。
だが始まってしばらくすぎたころ耕平の眠気は飛ばされた。
高橋がシンパシィに気づいた。
「ちょっと、そこの子供は、どうしたの?保護者のひと、いるの?」
「はい、僕ですが」
耕平が手を挙げる。しかたない、適当に言い訳するか。だが、高橋は厳しく言う。
「キミも、だれだっけ。その子邪魔しないからいいといってやりたいところだけど、その子はうちの学生かね?僕の講義に、飛び級の生徒は登録されていないんだが」
「いや、そうではないんですが」
「じゃぁだれかにあずかっていてもらったほうがいいんじゃないか? キミは、講義を受ける気がある学生なのか? そうじゃないのなら、キミごと出て行ってもらうしかないんだが」
手入れしていない白髪頭をいらいらと降りながら、高橋はいやみな口調で言った。彼は子供嫌いだった。自分が気分よく一方的に話している中に、いつ騒ぎ出すかもしれない子供がいることは特に嫌う。それを知らない耕平はいいわけを続ける。
「いや、親戚の子をあずかることになったので、しかたなくつれてきました」
「キミの事情はしらないよ。とにかく、その子をここから出して。そのうち迷惑になる」
「はぁ。その」
どのような理由も通じないであろうことを悟った耕平は、だがこの講義を途中で出たら即単位がこなくなることも知っている。どうしたものか。
困った耕平はシンパシィのほうをみる。彼女は「初対面の人にはとにかく笑顔」と事前に社内で教えられたことを実行しつつ、同時に自分が邪魔者あつかいされていることもわかって泣き笑いのような顔になっていた。
教室内は、みな無言なのは変わらないが全員の注意が彼女に向かっている。その威圧感もあるのだろう。だが、一人でほうりだすわけにもいかない。
しょうがない、この授業は切るか。
なんとかなるだろう。
観念して、じゃぁいいです、出ます、と耕平が言おうとした瞬間、前の席の女生徒がひかえめな雰囲気で振り返って、小声で耕平に声をかけた。
「あの、惣領君、もし迷惑じゃなかったらその子、教室を出たところでしばらくあたし、あずかっててもいいですよ」
何回かノートを借りたことのある女だった。確か、川澄涼子。
地味なおとなしい存在で、何度かコンパにさそっても来なかった。セミロングの髪と、淡いブルーのワンピース。
助かった、と耕平はほっとする。彼女なら大丈夫だろう。まぁなにかあっても「システム監視」しているというし。同じく小声で返答する。
「助かる!じゃぁお願いできるかな。この子、ちょっとおかしな事言うかもしれないけど。でも、川澄さん、いいの? この講義は」
「うん、あたしもう卒業単位足りてるし、この講義、あまり面白くないしね」
涼子はこっそりと言い、柔らかく微笑んだ。そして、シンパシィのほうに顔を向けた。
じゃぁ、お姉ちゃんとちょっとまってよっか、と彼女はにっこり笑ってシンパシィに話しかけた。誰とも仲良く、と、これも事前に社内で教えられていたシンパシィだったが、それ以上にこの高い威圧感の中で優しくしてくれたことがうれしかったのだろう。素直に、うんとうなずいた。
壇上でいらつき、怒鳴り出しそうな高橋を意識して涼子は手早く布製のトートバッグに机の上のものをしまって、立ち上がり、妙に中腰になることもなく、にこやかに座ったままのシンパシィに手をさしのべた。耕平は「ありがとう!」と、小声で礼を言った上でシンパシィに「じゃぁ、しばらくあのお姉ちゃんに遊んでてもらいな」と言った。
シンパシィは、うん、とうれしそうに笑い、涼子の手を取り立ち上がり、さっきの涼子の同じように高橋にぴょこんとお辞儀をした。
教室中の学生の注目と、高橋の嫌みな視線を気にすることもなく堂々と涼子はシンパシィの手を引き、からからと引き戸のドアを静かに開け閉めして出て行った。
ふん、と高橋が最初からそうすればいいんだ、と表情で言って、鼻を鳴らし、まるで一時停止ボタンを解除したテープレコーダーのように講義内容を再開した。。
教室中の意識は一瞬で事件に飽きて、耕平の周辺からフォーカスをはずす。
何事もなかったかのように高橋は講義をつづけた。眠い内容のまま。
講義が終わった。さっきの出入り口から耕平が廊下に出ると、そのすぐ前で涼子とシンパシィが待っていた。
この短い時間になにがあったのか、すっかり二人は仲良くなっているようだった。
二人でなにやら楽しそうに話している。比較的背の高い涼子は、シンパシィの前にしゃがみこんで手をつなぎ、目線を合わして話していた。近づく耕平にも気づかない。
耕平は話しかけた。
「川澄さん、助かったよ。ありがとう」
あ、惣領くん、と気づきにっこりする涼子。シンパシィは「おかえりなさーい」とうれしそうに耕平を向き言ったが涼子との手を離さない。涼子も楽しそうだ。
「ううん、あたし子供好きだし、なんかあのときこの子、かわいそうだったから、いいの」
「ありがとう。おかげで卒業できそうだよ」
いつもなら、よかったらお茶いかない?と女性にはほぼ見境なく声をかける耕平だが、授業がはじまるまえの「中に出した」話と、なにより涼子の清潔な感じがそれを言わせなかった。
「じゃぁ、そういうことで。おれ、もう今日はこれで上がりだから」
「あの、惣領くん」
じゃぁ、とシンパシィの手を取って帰ろうとする耕平に、涼子はまるで、それはどうということもないのだけど一応、という風に聞いた。
「あの、しーちゃんから聞いたんだけど、しーちゃん、ロボットだって、ほんと?」
耕平の中に、「あー・・・」という言葉が力なく響いた。