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 音琴の話は、つまりこういうことだった。

 現在、マヤでは社史始まって以来の大プロジェクトが進行している。

 その中枢がMR事業準備室。プロジェクト名は「シンパシィ・プロジェクト」。略称SP-PJ。マヤの持つ全ての技術を結集して進められている。

 すでに50年以上昔、戦後の焼け跡で起業され、今では電機を中心として映画、音楽も含み様々な業種において「世界の」と呼ばれるまでになった多国籍企業マヤだが、今、非常に大きな悩みをかかえている。それが、このプロジェクトを始めた理由だ。

 すでに家庭用電化製品は市場の隅々にまで行き渡っている。そしてマヤを含む国内電機メーカー各社の技術力も既存の製品カテゴリーにおいては完全に拮抗した状態にある。市場では未だマヤの得意分野であり技術的に先行しているとされるAV製品や小型化技術においても、社内の認識としてはすでに他社と大きな差はないと考えられている。そしてそれは、現実だ。

 従来のままの、あるいは、その延長線上でしかないビジネスを継続していれば、競争の中で利益も圧迫されつづけてゆく。巨大化した会社の構造自体も疲弊してゆくだけとなる。何か、全く新しい製品分野を開拓してゆく以外に、これを打破する方策はない。

 いずれは来ることが予測されていた事態であり、そして、それが到来していることをマヤの上層部は強く認識していた。可及的速やかに、これまでの家電とは違う全く新しい製品カテゴリーでのビジネスを速やかに立ち上げる必要がある。

 失敗すれば、マヤは他社に完全に追いつかれる。

 成熟した市場にしがみつきながら追う立場にならざるを得ない。

 売上げは下がり、そこでの開発投資はさらに経営状態を悪化させるだろう。

 そうなれば、工場の運用を初めとした事業規模の一時縮小すらあり得る。大量の解雇者を出す可能性もある。それは何としても避けなければらない。

 そしてこのことは、西王電産、フォルテ製作所、要南等のライバル各社にしても各社ごとの事情はあれ結果としては同じであった。そ

 れぞれが持つ得意分野において同様の悩みを抱えている。つまりこれは、電機産業そのものが抱える構造的な悩みだった。製品が一般化して充分行き渡れば、当然起こる事態だ。

 さらに、産業自体の監督官庁である通産省は、さらに高い視点から問題を認識していた。

 仮に、それがどこであれ国内企業が新カテゴリーの開発と市場導入に成功するのならば、まだ問題は各企業レベルの事で済む。

 だが仮に、他国の企業が新しいカテゴリーで主導的立場を握れば、これは国家として産業全体が衰退することにもなりえる。

 莫大な特許料を請求され、購入しなければ製造できない部品を握られてしまえば、それは同一国内に多数の世界的電機メーカーを抱える日本国全体の問題に発展しかねない。

 そうなれば、事は各社の業績というレベルを超える。

 日本は、国家としての利益を損ない続けることになる。

 それは何としても避けなければならない。故に、すでに数年前から通産省は各大手電機メーカーのトップに対してある提案を行い、極秘での議論と、その結果明確になった目標への各社の努力が始まっていた。

 内容としては、過去において自動車や、従来の電化製品がそうであったように、新しく日本の主な輸出品目に加わる事業領域を興すこと。

 それは、これまで蓄積した日本の技術力や文化をもって数十年は他国に追いつかれない、まねのできないものとして「Made in Japan」を誇れるものでなくてはいけない。

 具体的には、汎用のヒト型ロボット。アンドロイドの製品化が提案された。

 マヤではすでに試作に成功。運用実験に入ろうとしている。

 試作アンドロイドのクオリティは極めて高く、小型化にも成功した。

 9歳程度の女性型だ。

 「はぁ?!」

 そこまで聞いた耕平は、素で妙な声をあげた。

 すでに同様の話を社内で繰り返しているからか、立て板に水で気持ちよく話していた音琴は、話の腰を折られてむっとした。

「なに? なにか納得できないところでもあったの?」

「いえ、そうじゃなくて。非常に興味深いお話ではあるんですが、……でも、気づかないふりもやってらんないんで」

 耕平は音琴の方をみて、一息置いて、そして続けた。

「つまり、この「シンパシィ」って子が、その試作ってヤツなんですか?」

「シンパシィ、「ヤツ」じゃないです」

 マーブル模様でいっぱいのグラス越しに、シンパシィが悲しそうな顔に無理に笑顔を混ぜつつ、両手をひざに乗せて大きな声で言った。

「えーあいえっくす、たいぷぜろぜろ、シンパシィです!はじめまして!」

 そしてそのまま、座ったままの姿勢でぺこりと大きくおじぎをした。

 が、その頭に目の前のグラスがぶつかり、派手な音をたてて倒れた。

 テーブルの上に緑と白の模様が大きくひろがる。

「あ、あ、あ、ごめんなさい!」

「あああ、頭、大丈夫?切ってない?」

 耕平は素早くグラスを立て、おろおろするシンパシィの頭に傷がないことを確かめた後、音で事態に気づいたウェイトレスに声をかけがてら謝った。

「ごめん、平山さん、やっちゃったよ」

 耕平は、日頃からこの喫茶店にはよく来ている。ウェイトレスの平山も顔馴染みだが、こんなことはもちろん初めてだった。さっと近づいた平山が手早く大量のティッシュでテーブルと床をふいて言った。

「いいですよいいですよ。お嬢ちゃん大丈夫だった? あら、お洋服にこぼれちゃったわねぇ。ちょっとまっててね」

「すいませんすいません、あの、すいません」

 ひたすらあやまりつづけて、涙すらうかべるシンパシィ。

「大丈夫だよ。ここはよく来るとこだから。さっきのお姉さんもよく知ってる人だから」

 よくわからない根拠でなぐさめようとする耕平。

 その二人の様子を見て、音琴は反射的にクリームソーダの洪水をよける姿勢をとっていたが座り直し、言った。

「そうね、耕平君、その調子で半年間預かってくれるとありがたいわ。もしあなたが、今、私たちに対して内定前のノリで、点数稼ぎのために彼女に優しくしているのでないとしたら、その態度で合格です」

「ちょ、ちょっとまってくださいよ。合格とか、点数稼ぎとか。この子、グラスに頭突きしたんですよ。普通心配でしょう!」

 なに言ってるんだ、この女。これが普通だろうが。

 耕平は思い、言葉を続ける。

「それに、なんかのテストなんだったらそろそろ言ってください。大体いくらなんでも、こんな女の子つれてきて「実はロボットなの」ってのは」

 ストップ、というように音琴が無言で右手を広げ、ぴたっと耕平の顔に向けた。

 一旦離れた平山が、今度は濡らして堅く絞ったタオルと台拭き、小さな赤いポリバケツをもって来た。彼女はテーブルの上でクリームソーダを吸ったティッシュを手早くバケツに入れた後、シンパシィのイスの脇にしゃがみ込んだ。

「お嬢ちゃん。少し、動かないでね」

 スカートにべっとりついたクリームソーダを平山に拭いてもらうシンパシィ。

 彼女のその姿、しょんぼりうつむいた顔のおでこにグラスの縁の形をそのまま三日月型に赤く浮かせた様子は、かわいらしい、その辺の女の子でしかない。少なくとも耕平にはそうとしか見えなかった。

 それに。

 それよりも、なんなんだよ。あんたら。

 耕平は憤りを感じていた。

 この子がグラスをひっくり返してから、音琴ってのはいきなり避けたまま動かないし、人事のオヤジは寝っぱなしだし。なんなんだよ。ロボットかどうかはしらんが、少しは心配してやれよ。

 シンパシィのスカートを濡れタオルで拭き終わり、テーブルをきれいにした平山は倒れたクリームソーダ作り直してくると言ったが、それには音琴が、もう出ますから、おかまいなく、とだけ返した。

 平山は音琴のクールな調子にそれ以上は何も言わず、シンパシィに優しく「お洋服、シミになっちゃうといけないから早めにお洗濯してもらってね」とだけ言ってテーブルから離れ、それを確認してから、音琴が言った。

「まぁ、いずれは知られることだし、この町でシンパシィが暮らすとなれば周りにも知っておいてもらった方がいいくらいだけど、まだちょっと早いしね」

 そして耕平の方を向き、さらに今度は少しおかしそうに続けた。

「それと、きっとあなた、今、この子にケガがないかくらい心配してやれよって思ってるでしょ?」

「……そりゃぁ、まぁ」

「でも、ごめんなさい。さっきは惣領耕平という人に私たちの大切なこの子を預けていいものか、見させてもらってたの。そうね、あなたは適任なのだと思う。優しいところも、それと、さっきの「なんだおまえら」って顔も」

「いえ、そこまでは思ってないんですけど、普通」

「そう、その「普通」っていう気持ちで半年間、彼女に接してあげてほしいの。それと彼女がアンドロイドだということは、正真正銘、本当です。これを見て」

 彼女は脇においていた小振りの書類カバンから、CDケースほどの薄さと大きさの、銀色の板きれを取り出した。

 指につまんだそれを耕平に見せて、これも機密に属します、と小声で言った。

 耕平のグラスをどけて作ったテーブルのスペースにその板を置くと、今度はその板を畳んであった折り紙のようにぱたぱたと広げる。四つ折りされていたものが広げられた上を、音琴は指で軽くなでた。すると音もなく、まるで紙に印字されたような高精細の文字があらわれる。

 そこには、こう表示されていた。


MAYA Confidential

汎用アンドロイド事業準備室

シンパシィプロジェクト


 音琴はさらに、別のところを指でなぞった。

 次々に、様々な内容が表示されてゆく。

 図面らしきもの、プログラムの構成図、システムの概要図や素材の化学式など。

 音琴は言葉を続けた。

「これは、本プロジェクトの技術的な内容です。でも、いま見てほしいのは内容じゃなくて、あなたの目の前のこの薄い板。これ、超薄型で折り曲げ可能な自発光フィルムディスプレイと、重多層の薄型チップ同士をダイレクトに組み合わせた基盤で構成されています。全体に充填されているゲル状燃料電池で連続9000時間の駆動が可能。そうね、パソコンっていえるのかしら。もっともっと進んでるけどね。」

 手元をみながら一気に話した音事は、一息ついて顔を上げ、耕平の目を見つめた。

「あなたが比較対象をどれほど知っているかわからないけれど、いまのパソコンとこれの比較をするなら、工場の産業用ロボットとシンパシィぐらいの差がある。いえ、シンパシィならもっと進んでいるわね」

 目の前のものがどんなにすごいかは、技術などわからない文化系学生の耕平にも理解できた。だが、それだけでは目の前の女の子をロボットだと思う理由にはならない。

 だから耕平は、あえてこう言ってみた。最初の音琴の話もふまえ、さらに音琴にしゃべらせるために。

「よくわかりませんが、すごいですね。さすが、マヤじゃないですか。他の会社なんかぜんぜんメじゃないんでしょ?」

「なに言ってるの。よそも、当然同じようなものを作れます。アンドロイドにしてもいずれは同じ事よ」

 お気楽ね、と音琴は思う。だが、まだ学生さんだ。しかたない。

「あのね、惣領耕平くん。理論的には、無限にお金をかけるか、無限に時間をかけるかすれば出来ないことなんて、何も無いの。しかもそれが量産を前提としない一品ものだったら、この理屈はそのまま現実です。この板っきれもそういう立場なの。だから、もし仮に製品化しても誰も買えない値段がつきます。しかも量産はまだ無理。だから、コストへの量産効果も期待できない。軍事用に少々出るくらいね。ばからしい」

 耕平は、黙って聞くしかなかった。

 音琴の言葉は、迫力と冷静な自信、そして誇りに満ちている。

 その様子のまま、彼女の言葉は続いた。

「その意味でシンパシィは、一品もの中の一品ものです。技術的にはこれ以上ないものができたの。でもね、それだけじゃ「よくできた人型」でしかない。きちんと人間社会に混じって、製品として存在し続けるには、いわゆる社会経験が必要だと私たちは判断しました。本に載っている常識やルールを守るだけではなく、惣領くんの言う「普通こうだろう」という感覚を学ばなくてはならない。こればっかりは、研究所でどんなにお金をかけても、所詮は限定された世界でつくった経験しかさせられない。そこが今回、あなたにお願いしたいところなんです」

 疑う余地を感じさせない熱と共に、音琴はぐっと耕平の瞳を見つめた。

「ぜひ、あなたに入社までの間あずかってほしい。その間、彼女関連でかかった費用はすべてマヤが持ちます。それこそ、クリームソーダのついた服のクリーニング代までね」

「わたしからもおねがいしますよ。惣領くん」

 いつのまにか、水守も起きて話を聞いていたらしい。いきなりの声にぎょっとして彼の方を向いた耕平に、にこやかに、

「まぁ、言ってみればね、君の入社は、我々としてはこのSPーPJに向けたものと考えていたからね。社史にも残るこのプロジェクトに参画できるなんて名誉なことだと思うが、それに協力できないとなると、ちょっとね、人事としても考えないといけないかもなぁ」

「ちょ、ちょっとまってくださいよ。それって」

「協力してくれるかしら?」

「最初から、拒否しているわけじゃない。そんな、脅迫するような事言わなくても、ちょっと考えさせてほしいだけです。それに、たとえば、彼女が本当に」

 耕平は声のトーンを少し下げた。左右をちら、と見る。

「……本当にロボットだとして、たとえば故障したときとか、どうすればいいんですか? そんな、風邪引いたら病院に行けばって訳でもないんでしょうし」

「その辺は大丈夫。あなたの部屋のおとなりに今日から、整備班としてうちの設計課が交代制で常駐することになったから」

 え?

「荷物、みたでしょ?」

 見た。

 あれがそうなのか、と引く耕平。激しく積み上がっていたダンボールの山を思い出す。

 その音琴の言葉に、不安げに彼らのやりとりを見ていたシンパシィの顔がぱっと明るくなった。

「お父さんたち、シンパシィと一緒なんですか?」

「そうよ、お父さんたちがシンパシィのこと放っておけるわけ無いもの。みんな一緒よ」

「うれしいです。ほんとは、シンパシィ、お父さんたちと離れたくなかったんです」

 なんだよ。つまり、おれにはもう拒否する権利もなければそういう状況でもないわけだ。

 とっくに準備はすすんでいるわけだし、と、耕平はその強引さにあきれた。

 音琴と水守はそんな耕平に更に畳みかけた。

「どう?来年の3月までです。引き受けてくれるかしら?」

「人事としても楽しみだね。入社前から養成されるエリート社員の今後が」

 もういいよ、わかったよ。

「もういいです! わかりました! 別に、おれはなんの準備もしてないですが、引き受けます。来年の三月まで、ですね」

「あ、ありがとうございます!」

 シンパシィは、イスに座りなおして、さっきの挨拶をまた繰り返した。

「え、えーあいえっくすたいぷぜろぜろシンパシィです!。はじめまして!」

 また座ったまま、思い切り頭をさげ、そのまま今度はテーブルにごん、と額を打ち付けた。

「いたいです」

 頭を上げたシンパシィと、あっけにとられている耕平。

 二人の眼が合った。

 恥ずかしそうに、えへへとシンパシィは笑い、耕平は言った。

「大丈夫かよ、あぁあ、赤くなってるし。って、くらくらしない?大丈夫?」

「はい、大丈夫です、あの、ごめんなさい」

 そうか、とほっとしたようににっこりする耕平と、照れくさそうなシンパシィ。

 そのやりとりをみて、音琴はくすくすとおかしそうに笑った。

「この子ね、昨日からこの挨拶の練習ばかりしていたのよ。よかったわね。シンパシィ、ちゃんとご挨拶できて」

「はい、がんばってお勉強してきます!」

「よくできました。それじゃぁ、耕平くん、今日、いまからだけど、お願いね」

 今からいきなりかよ!、と言おうとした耕平を封じるように、音琴と水守はイスを引き、席から立ち上がった。

「私たちは社に戻りますが、今日からシンパシィはあなたと一緒に暮らします。さっき話したけど、うちのエンジニア達があなたの部屋の隣に常駐しますから、これからのことは今夜にでも彼らからレクチャーを受けてください。もう来てるはずよ」

 今夜って、そんな、待ってくれよ。おれにも予定が。

 言おうとした耕平を、さらにシンパシィのにこにこが襲う。無限大にうれしそうな彼女を前に、今夜も約束があって、などとは言えなかった。

 じゃぁ、よろしくね、ここは払っておくからと立ち上がりテーブルの上のレシートをつまみレジに向かう音琴と、がんばってね、とにこやかに離れる水守。

 残ったシンパシィのにこにこに迫られて、耕平は今夜の約束とこれからの暮らし、残り単位の事が同時に頭に押し寄せてくるのを振り切った。

 まぁ、しょうがないか、なるようになるだろうしなと思い、とりあえず、その普通の女の子にしか見えない、未だに信じ切れていないがアンドロイドAIX-Tyoe00シンパシィに言った。

「こっちこそはじめまして。よろしくな。シンパシィ」

 おれ、どうなっちゃうんでしょ。

 耕平は、その心中を目の前の彼女、ロボットだという、どう見ても普通の小さな女の子にしか見えない「AIX-Type00 シンパシィ」に伝えたくなくて、笑顔をつくった。



 とりあえず、と、腹をくくりクラウドを出た耕平は、彼女をつれて一度家にもどることにした。

 頭が痛いのも気持ちが悪いのも、とっくにどこかに飛んでいってしまっている。治ったわけではないが、そんなことはもうどうでもいい。今日はもうどうでもいい。

 とりあえず、そうだ、とりあえずは帰ってそのエンジニアに話を聞こう。

 シンパシィをおいてけぼりにしない速度で歩き、それでも遅れそうになる彼女の手を引き、商店街を駅から離れるほうに少し歩き魚屋の脇道からまっすぐ歩く。

 さらに公園につきあたり、その中を突っ切って、アパートの前。

 遠目に自室のドアが見える。なにか大きな紙が貼ってある。

 近づいて、それがなにかわかった。

 彼の部屋、104号室のドアごと隠すような大きさの紙。その上には妙に達筆な、墨痕黒々とした巨大な筆文字でこうあった。

「祝 新羽椎様 御入居」

 とりあえず、猛烈な不安が耕平を襲った。


「なかなかの好青年じゃないか」

 クラウドの前でタクシーを拾い、その中で水守が満足そうに言った。さっきまでとはうってかわって、横柄な態度。車内の冷気をとりこもうとネクタイをゆるめる。

「人のいい青年だというのは認める。だらしないが、妙に賢いやつよりもああいうほうが安全だ。面倒がない」

「そうですね。少なくとも妙にひねくれた影響はSP(シンパシィ)に与えないでしょうけれど、NやFのMR(汎用アンドロイド)と接触した際に、トラブルがおこらないとも限りません。それを考えると...」

「音琴さん、もう町中に仕掛けは済んでるんでしょ?」

「はい、内定後から判明した彼の主な行動区域と、想定できる範囲内全てに仕掛けました。死角はありませんし、今日から24時間体制で情報管理部の監視下におかれています。何かあれば、即時でSPを回収できます」

 水守はその音琴の言葉に、そうか、とだけ言う。

 それきり二人は黙ったままタクシーに揺られた。

 40分ほどでマヤ本社ビルの前についた。音琴が支払い、領収書をうけとり降りる。二人はIDカードを胸につけつつエレベータホールに向かう。ゲートで警備員が会釈する。

 明るいガラス張りのホールを歩く。水守がさっきまでの沈黙はなかったように、話を続けた。話したいように話す。いつも通りの彼のやり方だった。

「村岡くんの部隊が監視しているなら、ロストすることはないだろう。それと、全ての情報の第一次提出先はうちになってるだろうね」

「はい。水守室長の電子承認の後に、関連部署にファイルが転送されます。室長のところで更新履歴を残さない修正も可能です」

 エレベータの前。降りてくる。

「それでいい。基本的に、社外及び社内の他部署は全て……」

 扉が開き、何人かの作業着のエンジニアが疲れた顔で出てきた。

 水守は口をつぐみ空になったエレベータに乗り込んだ。音琴と二人になる。

 男は、言葉を続けた。

「全て、ただ、うまくやるべき相手でしかない」

 MR事業準備室 室長 水守勝利は無表情に言った。


(次章に続く)

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