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(2)


 まずい!

 内定先のやつかよ!

 耕平はたじろいだ。頭の中が真っ白になる。

 それでも、急いでさっきまでの事を取り繕わないといけない。ここ数ヶ月の就職活動で身についた付け焼き刃の感覚で耕平はあわて、さっきまでのいらつきを無理矢理の面接用笑顔で覆い隠す努力をする。それは辛うじて、不自然ながら成功した。

 だが、もちろん思っている。なんだよ、これ、一体なんなんだ?

 就職セミナーでの練習を思い出すこともなく、回数をこなした表情は作れた。だが、いきなりうまく話せない。

「え?あ、その、なんで?じゃなくて、そのすみません。いま帰ってきたばかりなので」

「知ってる。お酒くさいしね」

「すみません。その」

 なんでだよ?! 事前に連絡はうけてないし、こんなの面接マニュアルにねぇって!

 うろたえる耕平と不機嫌な音琴の間に沈黙が流れた。それを見かねて、今度は後ろの中年男がさっと近づき、にこやかな顔で身体ごと二人の間に割って入った。

 とりなすように、早口で言う。

「いやいや、連絡もしないで悪かったね。惣領くん、私は人事の水守。覚えてるかね? いやぁ、面接で会って以来だねぇ。いやいや、僕はキミのことよく覚えてるんだけど」

「あ、はい、その」

 助かった。面接のオヤジなんて覚えてもいないが、とりあえず、と、耕平は調子よく返事をする。近くで見れば、男はかなりいいスーツを着ていた。それは音琴も同様だった。

「ええもちろん、覚えてます、ミズモリさん。面接ではありがとうございました」

「いやそうかね。うれしいね。キミは特に印象深い学生さんだったしね。あのね、実は今日はさ、ちょっとお話があってきたの。あのさ、お忙しいこととおもうけれど、お時間一時間くらい、もらえないかなぁ? 今日は特に、授業とかないでしょ?」

「ええ、それは大丈夫ですが」

 何でそんなこと知ってんだよ、と思いつつ、耕平は助かったとも思う。

 そんな耕平に、水守に割って入られた後ろから音琴が、今度はこれ見よがしなため息を大きく身体ごとで吐いて、言った。

「ほんとはあなたの部屋でお話させてもらおうかとおもってたんだけど、なんかそういう感じでもないわね。じゃぁ、駅前の喫茶店、クラウドってところで待ってるから来てください。どれくらい時間かかる?」

「あ、はい、ええと」

「3時に来てください。じゃぁ」

 音琴は、耕平の都合になど興味もない、議論しているヒマもないとでも言いたげな雰囲気で勝手に時間をきめて、いきましょうと水守を促して振り向き、一人さっさと離れはじめた。途中で後ろにぽつんと置かれていた女の子の手をとり、引いて、二人で公園をつっきり始める。

 水守も、「あ、ちょっと音琴さん」とそれを追った。

 音琴に手を引かれる女の子は、離れながらも何度も振り向いていた。なにか言いたそうに。

 彼らが現れたときと同様に、また突然、耕平はアパートのドアの前で一人、残された。

 だが少なくとも、帰宅直後との違いとしては手の中に部屋の鍵がある。

 そしてとにかく、就職が内定している企業の人事と小さな女の子をつれたSPプロジェクトとやらの女から、自分に話があるらしいこと。それだけはわかった。他の事は全くわからないが。

 耕平は呆然として彼らの後ろ姿を見送っていたが、はっとして腕の時計を見た。メタリックピンクの文字盤の上で針はすでに二時半を指していた。

 耕平は焦る。なんだよ!3時って、もうすぐじゃないか!

 何の話だか、なんなんだか、全くわからないし特にあの女はむかつくが、とにかく出ないと。

 それにしても。

 それにしても、あの女の子はなんなんだ?


 部屋に飛び込んだ耕平は大急ぎでシャワーを浴びて、これ以上ないほどにちらかった部屋から面接用のスーツを引っぱり出した。床に放りっぱなしていたからシワになっているが仕方ない。

 今度はワイシャツをさがす。だが、クリーニングしてあるものが無く、やむなくスーツの上着をぬがないことでごまかせるレベルのものを洗濯物のなかから掘り出して着た。その上で、形ばかりに筆記用具を持ち、アパートを飛び出した。

 玄関を出るまでちょうど20分かかっている。駅前まで走って5分。一方的に約束された時間には、なんとか間に合った。耕平はクラウドの少し前でかけ足を止め、息を整え、深呼吸する。店の前でガラス越しにさっきの三人の姿を確認して、それから入った。

 小さめの店内の一番奥の席に彼らは座っていた。音琴と女の子が並んで座り、その前に人事の水守が座っている。

 耕平は、とにかく、と気合いを入れる。わけがわからないが、とにかくこれは面接だ。そう思い、出来るだけクールに近づいて、彼らに一礼した。

「先ほどは失礼しました。お待たせしてすみません」

「あぁいいよいいよ。こちらこそすまんね、いきなりの事で」

 水守が先ほどと変わらず、にこやかに言う。

 悪い話では無さそうな雰囲気だ。

 まぁ座ってよ、と自分の横の空席を平手で指した水守に、耕平はさらに一礼した上で座る。

 斜め前には音琴。そして、目の前にはさっきの女の子がいる。彼女は妙にこわばった笑顔で耕平を見つめている。視線をそらすことをしないので、逆にそのこわばりはよく判る。

 女の子は、目の前に置かれている、まだ手が着けられていないまま溶け始めているクリームソーダの緑と白の色越しに、その表情を耕平に向けていた。音琴と水守の前のアイスコーヒーのグラスはほとんど空で、氷がすでに小さくなっている。

 この店は、耕平にとってはよく来る所だった。既に顔なじみのウェイトレスが近づき、耕平のオーダーを聞いた。アイスコーヒーを、と言うと、彼女はいつものような無駄話ができるわけでもなさそうな雰囲気を察してさっと帰ってゆく。

 耕平は真横に座る水守に顔を向け、言った。割れるような頭の痛みの端っこで、さっき十分歯を磨いてきたから酒臭さは無いはずだと念じながら。

「いえ、内定者として当然のことです。で、あの、今日は…?」

 ウェイトレスが「アイスコーヒー、ワン」とキッチンに言ったのが聞こえた。

 しばらくの沈黙。有線放送が流すジャズと、まばらに居る他の客の談笑だけが聞こえる。

 向かいの女の子は相変わらず、傍目でわかるくらい体中に力を込めて耕平を見つめている。

 音琴も耕平を見ているが、こちらは無遠慮に値踏みするような視線。

 耕平は面接スマイル。だが、あえて彼女たちのほうに視線をむけず隣の水守に顔を向けたままでいた。水守の顔は変わらず笑顔。そして、たっぷり一分はあったその沈黙を水守が、ええと、じゃぁ、と破った。

 水守は、視線を音琴に向けて言う。

「どうしましょうか。私から説明するのもアレですから、音琴さん、ご説明してもらえますかね」

「そうですね、わかりました」

 音琴は水守と視線をあわせ、うなずいた。そして再度耕平を見て言った。

「それじゃぁ、惣領くん、世間話をしに来たわけじゃないから、変な挨拶は抜きにしますね」

 にっこりと顔を変えて、音琴は続けた。

「今日は、今年の内定者の中から特に惣領くんを見込んで、お願いをしに伺いました」

 耕平も音琴を向き、面接スマイルを返しつつ思う。さっきまでのむかつきはとりあえず後回しにして、まず確認しないと。

 耕平は、聞いた。

「はい、私にできることでしたら。ですが、そのお願いを受けないと、内定は取り消されるんでしょうか?」

「まさか。あなたは今年の内定者に正式に決まっています。急に大不景気にでもなって採用カットとかにならない限り、そんなことはありません」

 さらっと耕平の質問に返答する音琴。耕平はその言葉に気を楽にするが、まだ油断はできない。そう思っている耕平に、音琴はもう少しだけ、言葉を続けた。

「でもね、あなたには我々マヤの、最高レベルの機密をあずかってもらいたい。それがどうにかなっちゃった時には、わからないわね」

 どう見ても心のこもっていない音琴の笑顔。それを、もはやアイスクリームが半分ほど溶けてしまい緑と白のマーブル模様が渦を巻くクリームソーダのグラスを前にした女の子が横を向いて見上げた。不安そうに聞く。

「シンパシィ、ヒミツですか? お外でられませんか?」

「大丈夫よ。そういう意味じゃないから」

 音琴は女の子に、さっきまでの雰囲気からは意外なほどやさしくそう言い、そして、改めて耕平の方を向きなおした。

 音琴は、表面だけの笑顔を止めて、今度はうってかわった真剣な顔で言った。

「そうね。もうわかったかもしれないけど、具体的に言うと、この子、シンパシィを入社までの半年間、あづかってほしい。あなたといっしょに暮らさせあげてほしいのよ」

「……はぁ? なんですかそれ?」

 気がつくと、アイスコーヒーが耕平の目の前にあった。緊張で、いつウェイトレスが持ってきたかもわかっていなかった。耕平はガムシロップを入れるのもストローを使うのも忘れてグラスをつかみ直接一口飲む。

 この女、なにを言ってるんだ? 

 「あ、いえ、お願いされていることの意味が理解できないんですけど」

 なんだこれは。理解力のテストか?この子が誰かの隠し子なのか?

 シンパシィ、って、この子の名前か?外人か?

 そのシンパシィに目を移すと、こんどは急に悲しそうな顔で耕平に視線を投げていた。

 くるくるとよく表情の変わる子だなぁ、と、耕平はすこし可笑しくなる。なかなかかわいい子じゃないか。

 そう思い。ふと表情をゆるめた耕平にシンパシィは、こんどは急にうれしそうに、だが照れくさそうな笑顔。その様子を見た音琴もにこりと笑い、言った。

「あらら、もうなかよしさんになったのね」

「あ、いや。そういうわけじゃ」

 と、耕平。だが目の前のシンパシィの笑顔につられて自分も笑顔のまま。

 三秒ほどの間をおいて、音琴はふっと息をつき緊張を解いたように話を続けた。

「うん、まぁ、急にはね、難しいかもしれないけれど。でも安心したわ。ごめんなさいね。私もちょっと緊張していたみたい。あぁ、まだ名刺、渡してなかったわね」

 テーブルに出してあった名刺入れから名刺を一枚出して、「座ったままで失礼します」といいつつ両手で、きっちりとした動作で耕平に差し出した。

 マニュアル通りに、耕平はリクルートスーツの内ポケットから自分の名刺入れを出し、その上に乗せるように両手で受け取った。

 音琴は続けた。

「改めまして、音琴ともうします。商品企画を担当しております。どうぞよろしく。惣領くん。耕平くんでいいかしら? 入社されたら同じ部署になると思うわ」

 名刺には「マヤ株式会社 MR事業準備室 SP-PJ商品企画課 係長 音琴哲子」とあった。耕平は、自分の名刺入れの上に音琴の名刺を重ねたままテーブルの上に置いたが、その動作の途中に音琴が妙にざらりとした感触での一言を加えた。

「ちなみに、「哲子」は「あきこ」と読むの。まちがえないでね」

 見れば名刺にもふりがながふってある。妙な迫力のあるその念押しに、耕平は小さく、はい、と返事をした。音琴としては大事なことらしい。

 だが、そんなことよりも、耕平は完全に混乱していた。

 下手なことをいうとわけのわからんことになってしまいそうだから、辛うじて黙っているが、聞きたいことばかりだ。

 つまり、なんだ?おれは入社したら商品企画ってことだよな。やった!希望通りじゃんよ。かっこいい! でも、この女の子が機密で、しかも会社がおれに預かれと?わからん。そもそもこの名刺のMR事業とか、SP-PJってなんだ? なにを企画するんだよ。

 よし、まず、その辺を聞いてみるか。

「えー、お名刺ありがとうございます。ええと、いくつか質問を」

「そりゃぁそうよね。質問、あるわよね。でも、一応私の話を聞いてからにしてね。その上で質問があったら聞いてあげる。いえ、聞かせてもらうわ」

「あ、はい」

「「あ、」はいらないわね」

「……はい」

 音琴は自分より格下の学生をからかうように言った後、静かに話し始めた。

 横に座っていた水守は腕組みをしたまま、いつのまにか壁に後頭部をつけて寝ていた。

 シンパシィと呼ばれた女の子は溶けたクリームソーダを前に、今からの話を緊張した様子で待ちかまえていた。


 音琴の話が始まった。

 それは信じられないような、だが、それを疑うことは目の前のシンパシィの存在自体が許さない内容だった。


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