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 今日のうちに、アンディに、これ教えて、あれ教えて。

 本来は、今日は持ち込んだ資料をつかって自宅で卒論作成のはずだったが、すべてアンディのために時間を使った。これまでのおさらいを、実地でやるべきだとおもった由美子は、いつもに増してアンディに厳しく当たっていた。

 まだ挨拶ひとつきちんとようせぇへん。こんなんでは誰かの前に出たときに恥かいてしまう。そうや、アンディの恥だし、あたしの恥だ。

 自分のデスクでカリキュラムを再構成していた由美子は、そういえば少し前からアンディの姿が見えないことに気づく。呼んでみる。

「アンディ!」

 返事がない。

 ったく。すぐにこれるように控えておけって教えてあるのに。一瞬いらつくが、由美子は直感的な不安を感じる。アンディ、と呼びつつ自分の勉強部屋を出た。そして、書庫にしている部屋で状況を知る。倒れているアンディ。

「アンディ! ちょっと、どうしたん?!」

 左肩から倒れているアンディを見つけ、駆け寄る。

「あの、大丈夫です、痛くないです」

 痛いとかすぐに言うな、との由美子の指導を守っているらしい。周りには本が散乱している。重めのものばかりだ。どうも一気に運ぼうとして、バランスを崩して倒れて肩からおちて、ということらしい。

「ほんっとに、あかんな! 立ちな!」

 はい、と返答して、右手をつかって身体を支えて立とうとする。

「ちょっと、あんた、左手、あかんの?」

「あの、大丈夫です。う、つっ!」

 アンディの左肩から異音がする。ぎぎ、ぎっ、と何かが引っ張られているような音。

 これまで表面が傷ついたり、関節が痛いと言ったことはあったがアンディからこんな音は出たことがない。

「…ちょっと、整備のところにいくから」

 そうだ、昨夜から彼らはもう居ない。東京本社に行かないと。遠いやないの。救急車が呼べる訳じゃないから、クルマでいくしか。この時間だったらどれくらいかかるんや?。でも向かうしかない。由美子は、しっかりしろ、自分、と思い、いつもアンディに接するときの口調を変えずに言った。

「ほんっとにしょうがないな、今から東京本社に行くから、最後の最後まで、もう、ほんとに」

「すみません、ご主人さま」

 アンディはシステムの異常や損傷を痛みとして認識している。その痛みの感覚はヒトのものとは違うのかもしれない。だが、とにかく早く行かないと。

 由美子は無事な右手とアンディの胴体を支え、起こし立たせる。由美子が「歩けるな?」と聞くとアンディは弱々しくうなづいた。由美子はそれを確かめて離れ、クルマのキーと家の鍵を居間の置き場所から持ってきて、玄関に向かう。アンディはよろよろついてきている。

 ほんまに、もう。これでこの二日はまるつぶれやわ。

 でもとにかく、早く行かんと。


耕平達は、無事に遊園地に到着。

 予想より意外と渋滞していた道のりのおかげで結局予定の18時に到着していたものの、ショウには十分間に合う。

 駐車場で空いているところの、できるだけ遊園地の中に近いあたりに軽トラックと整備用車両を止め、ランドセルを背負ったままのシンパシィと耕平、そして涼子の三人は遊園地に入場した。

 例によって車両の中で待つ坪倉と林は、耕平に「幸運を祈る!」と右手の親指を立てて二人で見送った。耕平は、彼らのほうを向いて同じように親指を突き出してから、少し先に歩く涼子達を追った。

 三人が消えると、運転席の坪倉が助手席の林に言った。殺気だった顔。

「よし。ということで…いまから耕平への呪いの儀式に入る」

「ツボさん、おれ、法に触れなきゃなんでもやります!」

 林が妙な印のようなものを両手の指で結んだ。


 川澄屋では、涼子の父親と祖母がのんびり店番をしていた。

 祖母はレジに座りうつらうつら。父親は座敷で発注表を書いている。

 あのアメリカ人、次はこの辺はどうかねぇ。もう日は落ちたなぁ。6時すぎかよ。いまごろしーちゃん、着ぐるみと踊ってやがるかもな。もう今日は閉めちまおうか。客もなさそうだし。涼子の父親はそんなことを思いつつボールペンを走らせていた。

 そんな中、「遅くにすいやせん」とひとり店に入ってきた。桜井だった。

 珍しく舎弟をつれていない。がらり、開く戸の音にレジに座る涼子の祖母が気づき、うたた寝していたことを恥ずかしそうにとりつくろいつつ言った。

「あ、あらら、桜井さん、いらっしゃい」

「おっと大奥さん、こちらこそ失礼。…いやね、近くまで来ましたもんで、その、耕平さんは、この時間だと、いらっしゃるんでしたっけ?」

 その声に、涼子の父親も座敷から顔を出した。

「おぉ、桜井さん、いらっしゃい。耕平?あいつらは今日は、デートだよ、おデート。でも三人でな」

 座敷から出てきて、つっかけを吐きながら言葉を続けた。

「今頃は三人で観覧車とかかもなぁ」

 桜井の顔が、ほんの少しだけ緊張する。だがなにも見せないように。あえて笑顔で。

「そうですかい。そりゃぁまた、まぶしいことで。…ってぇと、観覧車ってのはあれですかい、遊園地かどっかに?」

「おぉそうよ。あそこ、ほら、夢夢ランド。車でちょっといったとこよ。しーちゃんあそこ好きらしくてなぁ。最近うちの客になった外国の人が券くれてよ、また行くってさ」

 まずい。一足遅かったか。桜井は確かめようとする。

「もしかして、アメリカ人で、大学教授とか言ってませんでしたか?」

「おぉそうよ。桜井さんも知ってなさるね。日本語もぺらっぺらで酒の味がわかるやつでね、あれだね、気持ちが通じる気が…」

「川澄屋の旦那、すいやせん、ちょいとお願い事がありまして」

「え?、なんだい急に」

 涼子の父親は言葉を遮られて、どうしたよ?と聞く。桜井は、さっきまでの様子から少し雰囲気を変え、涼子の父親と祖母を交互に見て、言った。

「あの、なんでしたっけ、尾津さんとかいう、耕平さんのおしりあいのダンナ、あの旦那衆の詰め所の電話番号、教えちゃいただけませんか?」



「まぁ、装備の内容としてはわかるんだが、ずいぶん今回はヤル気なんだな」

 兵員輸送ヘリの中で、イグナチオは完全武装の身を窮屈そうに動かして隣のチー・クワァンに話しかける。まだこいつは配属間もない。遠征しての演習も初めてだろうと気を遣う。

 風を切る音が多少するだけでエンジン音などは一切感じられない。RMX-98XI。だが今は全速で移動中のはずだ。イグナチオはえらく高価な演習だなと思う。

 俺たちが今回装備しているのはJS+装備。サイレンサーなんてレベルじゃない。ほぼ完全な無音で作戦を遂行できる。ヘリも含めて、運用だけでとんでも金額になる。

「あの、イグナチオ曹長」

 チー・クワァンの声が耳に差し込んだイヤーレシーバーから聞こえる。

 暗い乗員室内だがこの暗視ゴーグルは晴天下のように明るくカラーで見せる。インフォメーションディスプレイも兼ねている表示は、右斜め上にチー・クワァンからの音声が入っていることを示している。

「なんだよ?」

「今回の演習、借り切った遊園地での行動演習って、ターゲットを判別して打ち分けろってやつですよね」

「あぁ、それがどうした」

「僕、市街地でのああいうの苦手なんです。」

「慣れろよ」

「でも」

 でもじゃねぇ、と言おうとしたところゴーグル内に優先通達の文字が赤く点滅し、イヤレシーバーから注意を向けさせるための不快な音が鳴り響いた。強制的にチー・クワンとの接続はカット。隊長から全員に、音声での強制通達。事務的な口調で内容が伝達された。

「今回の演習は先ほど中止になり、別のミッションが与えられた。これは演習ではない。繰り返す。これは演習ではない」

 チー・クワァンが身を固くするのがわかる。ゴーグル内に画像情報も表示される。

「ミッションは暴走中のヒト型マシンの完全破壊。場所は先ほどまでの演習予定地と同じ。地図データは配布済みのものを使用すること。ターゲットは一体。作戦用の座標情報と、関連する情報を転送する」

 イグナチオはゴーグル内の画像表示に目を疑う。ターゲットって…え?これかよ。これ、この女の子みたいなのが? 

 部隊長の声が続く。

「作戦地域における民間人の待避は現在進行中。すでに我々は作戦地域上空に待機しており、待避完了と同時に突入。作戦を開始する。以後、必要に応じて参考情報をPTISに転送する。各自確認の上、JS+装備を十分活用した遂行を期待する。次の指示に注意せよ。以上」

 

 桜井は、電話番号を聞いてすぐに店を出た。

 川澄屋から耕平のアパート、設計課分室のほうに向かって歩きつつ携帯電話から電話するとワンコールでつながった。電話の向こうの声に声で桜井はそれが尾津であることを知った。

「尾津さん、ですね。桜井です。先日はどうも」

 尾津もすぐにわかったようだ。挨拶もそこそこに、桜井は一刻をあらそうかもしれないので前置きをしてから、一気に自分が知った限りのことを簡潔に話した。今日、しかも今、彼らがそこにいるんでしょう?、と聞く。

「いやね、勘違いや、そういうのだったらいいんだが。念のため、早めにそちらさんには伝えとこうとおもいまして」

「…ありがとうございます」

 尾津は返答したが、その声は固かった。桜井との会話だからというわけではないだろう。やはり、もうなにか始まってるのか?桜井は敏感に気づく。

「尾津さん、聞いちまいますが、もしかしてもうなにかご存じで?」

「実は、少し前から。…桜井さんには謝らないといけない。少し前から、シンパシィ達を追跡し続けている社内の部隊から、トレーサー、追跡者がシンパシィたちを見失ったとの連絡がありました」

 意を決して尾津は言う。これから起こることは予想もつかない。桜井の力も借りたい。村岡部隊がそんな間抜けなロストの仕方をするなんて、あり得ない。桜井は冷静に返答した。なにか始まったか。ならば、どうにかするしかない。

「尾津さん、そんなこたぁもういいですよ。お気になさらず。で、あたしら、なにかできることありますか?」

「わかりません。いま、なにもわからない状態です」

「もしお許しいただけるんなら、まずそちらにお伺いしてもいいですかね。いま、川澄屋さんの近くなんで」

「…助かります。場所、わかりますか?」

「ええ、耕平さんとこの、隣の部屋ですよね」

「はい。ではお待ちしています」

 尾津はさっと電話を切った。桜井は懐に携帯電話を戻しつつ少し早足で向かう。

 でも、あたしらじゃちょっと相手できない連中かもしれませんぜ、尾津さん。

 心の中でつぶやいた。


 伊東由美子は車を走らせていた。

 厳密に言えば、工事や部分的な渋滞でつかまり続けている。高速をつかうよりも、西王東京本社には下道の方が効率がいいと由美子は踏んだ。だが、それが裏目に出ていた。

 さらに人間で言えば脱臼か骨折か、そんな怪我をしているアンディを乗せている中では、いつも以上に慎重で丁寧な運転をするしかない。それも時間がかかる一因になっている。

 助手席ではアンディが左肩の痛みをこらえている。左ハンドルの由美子のBMWでは、助手席で左手の使えないアンディはシートベルトもしめられない。発進するときに「しょうがないなぁ、ほんまに、手間のかかる」と毒づきながら由美子がシートベルトをしめてやると、アンディは苦しい中にもうれしそうな笑みを見せた。それに少しほっとしつつ、由美子は言った。

「なんや、あんたまだ余裕あるんやないの」

「あの、ありがとうございます、ご主人様」

「痛いって、一回でも言ったら放り出すでな!もう、ほんとに面倒な」

 そういって出たものの、こんな日にかぎって、もう目の前のあんたら、全員いますぐ車わきにどけてよ!ほんとにしょうもない!

 出る前に東京本社の連絡先には電話しておいたから、多少遅れても大丈夫なはずだがこの調子だとまだかなりかかる。ルートを変えてもいいが、どうなるかさらにわからない。

 由美子は前を進む車両のブレーキランプに連動して車を止めながら、いらいらとハンドルをたたくが、助手席が妙に静かな事に気づいた。さっきまでうめき声くらいは聞こえていたのに。

 助手席を見るとアンディがぐったりとしている。室内灯をつけた。アンディは顔を真っ赤にしている。かなり苦しそうだ。

「ちょ、ちょっと、あんた、アンディ、大丈夫?!」

「大丈夫です。痛くないです」

 由美子の与えた指示をかたくなに守っている。それどころか、笑顔まで作ろうとする。怪我のこともあるのだろうが、人間で言えば痛いとか、声を出すことで逃している痛みもアンディは全部こらえて、それと一人で戦っていた。

 …あたし、なにやってるんだろ。

 目の前のアンディの姿。由美子は思う。

 あたしなにやってるんや。つらくあたって、仕込んでいるといえばそうやけど、もっと普通にしてやりたかった。でもあたしの格好つかんから。

 アンディのこと考えてってのもあるけど、このロボットは…この子は、あたしになにをしてほしかったのか、どう接してほしかったのか、あたしは知ってる。それをしなかったのはあたしが恥ずかしくて。

 あたしあたしあたしあたし。アンディ。

「もう、なにやっとったんやろ」

 あほくさい、もうええわ。

 この車の中、盗聴器だらけでもええわ。電波の向こうで笑うがいい。好きにやってよ。

 ぼそぼそという由美子を、アンディは見上げる。自分はまた、なにかやったんだろうか。

「あの、すみません、ご主人様」

「…ご主人様、じゃなくてええよ」

 ふぅ、と息を吐き、由美子はアンディに言った。

「そやな、由美子さん、くらいにしよか。それくらいの距離感は、やっぱりあるんやで?」

 会ってまだ半年ちょっとやしな。これからや。

 外から差し込む明かりの中で、由美子は口の両端をつりあげて、笑った顔をアンディにみせる。

「アンディ、もうちょっとこらえな。男の子やろ、すぐに連れてったるから」

「あの、ごしゅ、由美子さん」

「よっしゃ、じゃぁ、どう行くかや!アンディ、ちょっと揺れるかもやけど早ようつくから堪忍してな」

 あー、楽。楽楽楽。こらええわ。よし、じゃぁ、そうやな、この路地入って、前の測道パスして、ショートカットや!

 由美子はそれでもかなり気をつかって、だがアグレッシブにショートカットしてゆく。 よし、出た!ここからは一本や。踏むで!

「よっしゃ、出た!アンディ!」

「はい!あ、痛っ!」

「痛いうちは生きてる証拠や!でもな、もうじきやで…ほら、とばすでぇ!!」

 踏み込む。直列六気筒のエンジンがうなりを上げる。


「とにかく、なんかおかしいんですよ、尾津さん!」

 坪倉が運転席から自動車電話で分室に電話してきていた。

「まだ終園時間の全然前なのに、しーちゃんたち、ちょっとまえに入ったばっかなのに、みんな、すごい勢いで帰って行くんですよ!林にさっき見に行かせたんですが、なんか場内放送とかしないで手誘導で、避難訓練だって帰してるみたいなんです!」


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