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(3)

 これまではどんなにがんばっても「あの子はお父様が」と言われ続けてきた。だから、今回アンディを預けると西王の開発部門から連絡があったときにはとびあがって喜んだ。これはチャンスだ。私の実力が評価されたんだ。これをがんばって乗り切らないと。

 卒論の締め切り間際になるこの時期、由美子はいつも学内の図書館にこもっていた。もちろん、アンディもいっしょについている。

 図書館の中でも別途使用料のかかる個人用ブースを卒論提出の日まで借り切り、アンディにあらゆる手伝いをさせていた。

「ご主人様、お待たせしました」

 アンディは、スペック上の可搬重量ぎりぎりの本を運び込んできた。

 由美子の指示通りに本を持ってきていた。だが、彼女はアンディの肩で息をつくような動作が気に入らない。

 子供サイズのアンディは、由美子の使っているブース内の机に本を置くには身長が足りない。故に、まずは使っていない椅子の上に書籍を置き、踏み台に乗り、由美子の側から見て表紙を正位置にするように気をつけながらもう一度本を取り上げなおしてブース内のテーブルに積んでゆく。

 一冊一冊が重そうだ。由美子はそれでも容赦なくアンディに手伝わせるようにしていたがさすがに無理がある。その姿を見て由美子はため息をついた。その瞬間、アンディはおびえるが、何気ないように作業をつづける。

 だが、その努力はムダになった。由美子があきれるように言った。

「アンディ、なんであんたは」

「あ、あの」

 半ズボンに蝶ネクタイのアンディが、びくっと身体を縮こまらせた。それも由美子h空きにいらない。

「もう、なんで台車とかつかうって知恵がもてないの?まえ教えたでしょ?あんた、図書館のなかを、僕がんばってるんですってアピールして歩いてるんじゃないわよ」

「あの、違います。台車はなかったんです。誰か使ってたらしくって」

「違うのはあんたやろ?!」

 いらつき、爆発する由美子の声。アンディは踏み台から降りて由美子のほうをうなだれるように向いたが、由美子の言葉は止まらない。

「こういうときは、まず「申し訳ありません、ご主人さま」や!もう、このロボットは、もっと気を利かせてやらへんと、あの店番ロボットに負けてしまうんやで!」

「あの、申し訳ありません、ご主人様」

「あの、は、余計! …ったく、ほら、これ、この付箋貼ってあるところ、A3に拡大してコピーしてきて!」

 由美子は、本をテーブルの上を滑らせてアンディのほうに渡す。

 テーブルの高さはアンディの肩よりも少し下程度。彼のほぼ目の前に来たその本を、教えられているように両手で丁寧に取り上げて、「かしこまりました。ご主人様」と一礼した。緊張した表情。

 学生に発行されるコピーカードはアンディのブレザーの胸ポケットに入れてある。さっきいれたから間違いないはず、と思い返しつつアンディは本を胸に抱えて、由美子にさらに一礼してブースを出た。本を両手で持ったまま、ドアノブを回して身体で押し開けるようにドアを開け、出て行った。

 アンディの人工知能はシンパシィのものとは基礎理論も違う上に自己進化をブロックされている部分も多い。だが、基本的なスペックはそれほど変わらない。設計思想の違いはあれ、同様の開発をつきすすめれば結局似たような結果になってしまうことからだった。マヤの設計陣と同じく、西王の設計もよく努力していた結果だった。

 由美子は、さっきのアンディの行動は教えたとおりであることを、よし、と思いつつ、同時に別のいらだちも感じる。

 アンディは、モノとしては、そんなにマヤのヤツと変わらないはずだ。西王のエンジニア達が言っていた。なのに、あの店番ロボットはうちのアンディより外部の評価が高いらしいって。そんなあほなことをいいよるあの西王の設計課長、あのぼんくら、あたしが会社にはいったらぎゅうぎゅう締めたるねん。

 由美子はアンディよりもその設計陣に不満をもっていた。

 だから、アンディは自分がが仕込んでやらないといけない。どこに出ても恥ずかしくないように。

 アンディの評価がシンパシィと違うのは、主にその故障率からだとも聞かされていた。物理的な傷や故障が多い。そういう事態が起こるたびに、アンディは「痛い、痛い」と言う。

 機械のくせに、痛いわけないやろ、と由美子はそのたびにアンディを叱責して自分の住むマンションの別フロアに常駐する整備部隊に連れてゆく。

 整備部隊のリーダーは「ちょっと酷使しすぎです。子供なんですから」と言うが、彼女はこの程度で壊れるようだったら使い物にならない、とそのたびに食ってかかっていた。

 普通の生活をしているだけだ。あんたらのせいだ。しっかり設計しろ、と。

 ブースのガラス窓ごしに、由美子の眼にはコピー機の前で作業をしているアンディが見えた。そこにも彼用に用意した、コピー機の踏み台に乗っててきぱきとやっているその姿にを確かめる。

 西王内での、アンディの開発コードは「丁稚」であった。

 だから男の子型になったという経緯を由美子は聞いていた。従順な性格に設定された感情モデルは、見た目の年齢イメージとも大きくは不整合がないように調整されていた。いわば、まだ本当に「男の子」だ。

 だがアンディは間違っても由美子に、仲良くしたいんです、などとは言えない。由美子はそんなことは、絶対にアンディに言わせなかった。

 ブースのガラス窓の外では、アンディのコピー作業が終わったようだった。子供用のブレザーに白いワイシャツ、蝶ネクタイ。寒い盛りなのに半ズボンを着せられたその姿。

 分厚く重い本と、彼の背格好からはあまりに大きな紙に見えるA3のコピー用紙の束ををかかえてこちらに向かってくる。

 表情が、つらそうだ。だが、甘やかすわけにはいかない。

 学内では、今や知らない女学生はひとりもいないアンディだったが、その大変そうな作業を助けてあげようという者は、だれもいない。

 彼が現れて最初のころは、優しい者や興味本位の者も含めて彼を手伝おうとしてくれた。だが、ことごとくそれらを由美子は厳しく断った。今ではそれもみんな知っている。

 かわいそう、と思いつつも誰もアンディに関わらない。

 由美子はその姿を見つつ、自分の意識を「これは当然なんや。あたりまえなんや」と思うように努力する。そりゃぁ、あんな形して、あんな声で、普通にやってたら受け答えもそこそこかわいらしい男の子につらくあたるのは時にきつい。

 でも、きちんと仕込んだらなあかん。

 それに、そうや。ここも、きっと監視されてる。由美子はそれをもう一度思い出す。

 アンディを見失わないための措置であるとも、実験のテーマの一つにはコミュニティでの彼の存在の進化もあるからだと聞いていた。それが本当の目的かどうかはしらないが、とにかく、そう、あたしがしっかりしないと。

 アンディに申し訳ないという気持ちが起こることはある。今もそうだった。だがそれを振り払って由美子は本とノート、ワープロに向かう。


 その夜、いつも通り由美子の運転でマンションに帰った。由美子はまだアンディがクルマの運転ができないことが不満だったが、これは仕方がないとも思っていた。ロボットに免許は発行できないだろう。

 アンディに荷物を持たせて、これもいつも通りにマンションの地下駐車場からエレベーターに乗り、自室のある階で降りる。

 だが、由美子はいつもと違うことが起こっているのを自室の玄関前で見つけた。ドアの前に西王の設計課長が寒そうに作業服の上からコートを着て待っていた。さらに、めずらしく、プロジェクトの部長も来ている。

 恰幅のいい男で、髪をオールバックにして三つ揃い。時代遅れのトレンチコート姿だった。

「あぁ、お帰りなさい、伊東さん。今日もご苦労さんでした」

 その部長が、先に彼女に声を掛けた。足元には、何本もタバコの吸い殻が落ちている。ずいぶん待っていたらしい。

「こんばんは。なんですのん?」

 由美子は隙を見せていないつもりの、笑顔で彼に聞いた。

 彼女のことを、その部長は彼女の居ないところで「伊東のお嬢さん」と呼んでいることを由美子は知っていた。気に入らないオヤジ。

 彼は、いやいや、実は大事な件がありましてね、と話を切り出した。口調は穏やかだが、なんの前置きもなく、さっさとすましてしまいたいという様子がありありと見受けられた。

 彼は告げた。

「実はね、運用実験は中止になったんですわ」

 あと一ヶ月ほどあるが、早期終了する。下フロアの整備部隊はすでに引っ越し作業を開始した。アンディも、今日、この場で連れて帰りたい。

 部長はそれらを手短に言い、ということで、と、アンディに手を差し出した。だが、アンディは両手に持った由美子の荷物ごと身体を引き、由美子の後ろにあとずさった。それをみて部長は小さく舌打ちする。もう一度言う。

「ほら、アンディ、今日でここでの暮らしは終わりや。帰ろう」

 無意識に由美子は、アンディをかばうように半歩身体を動かして、手を伸ばしたままの部長からアンディを護るようにした。部長は不快そうに、その手を下ろした。

 あまりに急な話だ。自分には何の相談もなく決められたことに不快感を隠さず、由美子は反発した。

「そんな、急な。そこそこ以上に成果は出してるつもりなんですけど、なんでなんですの?」

 それくらい聞く権利はありますよね?!と由美子は強く言う。

 そんな、せっかく今日まで。

 この子、いや、アンディを仕込むためのカリキュラムは自分で勉強して作って、今月末で一通り終わるはずだったのに。もうちょっとなのに。

 いつも由美子に食ってかかられている気弱な設計課長は由美子のその言葉におどおどと反応し、部長と由美子を、交互に顔色をうかがうように見た。由美子は彼のそんな仕草がいつも気に入らなかったが、今回はそれも無視して続けて部長に言う。

「こっちもこっちの都合があります!アンディはきっちり、私の方で仕込んでいます。そんな急に連れ去るようなことされても。それになんですのん!? こんな、夜中にいきなり、ひとの家の前で待ってて、吸い殻まき散らかして、失礼な」

 時代遅れのトレンチコートの中で、部長は「やれやれ」という風を最早隠しもしないで由美子に答えた。本当に、面倒くさいお嬢さんだ。そう彼が思っているのはその話し方や声音からも明らかだった。

「伊東さん、あのね。…じゃぁ言いますわ。残念なんやけど、このプロジェクトは規模を縮小するんです。もともとお上の声がけで始めたことだがお上からこれ以上はバックアップできんとの通達があってね」

「そんな、今日までアンディは順調に、」

「助成金も打ち切られる。そやから、これからどういう格好でも続けるためには、コストはあらゆるところで絞ることがまず最大の目標なんですわ。だから、伊東さんの責任ではない。よくやってくれてたのは私らも知ってます。それに、これはうちだけやない。実験を行ってた全社共通です」

「でも、そうしたら私の組んでたカリキュラムが」

「すんません、そういうの、もうできんのですわ」

 なにを言ってるんだ、このお嬢さんは。再度表情をとりつくろって、部長は笑顔を取り戻して話を終わらせようとした。

「大丈夫、研究は続けるためです。伊東さんには入社したらその部署に就いてもらいます。アンディとは一時お別れしてもらいますけど、入社したらまたあえますから。構造と素材へのロングランテストは少なくともやることになってますし」

「そういうことやない。…そうや、マヤのあの店番ロボットはどうなるか聞いてますか?」

「マヤさんは、聞くところでは、あそこの部長がうちとは違った方向でプロジェクト存続の努力をしているようです。でもまだ現場にはこの話は降りてないんとちがうかな?そうや、もしマヤの彼らにあってもこの話はしないでくださいね。お互い、不可侵でやるって協定みたいなものがあるのは知ってますよね?」

 伊東のお嬢さん、一回彼らに会いに行ってますものねぇ。教えたわたしらもいかんが、あんたのそのお嬢さん具合が不安だよ。そう彼は思うが、言わない。

 由美子は、彼のその言葉にある刺をはっきり認識したが由美子も育ちの良さはそんなものを気に掛けることはない。それに、これだけはゆずるわけにはいかない。由美子は、じゃぁこれだけは、と言った。

「あと数日だけでもアンディをうちにおいておくことはできませんの?カリキュラムを早回しして、キリのいいところまではやっておきたいんです」

 由美子の後ろで、その会話を聞いていたアンディは正しく状況を理解していた。 

 このままだと由美子の元を離れて会社に帰ることになる。だが、由美子はもう少し自分を手元においておきたがっている。

 おそらく由美子が無意識に、背後のアンディをかばうように拡げている両手ごしにそれを理解したアンディは、「主人が話しているときは黙って聞いているもんや」との由美子の指導を忠実に守りつつ、嬉しくも寂しい気持ちでいた。

 由美子との暮らしは気楽ではない。だが、彼女のふとした瞬間の優しさを彼は知っていた。

 彼は彼なりに由美子が好きだった。だから、今日まで居たのだ。彼にも意志はある。

 こまったなぁ、と部長はいいつつ、じゃぁ、まぁ仕方ない、と結論をだした。

「じゃぁ、お嬢さん、もうすでにこっちに詰めている整備部隊は引っ越しを開始していますんで、アンディがいま積んでいる燃料電池の活動限界からマイナス24時間の、あさっての夕方まで、アンディをあずけますわ」

 実のところ、由美子の反応は彼の予想の範疇だった。この場合の対応方法は事前に設計課長と相談しており、彼の言った内容はそれに即していた。

「ですんで、もしこの二日間になにか、いつもみたいにアンディに不具合が起こったらうちの東京本社まで連れてきてください。そこで治します。…ったく、面倒な」

 じゃぁ、失礼しますよ、と言い捨てるように告げて、二人は立ち話だけで帰って行った。 その後ろ姿はエレベーターホールに消えていき、鍵を開けていない玄関先に由美子とアンディの二人が残った。

 アンディがおずおずと、由美子に声をかける。

「あの、ご主人様、よろしいでしょうか?」

 あと二日は彼女と共にいられるようだ。それはうれしいが、こういうときにも自分の感情をそのまま出してはいけない。由美子に教えられた通りの対応を、アンディは忠実に守る。

 由美子は悔しさに唇をかみしめていた。この四月からは、こんな悔しさをもっと味わうのだろうか。ならば耐える。だが、あまりに唐突だ。

 背後のアンディのほうを向くこともなく「鍵、あけてよ、グズ!」といつも通りアンディに言う。彼の話しかけは無視した。今話すと、なんか妙なことをいってしまいそうだ。

 アンディが、かしこまりました、と扉の前に出て、鍵を出し解錠しドアを大きく開ける。

 由美子はその後ろ姿を見つつ、思う。

 そうや、昨日と、今日ともかわらへん。あと二日も、きっちりしこんだる。それでいっぺん、おわかれや。

 由美子はアンディの開けた玄関をくぐる。由美子の仕込んだとおりに、彼女が通りきるまでアンディはドアを開け続けている。

 由美子は思う。なかなか、良くなってきてるところなんや。もうちょっとやのに。


 その日の日中には、すでに要南、フォルテ、甲重はそれぞれの稼働実験体回収と整備部隊の撤収までは終了させていた。

 それぞれのマシンを運用していた各社の内定者には、それぞれの企業から由美子へと同じくの説明がなされていた。多少の混乱はあったが、それらの各社はおおむね予定通りの撤収作業を続けている。

 その三社が敷設した街中のアンテナをはじめとする設備や回線も、公式なものも非公式なものもすべて、即日で運用を停止。だが、フォルテのものだけは引き継いで運用する先があり、これもその当日にフォルテ本社内のコンソールごと移設された。引き継ぎ先は米国DIC社と関係者は聞かされていた。

 だが、大急ぎで当日中の移設が行われた先は、町内の一般家庭だった。最近引っ越してきた、アメリカ人の夫婦と、ハイティーンの息子の三人家族の家。大学教授の一家だということだった。

 その家には、もともと明らかに一般家庭向けではない電気容量と、関連設備の準備されていた。そのことから移設はスムーズに行われた。


 同じ日の深夜には、護賢興業の事務所で桜井は若い衆から報告からわかる範囲で、それらの事を知った。桜井にとっては、町内の不動産の動向としての話だったが、その場所から、それが各社の動きであることを桜井は認識していた。

 さらに、フォルテのコンソール移設が例のアメリカ人一家の家に行われたことも、自分たちの知らない業者が工事をしていたとの報告で知る。

 桜井は一言だけつぶやいた。

「堅気の衆は、怖いねぇ」

 それにしても、どうも妙なことが重なる。桜井は考えを巡らせる。

 数日前にも、桜井は他にも気になることを聞いていた。

 知人の興業屋が言っていた。少し離れた街の遊園地で、先週から三週間借り切りをした個人がいる。詳しいことはわからないが、外国人らしい。すでにその借り上げ期間に入っているが、だが、不思議なことに遊園地は通常開園を続けている。

 ガイジンさんの考えることはわからんね、と、その興業屋は話していた。

 大きなカネが絡んだ上で訳がわからないことには、かならずいやらしい理由がある。

 明日にでも、川澄屋に様子を見に行ってみるか。あの嬢ちゃんにとって、妙なことにならないといいが。


 翌日。

 1993年2月13日。バレンタインデーの前日。


 おしまいの日、の始まりだった。

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