1993年 2月(1)
1993年 2月
シンパシィの稼働実験終了まで、あと一ヶ月になった。
音琴は耕平の手元からいつシンパシィを引き上げるのかは明言しなかったが、少なくとも約束の3月はもうすぐ来る。
いろいろな事があった。
映画に出たり、窃盗という名の誘拐にもあった。
そんな大きな事でなくとも、たとえば近所の同年代の子供にラブレターをもらい、その意味がわからないはずのシンパシィが頬を染めたこともあった。そんなことがあるたびに八盾はすでに腹をくくっていたとはいえやはり悩み、だが結局は酔って「根性!富士山!」と叫んでよいほうに考えようとしていた。
川澄屋の涼子の部屋に泊めてもらうことも増えてきたシンパシィには、そのたびに耕平に話せない秘密が増えているらしい。
耕平に聞かれるとシンパシィは「秘密の話ですから!」と逃げ出した。涼子に聞けば「さぁねぇ。っていうか、今日の配達は?!」とはぐらかされる。
あらゆるものに偏見を持たないシンパシィだったが、犬はどうも苦手なようだった。どんな小さな愛玩犬でも、きゃんと鳴かれるたびに耕平や涼子の後ろに隠れた。これも八盾を悩ませた。
耕平と涼子とシンパシィの三人で出かけることも多くなっていた。
本当は、涼子も耕平も二人で出かけてみたいとそれぞれ思うこともあったがお互いに言い出せずにいる。シンパシィは二人に両側についてもらって、手を左右から握ってもらうのが好きだった。
誘拐の一件以来、設計課で行うシンパシィのモニター・トレース体制はさらに手厚いものとなった。坪倉の提案で、一定以上の加速度でシンパシィが移動した場合にもアラートが鳴るようにし、そのほかにも細々と仕様の変更や追加がなされた。
また、残り少なくなった実験期間の成果を上げるためとの理由に基づいて、シンパシィの運用前提区域を広げる工夫も行われた。それまでは、実質上は商店街周辺と、耕平の生活区域、そしてマヤ本社内のみにシンパシィの活動地域は限定されていた。シンパシィから発信されるモニター情報をキャッチするアンテナが設置されている地域は、そのあたりのみだった。だが、今回の稼働実験でシンパシィの動作効率向上を含めた成果は大きいと実験中ながらエンジニア達が判断したことが理由だった。
当初はシンパシィからの信号を拾いつづけるアンテナをさらに広範囲に設置することも検討されたが、追加予算が大きく必要なことから却下。その代わり、事前に設計課に相談しておくことで遠出する際には移動整備用車両が彼女について回りモニターするという運用が編み出された。シンパシィの移動には川澄屋の軽トラックを使い、行動中も地下には降りないことを前提とはしたが。
このことにより彼女の運用範囲は飛躍的に拡大した。だが、いくつか問題もあった。
一点目はにはシンパシィからの信号到達距離は通常モードで300メートル程度しかないこと。移動整備車両と同時に移動するにしても、それでは移動中にモニターできなくなることが容易に想像された。だが、これについては、解決方法はすぐに見つかった。
この半年あまりでシンパシィの自律身体制御はあらゆる部分で洗練され続け、結果として物理動作における燃料消費も効率化が進んだ。また、社内での純粋なトレーニング期間に比べ、彼女の無意識中でのストレス要素が大幅に減ったことで人工知能のエネルギー消費も少なくなっている。
結果として日常の運用で燃料電池の交換を以前の1.3倍の期間、およそ98時間程度まで伸ばすことに成功。このことから信号の出力を半径1.5km程度にまで広げても電力消費には問題ないと尾津は判断。他パーツへの影響も発見されなかった。よってこれは仕様変更と運用規定にてクリア。
シンパシィにとって、様々な経験を得続けているという意味ではこの半年あまりの方が社内にいたころより高負荷状態であってもおかしくなかったが、すでに彼女の人工知能は設計課にも解析不能となっていたことで結果から判断するしかなかった。
だが、二点目の問題は深刻だった。移動整備車両をまともに運転できるのはエンジニア達の中で坪倉しかおらず、さらに車両の運用にはもう一名が必要となる。表面的にはマンパワーの問題。そして、本質的には別の問題もあった。
整備車両はマイクロバス程度の大きさで、さらに各種の搭載機器やスペアパーツ、補充材などで重量はとてつもなく重い。しかもシンパシィほどではないが高価だ。坪倉はとにかく運転の上手い男だが、とはいえ、多忙な設計業務の中で、シンパシィが遠出をするたびに坪倉と、さらにもう一名を占有させるわけにはいかなかった。
だが、仮にマンパワーの問題が解決しても更に本質的な問題がのこった。これは「まぁとにかく、僕が都合つければいいんでしょ?」と坪倉がシンパシィの遠出にともなう車両運用を開始したあとに発覚した。
当初坪倉は、シンパシィの遠出もそんなに回数も多くないだろうからと、耕平に「前もってスケジュール調整してくれればいいよ。僕、土日も大丈夫だからさぁ」と言っていた。そして、シンパシィが行きたがるちょっと遠くの行楽地はそのほとんどが有名なデートスポットであることと、しかも、シンパシィは耕平と涼子との三人でいくことを好んだ。
これが、大問題だった。
その問題とは、すでにシンパシィのことには関係ない。
移動整備車両、シンパシィに言わせると「お父さん号」に乗って彼らを追いかけつづける坪倉と、補助に乗るもう一名は、シンパシィ達を待つ運転席ではこのような会話が車中で繰り返す。仮に坪倉が口火を切るとしたら、こうだ。
「…耕平達、いまごろなにしてるかねぇ」
「ツボさん、決まってるじゃないですか。いまごろしーちゃんはメリーゴーランドにのって、耕平と涼子さんはベンチで手を振って、しーちゃんが回転して向こうに行った隙にぶちゅー!って感じですよ!」
「コロス!」
「もちろんですよ。耕平は今夜コロします。今夜もコロします」
結果、川澄屋は商売繁盛し、耕平はそのたびに尋問をうけることになった。
年末年始の初詣にも行った。
エンジニア達と川澄屋、そして商店街の有志で出し合って買ったシンパシィの晴れ着があまりにもかわいらしく似合い、シンパシィも大喜びだったことからこれに関して耕平は軽微にコロされるだけで済んだ。
晴れ着のシンパシィ、そして涼子といっしょに、みんなで何枚写真をとったかわからない。正月に帰省しなかったエンジニア達は全員が独身者だったこともあり連日川澄屋の座敷にあがりこみ、涼子の父親と耕平と呑み、写真を撮りまくった。
年始に来た桜井も「あたしなんかが入って、いいんですかい?」と言いつつシンパシィの願いで照れくさそうにいっしょに写真の端に収まった。
設計課内では晴れ着姿について「涼子派」と「シンパシィ派」に分かれたが、涼子はおそらく耕平とデキかかっているであろうことと、シンパシィは自分たちの子供であることに思い至り皆が涙をこぼした。
二月に入るまでこの話題は続き、涙が流れつづけた。
シンパシィの稼働実験は、これ以上なくうまくいっていた。
実験という意味でも、マヤの誰もが思っていなかったほどに急速なシンパシィの成長という意味でもそうだった。だが、事前に耕平が知らされ、涼子も認識している残り期間が少なくなってきていることも事実だ。
あと二ヶ月。
年末年始のシンパシィを中心としたにぎやかさのなかで、涼子はひとり、そっとため息をつくことがあった。それはシンパシィが彼女の日常から居なくなることについてだけではなかった。賑やかな正月が過ぎてから、そんなことが更に増えていた。
自室で、一人机に向かっているとき。あるいは、耕平がシンパシィを連れてアパートに帰るのを手を振って見送るとき。そんなときにふと思う。
あと二ヶ月すれば、シンパシィはこの街を離れてしまうだろう。マヤの気のいいエンジニア達も分室を引き払ってしまう。そして、耕平も彼らと一緒に、マヤの一員になる。
さみしいな。
みんな、いつまでもいっしょに居られればいいのに。でも、無理なんだろうな。
だって、しーちゃん、あんなにみんなの人気者なんだもの。きっと、この実験って大成功なんだろうし。きっと、しーちゃん、いっぱいがほめらてもらえるんだろうし。だから、いいの。
そう思って涼子は、自分が密かにもっている願いはだれにも言わずにいた。せめて、しーちゃんがこの町から居なくなるときには笑顔で見送ろう。そう心に決めつつ。
涼子は、涼子のスタンスでsp-pjの成功を心から祈っていた。
だが、彼女は知らなかった。知るはずもなかった。
シンパシィの開発を中心とするSp-Pjには大きな暗雲が広がり始めていた。
それは、通産省の平井がsp-pjを統括する室長、水守にいれた一本の電話から始まった。2月9日のことだった。その電話で、平井は急ぎの打ち合わせを水守に申し込んだ。
暗雲は、全天を覆い始めていた。




