(4)
その街ではそこそこ大きなホテルの一室。もっと目立たないホテルもいくつか回ったが、満室だと断られた後にみつかったのはここしかなかった。
すでに22時。時間がかかったが仕方ない。宿泊費を支払えるか怪しいが、これから大金が入ってくると思えば気も大きくなった。一週間の滞在ということでツインルームに「あとで子供がくるから」とチェックインした。
それにしてもあの子供、しばらくもがいてたかとおもったらすぐにおとなしくなったな。具合でも悪くしたかとおもったら、上にかけた毛布の中ですっかり寝てやがった。肝が据わってるのか、バカなのか。まぁ、面倒がなくてよかったが。
さて、とりあえずは風呂だ。それから呑んで、そしてあの店に電話だな。離れた公衆電話からがいい。明日からはあちこち走り回って電話して混乱させてやるさ。
そうだな、いくらくらいふっかけてやろうか。
轟音を立て、高速ヘリが耕平のアパート前の公園上でホバリングしていた。
夜空に浮かぶヘリから、地上を照らすサーチライトが何かを威嚇するようにぎらぎらと輝いている。
周りの住民は何事が起こったかと多くがカーテンの隙間越しにおそるおそる覗いていた。彼らは空中のヘリに意識を向けていたが、いつもの目の前の公園も様相を変えていた。
林と岩本の準備で、公園はすっかりヘリポートになっている。木々にくくりつけられた照明で昼のように明るく照らされ、ブランコやジャングルジムなどの遊具は地面からはずされ、わきにどけられていた。分室内から引き出された太い電源ケーブルが電源を供給して、地面に埋め込まれた白色の自発光標識がオンになり、大きく丸の中にH字の着地標識が公園の中央部に出現している。
防音のヘッドフォンをつけた岩本が、研修で習ったとおりに誘導灯を両手に持って着地指示を開始。ヘリは無事に着地に成功するが、ローターの回転を止めない。
乗降口が、インカムを着けた林の手で外部から大きく開けられた。
八盾が手の空いているものに指示し、川澄屋に持ち込んだものより一回り大きい端末を搭乗口から運び込ませる。ヘリの足の部分四隅それぞれにアンテナを固定し、ケーブルを端末本体に接続。さらに独立バッテリーをつなぎ、八盾はヘリに乗り込みインカムをつけて、端末を起動させる。システムのセルフチェック、分室からのダミーシグナルに対してのテストセンシング、共に正常。それを確認したうえで八盾は作業を行った全員を待避させて、さらに搭乗口の外に向かって叫んだ。
「尾津さん、出られるよ!」
その声を聞き、尾津と、耕平が飛び乗る。
着席した二人がベルトを締めたことを確認して、八盾はインカムで操縦士に指示を出す。搭乗口は開けたまま、離陸シーケンスがスタート。残っていた雪が舞い上がり、離陸。
アパート横の駐車場では、坪倉が移動整備車両の運転席から急速上昇するヘリを確認し、車両のエンジンをかけた。マイクロバスほどの大きさの車体がふるえる。
車内設備への外部電源カットを操作。手順通りに短く二回、クラクションを鳴らす。ミラー越しに外部電源のケーブルを巻き取り離れるメンバーの姿が見えた。
車内の整備ルームから老師高浜が「いつでもでられる」とインターフォンで伝えると、坪倉はサイドブレーキをおろしてさらにクラクションを一回鳴らし、ギアをつなぎアクセルをゆっくり踏み込んだ。ゆっくりと駐車場を出る。
シンパシィの元に向かうヘリと整備車両に、残った設計メンバーは根性!富士山!と繰り返し叫び、手を振った。
「がんばれよー!」
「しーちゃんをたのむぞー!」
見えなくなるまで手を振りつづけた。
井後は入浴を終え、全裸のままの身体をソファに埋めていた。
もちろん、酔っている。
ぼんやりとテレビを見る。室内の冷蔵庫に入っていたビールは全部飲んでしまった。空き缶が、ソファの前のテーブルと床に散乱している。
そろそろあの子供の様子を見に行ってやろうか。便所とか、垂れ流しだろうな。まぁしょうがないさ。その後、電話だな。さぁ本番だ。
上着のポケットに川澄屋の電話番号の乗っているチラシが入っているのを確認して、部屋を出る。
30分ほどでヘリは目的地上空に到着した。
八盾は手慣れた調子で端末を操作する。フルパワーで走査を開始。尾津と耕平のインカムに、八盾の声が響いた。
「しーちゃんさぁ、いま、おそらくエマージェンシーモードに入ってると思うのよ。見た目としては寝てるように見えるんだけど、燃料消費を最低限に押さえつつ、エマージェンシーコードと座標情報を半径1km程度にがなりたててるはずよ」
「八盾さん、そんな仕様あったっけ?聞いてないよ、おれ」と尾津。
「ごめーん、こないだつけた。視覚センサからの光入力で済んじゃうソフトの仕様変更だけだったから…おっと、感、きたぁ!」
インカムに接続された端末の音声出力が大音量で鳴り、端末上にエマージェンシーの文字列と座標情報が出る。自動的に端末はType-00本体とデータリンクを開始。
ピアノを弾くような軽やかさで八盾はキーボードとタッチパネルを操作し、「よっしゃ!」と叫んだ。
「尾津さん、耕平くん、しーちゃんの動作履歴とシステムモニタみたけど、大丈夫、傷一つつけられれてないね。しーちゃん寝っぱなしにみえたからほっとかれたんじゃないの?よしよし!おれすごいね、こういうときのおれはすごいよね!」
「八盾さん、今回の無断での仕様追加は不問にするよ。そうか、よかった」
「よかった!シンパシィ、よかった」
さらに八盾は座標情報を地図データに重ね合わせて、インカムを操縦士側に切り替えて詳細な指示を出した。その上で再度尾津と耕平にうきうきと伝える。
「しーちゃんは宝堂ロイヤルホテルの駐車場。急行しまーす!」
ヘリはバンクして方向を微修正した後、前傾姿勢を強くして加速。金属的なエンジン音を高くする。
井後はホテルを出た。駐車場の、自分のクルマのところに向かう。
クルマに近づき、ロックを開けて運転席に座る。助手席側の毛布を少しどけると、ガムテープで眼と口をふさがれているものの、シンパシィが鼻ですうすう息をして寝ているのを確認した。
よしよし、いい子だ。じゃぁ、ちょっと遠くの公衆電話までドライブしようか、なぁしーちゃんよ。
それにしても。
なんか、ずいぶん低いところでヘリコプターの音がするな。こんな夜中に、なにやってんだ。
「目標地点を確認しましたので画像を回します。次の指示までホバリングに入ります。」
操縦士から全員のインカムに連絡。高倍率のガンカメラでとらえた暗視画像が耕平たちの乗るキャビンに据えられたモニターに映し出された。広い駐車場に何台かの車が写っている。
「どれだよ、八盾さん」
尾津が言う。耕平は乗り慣れないヘリの急激な機動に酔っていた。だが、モニタを見る。拳を握りしめる。
すると、ぱっと画面が一瞬白くなり、自動的に画質調整され再表示される。一台のクルマがエンジンをかけ、ヘッドライトをつけて動き始めているのが映し出された。同時に八盾のモニター上のシンパシィの座標も動き始める。八盾がビンゴ!と叫ぶ。
「大ビンゴだね。操縦士さん、あのクルマです。駐車所から出ないうちに真っ正面につけてサーチライトあててやってくださいよ」
「了解」
井後が駐車場から出ようとすると、うるさいヘリの音がさらに急激に大きくなってきた。ちょっと尋常じゃない轟音。
なんだなんだ?もしかして警察が?まさかでも、そんなすぐには。
井後は混乱して駐車所の出口前でブレーキを踏んだ。そして、井後は明らかに自分のクルマをこのヘリがねらっていることを知る。目の前にヘリが空中をすべるように現れ、浮かんだ。轟音。木の葉が舞い上がる。
サーチライトがまぶしく運転席の井後を照らした。
ちょ、ちょっと、なにこれ、ちょっと!
八盾の指示で、インカムの音声出力がヘリの外部スピーカーにつなげられた。機体側面の乗降扉を内側から開け、八盾は身体を固定するベルトを引き出して扉の外に身を乗り出した。インカムのマイクを、口元に近づける。
「えー、井後さん!井後さん!」
まず名前を連呼。そして続ける。
「あー、こちらは、マヤ株式会社、SPプロジェクト設計課です。井後さん!あなた、いま、すごい間違いを犯そうとしている!というか、もう犯してる!でも今やめれば、ちょっといいかもしれない!誘拐なんてことはあきらめて、クルマ止めて、うちの子、返してください!井後さん!」
なんだ?!あいつら、警察じゃないのか?でもなんで俺の名前を?くそ、そんなに大きな音で連呼するなよ。くそ!
なんだかわからんが、逃げてやる!
アクセルを踏み込む。ヘリの下をくぐって、そのまま駐車場の出口を飛び出した。風圧で車体が大きく揺れるがかまっていられない。
車道に出る。幸いクルマは少ない。逃げ切れるかも。いや、ヘリから逃げられるのか?
ヘリは井後の車を追いかける。変わらず八盾の声が外部スピーカーから響く。
「井後さーん、まずいよ。逃げられないって。井後さん、やめなって、誘拐もやめたほうがいいし、逃げるのもやめなよ。井後さん!」
井後の車は、クルマの数は少ないとはいえ信号も標識もすべて無視して暴走を続ける。
「八盾さん、ちょっとやりすぎだ。このままあいつが事故ったらシンパシィも無事じゃない。他の人もまきこみかねん」
尾津はインカムの外部スピーカーへの出力を切って八盾に言う。八盾は、そうだね、ごめん、あとは尾津さんお願いと自分のインカムをおろした。
だが尾津にしても、井後の車を止める手だてはない。
井後の車は道なりに突き進み、山道に入った。
くそ、逃げてやる!逃げてやる!
とにかく脇道にと思って入った山道だが、行く末は全くわからない。
細い道に入ったってだめだ。上から追いかけられる。進むだけ進んでスピードで逃げるしかない。このまま、この寂れた山道を逃げれば。この山沿いのカーブ、よし、いい感じで曲がって…、え?
急ブレーキ!
井後の車が曲がったそのカーブの先は、山道のわりに少し直線的だった。だが、井後はそれ以上進むことができなかった。
曲がり切った直後、ばっと目の前が明るくなった。
何台もの照明車の、強烈な白い光。
逆光でよく見えないが、車止めで道路は封鎖されているようだ。県警のパトカーと、警官の群れ。それだけではない。民間の警備会社のロゴの入った車両も数多い。車体には「マヤ警備保障」とあった。
井後が運転席で振り返ると、リアガラス越しにどこに隠れていたのか後ろの道も警備員にあっという間に封鎖されているのが見えた。
停止した井後のクルマに向かって、進行方向のバリケードと逆光の中心に人かげが現れた。音琴だった。
大量の警官と警備員を従え、まるですべてを代表するかのような音琴が、マイクを握り警察車両の拡声器から最後通告をする。
「井後賢一さん。道路の前後と、左右も封鎖しました。投降しなさい。もう完全に逃げられない」
井後は観念してエンジンを切った。
なんだかわからんが、負けだ。おれの。
のっそりと井後がドアから出る。それを県警の警官達がおしつぶすように確保。
23時04分、窃盗容疑での緊急逮捕。
その一部始終を尾津、八盾、そして耕平は上空のヘリから見ていた。
井後は県警本部に連行された。
盗難されたことになっているシンパシィは、逮捕現場で音琴による現物確認はすませたものの、一応は、とマヤ警備保障の車両により同じく県警本部に移送された。
音琴と、県警OBであるマヤ警備保障の地区長も付き添う。耕平達のヘリはシンパシィが乗せられたマヤ警備保障の車両を追走して、県警本部のヘリポートに着陸。
実際のシンパシィをみた県警の誰もが、これは窃盗事件であり目の前で眠っている女の子はヒトではない、と知らされてもすぐには信じなかった。だから、彼女は県警医務室の清潔なベッドに寝かされていた。
屋上のヘリポートから階段をぐるぐる下りて、足音に気遣う余裕もなく耕平が、よろけつつ医務室に走り込んだ。続いて八盾、尾津。
「シンパシィ…よかった…ごめん、ほんとに、ごめん…」
眠っているシンパシィの脇で、安心した耕平は崩れるようにしゃがみこみベッドの端に顔をうずめ、よかった、ごめん、と繰り返したが、八盾はそんな耕平の後ろに来て、「耕平くん、ちょっとごめん、しーちゃん起こすから。パスコードがあるのよ」と耕平をどけた。
すでに端末でのモニタ内容でシンパシィの全状態を把握していた八盾は、無事な回収はうれしいものの耕平よりは冷静だ。
八盾は、「ちょっと失礼、しーちゃん」と言い、彼女の耳元に自分の口を近づけて、何度かごそごそと言った。
「しーちゃん、起きて、おはよう。しーちゃん、朝だよ、おはよう」
八盾は身を起こし、耕平に「見ててみな」と言う。
「現在しーちゃんは各部のセルフチェック中。完全な起動までもうちょっとだね。っと、ほら、起きた」
「ん…おはようございます。寝ちゃった…。あれ?ここは?」
耕平がよく知っている、朝起きるときと同じように目を覚ましてシンパシィは起き上がり、左右をきょろきょろ見回す。
「お店は?あの、吟醸酒を三本買ってくれるって、あれ?…あれ?八盾お父さんと、耕平お兄ちゃん、あれれ??」
八盾は耕平に耳打ちする。
「エマージェンシーモードに入る事態が起こった場合、その直前の記憶は「ぼかす」仕様にしてある。ログとしては全部のこってるんだけどね」
医務室の入り口で、音琴と尾津は小声で話していた。腕組みをしてドア横の壁にもたれかかっている音琴と、少し離れて両手を作業ズボンのポケットに入れた尾津。
「音琴さん。あんなことしてるなんて、知りませんでしたよ」
「何言ってるの。村岡部隊がロストするはずないでしょ?ずっと、彼女はトレースされてたわよ。…知ってるくせに」
尾津は黙って返答しない。
「だから適当なところで回収したまでよ。警備保障と県警の連携でうまくあそこに誘導するはずだったんだけど、あなたたちが派手にやってくれたおかげで立派な騒ぎになっちゃった。人目にふれないところで回収したかったんだけどね。まぁ、偶然でもうまくいったわ。お疲れ様」
少し離れたベッドの上では、シンパシィが起きあがって「あれ?あれれ??」と繰り返している。八盾と耕平が彼女になんだか説明をしている。音琴はその光景を見ながら尾津に言った。
「尾津さん、高速ヘリなんか出して、どこからお金だすのよ?研究費、そんなにのこってないのよ」
「水守さんがこないだお金を入れた怪しい費用番号から出しますよ」
「あぁ、あの助成金?ふん、あれだったらいいんじゃない?」
音琴は混乱しているシンパシィから目を離さずに、口だけ動かして尾津に言う。そう、これを伝えないと。今日のことは事件だが、それよりも大きな話。
「そういや尾津さん。あの話、大当たりだった」
音琴を見る尾津の顔がわずかに緊張する。音琴が視線をちら、と尾津に向けて、またシンパシィに戻して続けた。
「水守さん、会社に話通さないで勝手に通産省の平井と、USの国防総省の次世代兵装研究会の役員や議長と会ってる。また今も行ってるわ。行き先は毎回マヤサンノゼってことにしてるけどね」
「…どうやって確かめた?」
「村岡部隊。水守さん、そういう人望、ないからね」
「じゃぁ、間違いない」
「水守さんは、場合によってはあなた達と研究成果を持って独立…とは名ばかりの、造反を起こすかもしれない。平井がバックアップする約束みたい。ふん、狐と狸ね」
「そうなったらあんたは、どうするんだ」
「あたし?あたしは、自分のために泳ぐわよ。こんな社内でオーソライズされてない大きな、しかもヤバい話を勝手に進める彼は、近く沈むわ。沈める」
「そして、彼のあとに入る?」
「それもいいわね。尾津さんは?エンジニアとしては水守さんの計画、興味あるんじゃない?」
「おれは」
坪倉の移動整備車両が到着して、坪倉と老師が病室に飛び込んできた。医務室の入り口で尾津に気づいた二人が「あ、ども」「おつかれさんでした」と入ってくるのに「おう」と返事したあとに、尾津がつぶやくように言う。
「おれは、シンパシィを、彼女の子孫を人殺しの道具にしたくない。それだけだ」
音琴はその言葉に、ふん、とだけ返した。
その視界の中では、今度は涙で顔をぐしゃぐしゃにした坪倉に抱きしめられて「わ、わわ!」とシンパシィが繰り返していた。
(この章終わり。次章に続きます)




