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(2)

 シンパシィ、シンパシィ!どこだ!

「あんちゃん、落ち着け。便所じゃねぇのかよ」

「それはありません」

「そうか」理由はともかく、耕平の断言に男はうなずく。

「あんちゃんよ、これはちょっと妙なことなんだな? 答えろ」

「はい、彼女が、シンパシィがなんにも言わないで出かけるなんてない。ありえない」

「そうか、わかった」

 まず落ち着け、と男はいう。いつも桜井の兄貴もいってるぞ。やばければ、おちつけってな、とも。それにうなずき、耕平は努力する。そして、思いつく。

 設計課分室に電話。シンパシィの居場所はいつも、あそこでわかるはずだ。

「ちょっと、電話してみます」

 おう、と男は言い、油断なく店の前で左右にさらに視線をはしらせる。

 耕平は店に飛び込み、落ち着け、落ち着け、と念じつつ店の電話で分室の電話番号を回した。旧式の黒電話。ふるえる指で二回ダイヤルを間違い、三回目でやっと呼び出し音が受話器から聞こえた。

 数回の呼び出し音のあと坪倉ののんびりした「はぁい、設計課分室です」の声を聞く。

「あ、坪倉さん、耕平です」おちつけ。

「おー、どうしたの耕平君。また軽トラのエンジンかかんなくなったの?」

「いえ、その、坪倉さん、そうじゃなくて。すみません、シンパシィがいまどこにいるかわかりますか?」

「え?どうしたの?ちょっとまってね。えっと…」

 電話の向こうで端末を操作する音。しーちゃんお出かけ中かなっと、とのつぶやき声も聞こえて、そして返答。

「あー、しーちゃん、いま川澄屋さんから駅の反対側の大通り、え?なんか高速移動してるけど。車かな?え?」

 坪倉の声を遮り、分室の中に鋭く断続的なアラート音が響く。

「ちょ、ちょっと、耕平君、しーちゃん、出ちゃうよ。トレースできる区域から出ちゃう!」

 アラート音の感覚が短くなる。そしてけたたましい連続音になり、止む。

「…見失った」

 呆然とした坪倉の声。

「坪倉さん、どうしよう。シンパシィ、気がついたら居なかったんです」

 耕平の声が震える。無意味に受話器を握りしめた。坪倉は冷静に聞く。

「川澄屋さんの、おじさんの配達の車にのってるってないよね。さっきの、時速100キロ以上での移動だから、ちがうね?」

「ええ、たぶん。おじさん今日は、商店街の会合だし」

「アラートは初めてじゃないんだ。でも、こんな高速移動じゃないから川澄屋に電話すると配達についてったとか聞いて、アラートを切る。でも、これは違うんだね」

「はい、違います。…坪倉さん、どうしよう」

「どうしようじゃないよ!」

 坪倉の一喝が電話越しに飛ぶ。

「いまからすぐ、尾津さんと相談する。耕平君は川澄屋さんだね。とりあえずそこにいて。じゃ」

 坪倉は、受話器をたたきつけるように切った。がちゃっ、と耳障りな音が耕平の耳に響く。

 耕平も受話器を置いた。

 どうしよう、どうしよう。もしかして、これが桜井って人の言ったきな臭いっていうやつらなのかも。これが。

 耕平の頭の中はぐしゃぐしゃになる。

「あんちゃん。つまり嬢ちゃんの行方がわからなくなったんだな? なんかやばい感じなんだな?」

 男は店の中に戻り、耕平の横で電話を聞いていた。内容はわからないまでも、電話した先での状況は察したらしい。その間も店の前の通りから視線を離さない。

「…はい…どうしよう…」

「どうにかするしかないだろ。あんちゃん、耕平にいちゃんよ」

 男は耕平のほうを向き、その背中をどん!と平手で一回たたく。その容赦しない強さに、うなだれていた耕平は反り返り背筋を伸ばした。そして男は落ち着け、ともう一度言った後に続けた。

「そういや名乗ってなかったな。おれは、サブ。桜井の兄貴の下にいる。とにかく一大事だ。電話、かりるぞ」

 耕平の返事も聞かず、受話器をとり事務所に電話する。サブです。兄貴いますかい?そう話す声を聞きつつ耕平は奥歯をかみしめる。

 くそ、俺が寝てるから。俺が。

 許してくれ。護ってやる。助けてやるぞ、シンパシィ。

 サブが耕平につきとばされて土間に落としたビール缶から、泡とビールが流れ出ていた。


 サブが事務所に電話してから数分後。すぐに桜井が店に来た。

 黒い毛織物のロングコートも脱がずに店に入ってくる。コートの中もダークスーツと黒のネクタイ。座敷の上がり口にこしかけたまま見あげて会釈する耕平に、あのときはどうも、と軽く挨拶する。

 事務所の近くまで車できたらしい。川澄屋のガラス戸ごしに見えるふりかたのわりには、雪をかぶっていない。

 店の中にいたサブに「張ってろ」と一言。へい、と返事をして、サブはさっと店の前に出た。

 桜井は耕平に言う。

「サブから聞きやしたが、ちょいと困ったことになった、かもしれないんですね?」

「はい、僕が、僕がしっかりしてれば」

「耕平さん、まぁどうにかなったものは、どうにかするしかないんでね。聞きやすが、あんたらの難しいカラクリでも、嬢ちゃんの居場所はわからんのですね?」

「はい、さっき連絡はいれたんですが。駅向こうの大通りを、猛スピードで離れて、消えたって」

「警察には?」

「まだ」

 そうですかい。と桜井は言い、少し思案してから言った。

「耕平さん、あんたおいやかもしれないが、事によっちゃぁ、コトかもしれねぇ。少しばかり、あたしら手伝わせてもらいたいんですが、どうです?」

 お願いします、と言いかけた言葉を耕平は飲み込んだ。

 桜井はその様子を見て、先日の事務所でのような笑顔は見せなかったが、代わりに真面目な顔で軽くうなずいた。

「わかりやした。耕平さん、あんたいい男だ。助けてくれそうなことを言うヤツにだれかれなくお願いするようじゃいけねぇ。でもね、もしかしたらのコトがコトだ」

 一度言葉を切り、そして続ける。

「じゃぁあたしら、あんたにはなんの恩も着せねぇ。勝手に、おせっかいやらせていただきます。あの嬢ちゃんは、あたしらからすればこの街の堅気の衆なんでね」

 警察には連絡しておいてください。失礼しますよ。

 桜井はそう言うと、耕平にむかってうつむくように少し腰をかがめ、手ぶらの両手を膝の上において頭を下げた。その桜井の姿は、これまで耕平が桜井にも、その他の誰にも見たことのない迫力に満ちていた。

 そして背を伸ばした桜井は、見てな、という風に今度はにっと耕平に笑って玄関先に出る。あたりを鋭く見回していたサブとなにか一言二言話し、少し離れて懐から携帯電話を出した。あちこちに電話しているようだが耕平にはその声は聞こえない。

 そうだ、おれも。耕平はその様子を店のガラス越しに見て立ち上がる。

 見ているだけでなにもしないのなら、助けてもらう資格すらなくす。おれも。

 耕平は店から警察に電話する。


 その後、しばらくして涼子の祖母が帰宅し、午後三時ごろに涼子も、次いで涼子の父親も帰宅した。

 警察に電話した後、近くの派出所の警官がすぐにやってきたが「しばらく様子を見たら」と言い、耕平がシンパシィが連れ去られたと判断する理由を説明するのに苦労しているうちに尾津と、設計課で一番若い渋田が無線機と端末らしきものをかかえてやってきた。いつもの無理に笑顔を作らない表情で尾津は涼子に場所と電源を貸して欲しいことを頼むと、涼子は「どうぞ」と二人を座敷に上げ、さらに奥の部屋に通した。尾津と渋田は持ってきた機材を置き、コンセントにつないだ。

 いつの間にか、警察がくる前に桜井とサブは消えていた。

 夜になっても、シンパシィは帰ってこなかった。


 耕平がこたつで寝ている間のこと。

 午前中、雪で人通りも少ない商店街に40過ぎの男が一人、ふらついていた。

 朝から酒臭い。着ている服は、どれも上等なもののようだった。だが垢じみている。男は、ぶつぶつとつぶやきながらあるく。

 全部うまくいかなくなった。ぶっこわれちまった。くそ。死ね。死ね死ね。

 相場師を気取って羽振りのよかったころのことなんて嘘のようだ。あっというまにどれもこれも、持ってた株はいまや便所の紙以下。空間プロデュースなんて言ってた会社もつぶれた。あちこちの店に貸してたカネもかえってきやしない。

 債権者においかけられ、嫌気がさして全部ほうりだして手元に残った車一台に乗ってこの街に来て数日経つ。

 その男、井後は次に行く先を決めかねていた。

 どこに行くかなんてどうでもよかった。もうどうでもいい。

 持ち出したカネはもうすぐ底をつく。偽名で宿泊しているビジネスホテルの部屋にはコンビニの弁当殻とペットボトル、ビールの空き缶が散乱していた。「起こさないでください」の札を三日もかけ続ければフロントから確認の電話もくる。それすら出たくない。誰だかわかったもんじゃない。

 雪に足を取られて、よろめいた。すれ違う誰もが、気味悪そうに距離を取る。

 ふん、惨めなもんだ。

 こないだまですりよってきた連中はみんな目を三角にして「返せ、返せ」だとさ。はは、ばっかじゃねぇの? ないものはない、返せません、っと。ははは。

 捜索願も出てるだろう。警察に通報される前にはホテルも出ないといかんが、とにかく、酒だ。まずは酒だ。ははは、もうどうでもいいよ。いつでも逃げられるようにすべての財産は車の中。だからおれの持ち物は小銭と車のキーだけ。

 珍しく午前中に目が覚めて、酒が切れていることに気づいた井後は、あちこちぶつかりながらホテルの部屋のドアをでて、買い出しに出ていた。フロントに鍵も預けずに外に出た時に雪が積もっていることを初めて知った。

 ビルの多い、栄えてるほうは誰が居るかわからない。今日はこっちの、さびれてるほうを探検だ。ははは、おれに似合いだな。

 よろよろと踏切を渡り、そのうち酒屋を見つけた。看板には川澄屋と書いてある。のぞくと小学生くらいの女の子がひとりで店番。少し開いた障子戸の向こう、奥の座敷では店の若いヤツがこたつでごろ寝しているのが見える。

 ふん、あいつ、いい身分だな。ここでいいか。店出るときに難癖でもつけてやるか。

 井後がガラス戸を開けて入ると、店番の子が「いらっしゃいませ!」とさっきまで下を向いて絵を描いていたのをやめて顔を上げて元気に言う。

 うちの子、いや、もうあいつの子だが、同じ年くらいか。くそ。

 じろりと店番の子を見て黙ったまま店に入り、冷蔵ケースを覗く。ビールって感じでもない。部屋で燗して日本酒だな。妙にそのへん充実している店だし、こっちにするか。

「お客さん、今日は吟醸のいいのがはいってますよー!」

 よく仕込んであるであるじゃねぇか。そんなにこっち見るなよ。おれなんか。でも、そういやひさしぶりだな、こんな子と話すのも。聞いてみるか。

「そうかい、どのへんがいいんだい?」

「おじさんの目の前、その米爽っていうの、しーちゃんわからないけど、みんないいなっていってます」

「ほぉ、これねぇ」

 奥の男、よく寝てやがる。あんなでっかい声で元気よく話してるのに寝っぱなしだ。

 そうだ。今ならカネ、レジにあるぶんだけでも。

 いや無理だ。あの子が騒いだらあっというまにあいつは起きるだろう。それにこんなチンケな店の売り上げ、たいしたことねぇ。

 でもこれはチャンスだ。

 いまなら、こんな天気で人通りも少ない。はは、自滅するならするまでだ。おれ、もう終わってるんだし。運試しに、いいじゃないの、こういうのも。

 よし。

「じゃぁ、おじちゃんこれがいいな。でもこれ、高いんだろ?」

「はい、でもおいしいらしいですよ」

「そうかー。じゃぁ、これ三本もらおうかな」

「ありがとうございます!」

 おいおい、レジから出てくるなよ。まだだよ、まだ。

「じゃぁさ、お酒、重いから、おじちゃんの車持ってくるから、ちょっとまっててね」

「はい、じゃぁ待ってますね」

「あぁ、しーちゃんだっけ?、いい子だね。すぐくるからね」

「はい、しーちゃん待ってます!」

 よし、いい調子だ。

 レジカウンターに積んである店のチラシを一枚とって店を出る。電話番号も書いてあるのを確かめて、まっすぐホテルに戻らず店の脇の路地を入る。軽トラックが泊めてある店の裏側の道。ここから歩いて、そうか、こういう道筋か。

 踏切を渡りホテルに戻る途中、コンビニでガムテープを一巻き買って部屋に戻り、包み紙を破って捨てた。

 急いでシャワーを浴び酔いを覚ます。

 この計画はなかなかいいぞ。そうだ、身代金だ。場合によっちゃ、おれはこれで復活だ。カネさえあれば、なんとでもなる。そうだよ。カネだよ。ひゃっほう。

 もう何度もつかって床になげっぱなしの湿ったタオルを拾い上げ身体を拭いて、部屋を出る。エレベーターの中で自分の息の匂いを確かめた。念入りに歯磨きしたし、酒の匂いはしないな。よし。

 フロントで宿泊代を精算して地下の駐車場へ。車を出す前に30センチくらいの長さにガムテープを切って、上着の裏に貼る。巻いてある分も、引き出しやすいようにテープの切り口を少し出して粘着部をあわせておく。それを助手席の上に置いて、出発。

 踏切をわたり一回商店街をつっきるときにスピードを緩めて店をちらと覗く。あの子、レジの上にもう三本用意してやがる。男はまだ寝てるよ。ばっかじゃねぇ?

 少し先の路地をはいって、さっき確認した店の裏に車をとめた。

 店に入る、店番の子はにこにこして出迎える。

 しーちゃん、に、裏に泊めてある車にお酒運んでよと頼む。はい、と、まず一本もってはこびはじめる。一升瓶だ。両手に持って重そうだが好都合。

 いっしょに出る。しーちゃん、力持ちだね、えらいね、と話しながらあとを追う。

 助手席の前。ちょっと待ってね、鍵、あけるから。

 助手席を空ける。席の上にはガムテープが一巻き。

 おっとごめんよ、とガムテープを手にとって彼女のうしろへ。大事なお酒だから、そっとおいてね。そうそう、そう、ゆっくり。椅子の上に寝かして。後ろに立つ。

 今だ!やれ!

 ガムテープの巻物を持った右手で上着の右内側を開き、左手ではりつけてあったテープをはぎ、後ろから彼女の口に貼る。

 びっくりして両手が離れて酒瓶がシートに落ちる。音はしない。うめき声が聞こえるが無視。

 そのまま手を回して、左手で右手にもったテープをのばして腕を身体ごとしばる。

 あばれるなよ。暴れるなって。殺しゃしないよ、おとなしくしろよ。

 上半身を助手席につっこませ、テープを切る。今度は足。ぐるぐる巻いて固定。手を入れて上半身を少し起こして、シートの座面に上半身がうつぶせになるように身体全体を無理矢理つっこむ。ドアをしめ、よし、終わった!

 左右を見るが、人影はない。完璧だ!

 フロントから回って運転席に乗り込む。

 おい、そんな眼でおれを見るなよ。眼にもガムテープを貼って目隠し。鼻は出しておいてやるよ。死ぬからな。後ろのシートに手を伸ばして、丸めておいてあった寝泊まり用の毛布を助手席に投げるようにしてかぶせた。

 エンジンをかけ、乱暴に発進。

 よし!30秒くらいか?完璧だよ、完璧。とりあえず、この近辺から離れないと。

 踏切を渡り大通り側に。そこからは信号も無視して逃走する。

 ははは、運が向いてきたかも。完璧だよ!


 耕平がサブに起こされたのは、その十数分後。

 そのころには、ぬかるみ道を慎重に運転する車をかき分け、井後の車は遠く離れていた。


「つまり、その子は本籍とか本名とか言う前に、ロボットだってことなんですな?」

 夜9時をすぎて、やっと警察は誘拐事件かもしれないという前提で刑事を出し始めた。川澄屋の座敷でちゃぶ台につき、初老の刑事は耕平と尾津からシンパシィについての話を聞いてメモをとり、手帳を閉じた。


 刑事は、事の内容と目の前の者達の様子に、自分のこれまでの経験が役に経たないことと、面倒な気持ちを持ちつつ内心でため息をついた。

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