(3)
なぜそんな返答をしたのか、耕平自身もわからなかった。
だが、言ってしまった。玄関口の若い衆がざっと、無言で一斉に耕平の方をむいた。その一瞬で、彼らの雰囲気はさっきまでの楽しげなものから変わった。その中でシンパシィはきょとんとしている。
桜井は名刺を差し出した姿勢のまま、しばらく耕平の眼をじっと見る。そして、ふと息を抜いたように、にこりとしてから顔を玄関先の若い衆に向け、「なんでもない、納めろ」とでもいうように視線を投げた。
それが号令だったかのように、若い衆は一瞬でわき上がった暴力的な雰囲気を消し、シンパシィに向き直り「なんでもねぇってよ、へへ、で、チャンバラってな」と、彼女との話にもどった。
桜井は耕平に視線を戻した。
耕平は顔を青くして、小さく「すみません」と謝った。それに桜井は「いや、こっちこそ、失礼した」と名刺とケースに戻し、それをさらに内ポケットにしまいながら真面目な顔でつぶやく。そして、思い直したように、また、にこりと笑った。
桜井は、じゃぁ、これだけは、と言葉を続けた。顔を変えずに。
「耕平さん、あんた、正しい。だが、あたしら半端もんだがたいして怖くはない。本当に怖くて、始末に負えねぇのは堅気の衆の中にいらっしゃる。さっき言ったきな臭い連中ってのはそういうやつらだ。そういうのに、お気をつけなせぇ。それだけはおせっかいですが、お伝えさせてもらいますよ」
「…」
「じゃぁ、今日は配達ご苦労さん。また、店の方にも行かせてもらいます」
配達は終了した。帰り道。
空になった台車をがらがらと押し、夕暮れの商店街を耕平とシンパシィは歩く。
軽くなった台車をシンパシィは楽しそうに、「全速前進!」とひとりで押して進めていた。それでも耕平の歩く速度程度だ。彼女は、ときおり通りすがる商店主や子供から、しーちゃん、しーちゃんと話しかけられ、そのたびに立ち話をし手を振って別れた。
耕平は、さっきの桜井の話を思い出しながらその後をついてゆき、立ち止まり、自分も会釈をし、また歩く。
他社の、シンパシィみたいなマシンもこの街にきているらしい。
妙なからくりって。
それに、本当に怖い堅気の衆、って、なんだよ。
よくできた新製品の運用テストを他の会社もやってるってだけならまだしも、、なにか自分の知らされていない大事な、あまりに大事なことがあるんじゃないか?。
そんなことを思いつつ、シンパシィの後ろ姿を見守り歩く。追い越さないように、ゆっくりと。
川澄屋に戻り、台車を返してシンパシィの手を引いてアパートに帰宅したのは午後7時を過ぎたころだった。
もう日も短くなってきている。アパート前の公園を突っ切るときには、姿は見えないが優しげな虫の声が秋の訪れを教えていた。いつも通りシンパシィと耕平は薄暗くなった中、手をつないで帰る。
いまや、軽量鉄骨のこのアパートは二階部分も含めて耕平以外の一般人は誰も住んでいない。耕平の部屋以外は、すべて詰めているエンジニアの宿直室や機材置き場、作業場などに改装されている。
耕平はアパートの前につくと、自分の部屋に戻る前にシンパシィの手を引いて隣室を入り口にしている設計課分室に顔を出した。今日桜井から聞いたことを、いきなり彼らに聞くべきかどうかまだ耕平には判断がついていなかったがとにかく、はっきりさせたい気持はある。知らないままこの生活を与えられている自分自身が、なんとなくばかにされている気がしていた。そして、シンパシィのことも。
ノックして入る。すると、今日はめずらしく音琴が来ていた。部屋の中央にどんと置かれている長方形音作業デスクの上になにかの書類を重ね置いて、オフィスチェアに座っている音琴はいつものきっちりとしたスーツ姿。黙っていても鋭く硬質な雰囲気が伝わる。だからなのか、同じく部屋にいる設計のメンバーもおとなしい。
分室内は、作業用に照明が増設されている。耕平の部屋よりも何倍も白く明るい。
開いたドアに、音琴は耕平とシンパシィに気づく。
「あら、おかえりなさい。しーちゃんも耕平君も、あがってって」
と、言った。耕平はもとよりそのつもりだったが「じゃぁ」と言い靴を脱ぐ。シンパシィは、少し行儀悪く上がり口に靴をぽんと脱ぎ捨てるようにあがり、部屋の奥の方にある自席で何台ものモニターを前にしてキーを打つ尾津に「おとうさん!」と飛びついた。するとほかの設計のメンバーも音琴がいることでのプレッシャーから解放されたようにそれぞれ立ち上がり、のびをして、口々に、おかえりしーちゃん、と言いつつ彼女をかこんだ。
耕平は何層にも重ねられた入り口の下駄箱に自分の靴とシンパシィの子供靴を乗せて、あがった。その耕平に音琴耕平に話しかける。いつもの横柄な口調で。
「お疲れ様。今日はなにか、変わったことあった?」
「別に」
嘘だ。いろいろ聞きたい。だがどう聞くべきか。
そう思いつつ音琴の横の椅子になんとなく腰掛けた耕平に、「そういえば」と音琴が聞いた。机の上の書類をそそくさと束にまとめ、とんとんとそろえながら。
「ところで耕平君、今日の6時まえからしばらく、あなたたちどこにいたの?」
「川澄屋の配達で、商店街のはずれに」
「ふうん。特にその間、変わったことはなかったのね」
耕平は、桜井の言葉を思い出す。
妙なからくり。怖い堅気の衆。
そうだ、そういえばシンパシィの状態はいつもモニターされているとのことだった、それなのか?
「もしかして、その時間にシンパシィの、その、状態がモニターできなかったとか?」
「ううん、そんなことあるわけないじゃない。そんなことになったら、ここのみんながこんなに穏やかなわけないでしょ。なんとなく聞いただけよ。いいの。じゃぁいいわ」
自分から聞いたくせに、あきらかに音琴その話題を終えたがっていた。そろえた書類を、これ見よがしに帰り支度をするように、キャリア女性っぽいスーツに不似合いな、黒の大きなナイロン鞄に戻しはじめた。
このまま、それはなにかと聞いてもまともな返事が来るわけがないと耕平は悟る。それに、どういう返答がくるかわからない内容をシンパシィのいる前で聞くわけにもいかない。そして、ふと耕平は思い出す。これを聞いておかなければ。すっかり忘れそうになっていた。隣で耕平のほうもすでに見ていない、鞄の中の整理をしている音琴に、言った。
「そうだ、変わったこと、ありました。今日、うちの大学の映研のやつがシンパシィに自主制作の映画に子役で出てほしいって」
「ふうん、事前の脚本のチェックと、公開前にチェックをいれられればいいわよ。別に」
「え?いいんですか?」
まるで、検討済みの内容に返答するかのような即答だった。耕平は拍子抜けした。音琴は、鞄の中を整理し終えたようだ。しゅ、とその口のチャックを閉めて立ち上がった。
シンパシィは坪倉と岩本につれられて「お風呂」にいくところだった。お風呂といっても、シンパシィの髪や肌の汚れを化学的に落とし、表面処理のしなおしと各種分泌液のタンクに補充を行う技術的な処置だ。二時間程度かかる。
彼女からしても気分のいいことらしく、彼女はうれしそうに「おっふろ!おっふろ!」と壁をぶちぬいてつなげた隣室へ抜けていった。
耕平は、念のためもう一度音琴に聞いた。
「じゃぁ、いいんですね。中村に返事しておきます」
「ええ、きれいに撮ってねっていっといて。いい宣伝になるかもしれないしね。尾津さんと八盾さんに相談して、彼女に無理の無いようにすすめて。じゃぁ」
聞きたいことを聞いたら全くほかに興味はない、という雰囲気をまき散らして音琴は帰っていった。
数日後。
校内ですれちがった時に耕平は中村に了承する旨の返答をした。中村はいつも通り、人前であることもなにも関係なくとびあがってよろこび踊り始めた。これでおれの映画監督への道がひらけたよ!ありがとう!と大げさになんども礼を言った。聞けば中村は就職活動もまともにやっておらず、もうこれしか道はないと思っていたらしい。
そのまま映画研究会の部室に寄って台本を事前にあずかり、設計課分室から社内便で送った。内容を確認した音琴からは特に問題は指摘されず、設計課からの要望も、尾津がいつも通りにこりともせずに言った「もしものときのために、移動整備用の車両といっしょに待機・立ち会いさせてくれ」との内容だけでOK。撮影場所がすべて学内であることだけは確認の上で、クランクイン。
その内容は、飛び級で大学に進学した天才少女とぼんくら男子学生の出会いと別れを淡い恋心と迫りくる選択との狭間をテーマに云々、というものだった。
シンパシィは最初、何人もの人たちとカメラが合図とともに全部自分に注意を向けることにとまどったが、すぐに慣れた。
彼女からすれば演技するということは、ごっこ遊びだととらえたらしく、楽しんで喜怒哀楽を表した。恋心というものを実感したこともなく、また、シンパシィの人工知能を設計した八盾の話では「まぁ、しーちゃんには…そういうのはないとおもうよ。これからも」ということでもあったから、そういうシーンでは純粋に表現方法だけを涼子に演技指導をその場で受けてこなした。
その涼子の指導が、経験則に基づいたものなのかどうかが妙に気になる耕平ではあった。
撮影は二週間ほどで無事にすべてのカットを収録し終わった。
さらに二週間が経ち、シンパシィの姉で保護者ということで試写に訪れた音琴も特に文句を言うこともなくOK。彼女からすれば数回立ち会いにきていたときにエキストラで出演していたカットが使用されていたことで満足なようだった。
結果、そのアマチュア映画「ままごと陽炎」は予想以上の評価を得てフィルムコンテストで優勝。中村には次回作の制作資金と映画監督へのパスがひらかれた。普段、エキセントリックな男として有名だった中村は、だが間違いなく映画を撮ることにかけては何かが出来る男であることを証明した。
コンテストの主演女優賞にも選ばれたシンパシィだったが、これは「本人が匿名を希望するため」とのことで辞退。
幻の子役女優Sとしてだけ、記録にのこることになった。
(この章終わり。次章に続きます)