ゴーレム
王都に到着したアベルは、くたくたに疲れ果てていた。
「暑い……」
アベルは犬との戦闘を終えた後、一晩かけて王都までたどり着いた。
イーアリウスは王都だけあって、建物の一つ一つが大きい。高いもので、四階建てだ。道の殆どが石で舗装され、一定間隔を置いて街灯が立ち並んでいる。行き交う人々の種類も様々で、大荷物を持つ商人、馬を連れる旅人、質素な布のワンピースを着た女性。その誰もがアベルにとって珍しかった。
しかし、無事到着したはいいが、森の木々のように、日光を遮断する物がない街中だと、太陽の熱い光が直接当たり、アベルの皮膚から蒸気が出かけていた。このままだと干からびてしまいそうだ。アベルはおぼつかない足取りで、たまたま目に入った「宿屋・フランソワ」に入った。もはやゆっくり寝られれば何処でもよかった。
宿屋フランソワは石造りの二階建てだ。少し狭いが清潔で、店全体に手入れが行き届いているようだった。アベルは宿屋備え付けのレストランで軽く食事をとり、部屋に荷物を置いてから風呂に入った。
脚の筋肉が悲鳴を上げている。吸血鬼とはいえ、限界もあるようだ。アベルは部屋に戻ってベッドへ飛び込むなり、あっという間に深い眠りに落ちた。
外の騒がしさにアベルは目を覚ました。何事かと思い窓を開けると、人々が同じ方向に走っていた。それもかなり怯えた様子で、何度も後ろを振り返っている。何かから逃げているようだ。
アベルは窓から首をだし、じっと街中を見つめながら、バスタードの柄に触れた。耳を研ぎ澄ましていると、「ゴーレムだ!」と誰かが叫んだのが聞こえた。
ゴーレムとは魔法使いが造りだし、使役する人造魔物だ。その行動原理は常に魔法使いの命令にあり、命令次第では殺人もいとわない。
(やってやるか)
今のところ、兵士が救助に来ている気配はない。アベルは窮屈そうに窓から外へ出た。着地の際に足を軽く痛めたが、気にせずにゴーレムの元へ向かう。人の波を逆走するアベルは、時折邪魔だとどつかれたり、危ないよと引き止められたりしたが、聞く耳を持たなかった。
アベルの視線の先では、巨大な人型の魔物が、付近の建物を殴りまくっていた。その身長は宿屋フランソワよりも高く、アベルのところまで石壁が破壊される衝撃が響いた。
(何故、こんなところに……)
アベルは怪訝に思いながらも、鞘からバスタードを抜いた。寝起きだからか、少し重い。だが、体調不良を言い訳にしている場合ではない。
「うおおおお!」
声を上げながら、ゴーレムに向かって走る。ゴーレムの弱点は額。そこに貼られた羊皮紙を剥がせば、ゴーレムはただの泥の塊へ戻る。ゴーレムは泥や粘土から作られているのである。
(店の屋根を踏み台に、ゴーレムの額へ跳び、剣を振るう!)
アベルは走りながら単純な作戦を考えていた。
(まずは店の屋根を踏み台にする!)
気合を入れて跳んだアベルだが、微妙に高度が足りず、勢いよく屋根に腹をぶつけ、体がくの字にしながら地面に落ちた。
ゴーレムはゆっくりと彼の元へ近づいてゆき、巨大な拳を振り下ろした。
「くっ!」
飛ぶように避けたアベルは、そのままごろごろと回転した後、体勢を整え剣を向けた。ゴーレムとの距離は目と鼻の先だ。
ゴーレムは石で出来た目でアベルを見下ろした。そしてゆっくりと右足を上げ、踏み潰す。その動作には何の感情もこめられていなかった。ただ、目の前のアリを踏みつぶすヒトのように。
アベルは鼠のような素早い動きで踏みつけをかわし、軸足を斬りつけた。
ガッキーン。弾き返された。
(やはり、額を狙わないと駄目か!)
アベルは辺りを見渡し、踏み台にできる物を探したが何もなかった。再度、ゴーレムの拳が飛んできた。なんとか避けたが、足がもつれた。
(昼だと力があまり出ないみたいだな……)
昨晩、犬と戦った時よりもずっと剣が重い。息も乱れている。アベルはわざわざ戦いに出向いたことを少し後悔した。そんな時、アベルは視界の端に、うつ伏せで倒れている女性が映った。黄土色のワンピースが赤黒く染まり、地面にはこすりつけらたような血の跡がべったりとついていた。
アベルはゴーレムを睨んだ。剣を握る力が強まる。
(力が出ないとか、関係ねえ。こいつは、絶対にここで食い止める。俺が戦っている間に、兵士が来てくれるはずだ。)
アベルはゴーレムの周りを反時計回りに走りながら、その関節の一つ一つを注意深く観察した。目の前のゴーレムは全身が粘土でできており、それが固まり高い硬度を実現している。しかし動く時だけ、関節部の粘土を溶かしている。アベルはそこに目をつけた。
ゴーレムの、薙ぎ払うような右フックがアベルを襲う。アベルはベリーロールで拳を飛び越えながら、バスタードで肘関節を斬った。泥を斬ったような手ごたえがあった。着地した後、ゴーレムの肘を確認する。右腕は千切れかけていたが、切り口から細かい粘土が滝のように噴出され、瞬く間に接合された。
(やっぱ、斬り落とさなきゃ駄目か……)
アベルが次に目をつけたのは足首だった。下半身の支えなしに拳は振るえないと考えたのだ。しかし、狙おうとしてもどうもうまくいかなかった。上半身が動いている間は足もとに回り込む速力が足りないし、下半身からの攻撃、すなわち踏みつけや蹴りは、そもそも一度も使われなかったのだ。
(警戒してるのか……?)
アベルは既に肩で息をしていた。汗が滴り落ちる。防戦一方であった。
その時、蹄の音が聞こえた。アベルは振り返った。数頭の馬の上に、銀色の鎧を纏った騎士が剣をかかげていた。兵士が来てくれたのだ。一瞬、アベルは安堵したが、それは本当に一瞬のことだった。騎士の鎧の胸部を見た瞬間、彼の顔はみるみる青ざめた。
金色の十字架。チャペル教会騎士団の紋章である。
チャペル教会騎士団の存在意義の一つとして、邪悪な魔物……すなわち吸血鬼やアンデッド等の殲滅というのがある。邪悪な魔物は「悪魔」とも呼ばれ、教会騎士団の操る聖なる魔法は悪魔を殺すのに非常に適しており、アベルがくらえば一瞬で灰にされてしまうだろう。
「今行くぞ!」
先頭で白馬を走らせている騎士が叫んだ。驚くことに、声は女性のものだった。
しかし騎士の性別などは関係なく、アベルはこの場にいてはまずいと悟った。
「ライト・グラビティ!」
女騎士が叫ぶと、彼女の身体がふわりと宙に浮いた。重厚感溢れる鎧がゴーレムの頭上目がけて飛んでいく姿は、やたら遅い大砲のようだった。
「はあっ!」
一閃。鈍い音が響いたかと思うと、ゴーレムの体がぼろぼろと崩れ落ち、ただの粘土の塊になった。
女騎士はその上に着地した後、兜を上げた。
「君、中々いい腕をしているじゃないか」
その言葉は、他でもなくアベルに向かってかけられたものだったのだが、当のアベルは忽然と消えていた。
「……あれ?」
女騎士はアベルを探そうと歩き出したが、粘土に足を取られ盛大に転倒した。女騎士が顔に粘土を付けながら立ち上がった時にはもう、アベルは宿へ戻っていた。