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2話 ヘルハウンド

 アベルは驚いていた。自分の体力、そして速さに。人は吸血鬼を含め、人ならざるものは総じて魔物と呼ぶが、魔物の殆どがヒトの身体能力を凌駕すると言う。アベルも知識としてはそのことを知っていたが、いざ体験することになるとその差がはっきりとわかる。

 既に30分、全力で走り続けているが、多少息が乱れるだけで速度が落ちる気配がない。夜目も利き、暗闇であろうと数百メートル先まで見えた。

 このままだと、野宿をする必要すらないかもしれない。と、アベルは走りながら安堵していた。


 野宿。それは簡単にできることではない。深夜の森は夜行性である魔物が低回し、隙あらば旅人を襲う。そのため最低でも二人以上で行動し、どちらかが寝ている間どちらかが起きて見張りを努め、身を守る、というのが旅人の基本だ。

 しかしアベルは一人である。此処、イーアリウスの森は元々魔物が少ないことに加え、王都が近く、定期的に魔物の討伐が行われてることもあり、魔物の出没情報は少ない。とは言え「出ない」と断言はできないため、アベルにとってこの森で野宿することは少々の危険を伴っていたのだが、それは杞憂に終わりそうだった。


 その時、アベルは急に立ち止まった。剣を抜き、猛獣のような目つきで辺りを見回す。

 何かがいる。

 

(姿を見たわけでもない、音を聞いたわけでもない。ただ、何かがいる! その何かは俺を殺す機会を伺っている!)

 

 アベルは上体の力を抜き、周囲に神経を集中させた。

 数秒の静寂。それを破ったのは、森から現れた黒い犬だった。


「グルルルルッ」


 アベルの身長ほどの大きさもあろうかというその犬は、口から赤い液体をまき散らしながらアベルに飛びかかった。すかさず剣を振るう。空気を切り裂く轟音が響く。犬が剣の届かないギリギリで方向を変えて避けたのだ。

 犬が素早く回り込む。アベルは慌てて構え直そうとしたが、犬はそれを待たなかった。二度目の飛びつきだ。

 アベルは体を時計回りにねじり、犬の牙をかわした。そしてそのまま、剣の鍔を犬の側頭部にぶつける。


「ギャイン!」


 かなり距離が近かったため刃で攻撃、とまではいかなかったが、鍔は中々綺麗に当たってくれた。犬は大きく吹き飛んだが、アベルが安心する間もなく立ち上がり、再びアベルの周りを走り出した。その躍動は犬や狐の、生命力溢れた力強さと言うよりは、アンデッドのような、いくら斬っても死なない不気味さや恐ろしさがあった。

 次こそは捉える。アベルは犬から一瞬たりとも目を離さずに、犬の動きにあわせて体の向きを変えた。犬はアベルから5メートルほど離れた円を三周した後、三度目の攻撃を図った。


「うおおおおお!」


 研ぎ澄まされた一撃。バスタードソードの巨大な両刃が、犬の首を狙う。しかしバスタードが切り裂いたのは、またもや虚空だけであった。


「グルルルルルルルァ!」


(しまった!)


 跳躍。犬は高速の斬撃を飛び越えた。そしてその走力が、高さだけでなく距離も生み出した。アベルはバスタードで防御しようと試みたが、一度全力で振りぬいた両手剣は簡単に引き戻せるものではない。

 ぐさり、と、犬の牙が突き刺さった。


「あっ……危ねえ……」


 アベルの首すじを狙った噛みつきだったが、咄嗟に左腕を出すことで牙の刺さる対象を換えた。ひとまずは危機を乗り越えた、と思いたいところだが、その牙が皮膚に深々と突き刺さり、激痛を与えることに変わりはない。


「こいつは、まずいな……」


 アベルは痛みに顔をしかめながら、噛みつく犬を剣で振り払おうとする。しかし全く離れず、まるでアベルの左腕の一部になってしまったかのようだった。二本、三本と赤い液体が流れ落ちたが、それが自分の血なのか犬の涎なのかはわからなかった。

 

「これならどうだ!」


 アベルはバスタードを逆手に持ち替えてから、犬の眼を突いた。


「グギャン!」


 顎の力が緩んだ。急いで引き抜く。肉が千切れ、痛みの余り涙が滲んだが、耐えた。犬は眼から血を流しながら、アベルの目の前で暴れ回っていた。アベルはバスタードを握り直し、振りかぶった。

 その斬撃は、犬の首を完全に捉えた。刃が肉を抉る感触が剣の柄から伝わったが、切り裂いた、と言うよりは殴った、に近い感触だった。即死だろうか、犬は肉の塊となったように吹き飛んだ。そして木にぶつかって、ずるずると幹に血をつけながら根本に横たわった。

 アベルはふらふらとした足取りで、犬に近づいた。犬の首は、両断とまでは行かないものの大きく切り裂かれ、骨や食道まで見えていた。さすがに生きているとは思えなかったが、念のため剣を垂直にして、犬の脳天を貫いた。


 左腕の痛みで意識が朦朧とする。アベルは鞄を下ろし、右腕で中を漁った。まず取り出したのは、水の入った袋。器用に右手で開けてから、左腕にかけた。


「ぐあああああああああ!」


 絶叫。水が傷口に染みてゆき、激痛を与える。

 アベルは水袋の半分ほどを腕にかけた後、再び鞄に手を入れた。次に取り出したのは、診療所から拝借した液状の傷薬である。アベルは口で瓶の蓋を開け、中身を左腕にかけた。


「ぐっああああああああああああああ!」


 更に強い痛みが走る。アベルは傷薬を全てかけ終えると、空になった瓶を投げ捨てた。アベルは木に寄りかかり、ずるずると座り込んだ。


(痛すぎて動けん。というか、もう動きたくない……)


 アベルは空を見上げた。枝と葉の隙間から、たくさんの星が覗いている。


(こんな犬コロ一匹に苦戦しているようで、あの吸血鬼を倒せるのだろうか……)


 そうやってしばらくの間、アベルは空を眺めていた。そうしている内に眠気がやってきて、そのまま眠り込んでしまった。


 

 日が昇った頃目を覚ましたアベルは、自分の腕の傷が治っていることに気がついた。

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