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1話 旅立ち

 村のはずれの丘で、アベルは静かに目を開けた。背の低い草が頬に当たる。灰色の雲が空を覆い尽くしていた。

 上体を起こす。眼下に広がるブドウ畑、点々建つ三角屋根の家。いつものトスウハ村だ。

 これは夢なのだろうか。

 足もとに咲いている紫の花を引っこ抜き、顔に近づける。茎の感触、酸っぱい匂い。それは夢にしては鮮明すぎる感覚だった。

 これが夢でないなら、あの吸血鬼が夢だったのだろうか。


 そうだ、そうに違いない。俺は悪夢から解放されたんだ。吸血鬼も、グールもいない! 平和だ! 平和な日常が戻ってきたのだ!

 両腕を高らかに挙げる。きっと、夜遅くまで剣の素振りをしていたらそのまま眠ってしまったのだ。早く家に戻ろう。

 そう思ったところで、腰についた鞘が空であることに気付いた。中身は何処へ行ったのだろうか。辺りをぐるりと見回すと、草の隙間にバスタードソードが見えた。それを拾おうと手を伸ばした時、体が固まった。


 奥の草むらだけが、赤黒く染まっていた。それは見紛うことなく血だった。それが誰のものなのか、アベルにはわからなかった。


 震える手で自分の首筋に触れた。ざらりとした感触。瘡蓋だ。撫でるように指をずらしていくと、同じような瘡蓋が六ヶ所できていた。


「吸血鬼は、魂の奪った者の肉体を使役できるのだよ」


 頭の中で、吸血鬼の台詞がはっきりとリピートされる。牙が首の中へ埋もれていく痛みもはっきりと思い出す。やはりあれは夢ではなかった。確かに吸血鬼はいた。そしてアベルの血を吸った。


 では何故、俺は生きている?


 ある人はいきなり首を噛まれ死んだ。またある人は剣で腕を切り落とされてから首を噛まれた。マリーズとドニスは剣で腹を刺されてから噛まれた。目の前で繰り返された惨劇が、何度も何度もアベルの脳内を流れた。血の臭い。悲鳴。全てが鮮明に思い出される。


 みんな死んだ。みんなグールになった。俺だけが生き残った。


 花の香りも、心地よい風も、美しい緑も、感じ取れるのは自分だけ。

 どれだけ空が青くても、どれだけ酒が美味しくても、感じ取れるのは自分だけ。

 全て、自分だけが独占しているのだ。アベルは自分自身が憎くて憎くて仕方なくなった。

 絶望。そして罪の意識。それらが重なり合い増幅し、ビールの泡のように膨れ上がる。アベルは発狂した。そしてこう言った。


「どうして、俺だけが生き残ってしまったんだ!」


 いくら嘆き叫んでも答える者はいない。




 アベルはその後、村中を走り回った。生き残りがいるかもしれない。吸血鬼は次々と村人の血を吸って行ったが、どこかに見落としがあってもおかしくない。そう踏んでの行動だった。


 畑、倉庫の中、橋の下、屋根裏。村中を探し回った。しかし誰も見つからなかった。あるのは誰のものかもわからない血痕のみ。アベルは落胆し、自宅へ戻った。

 アベルが自宅の捜索を最後にしたのは、とびきりの希望を残しておきたかったからかもしれない。


「ただいま」


 答える者はいなかった。家に入った瞬間、アベルの目に飛び込んできたのは、赤黒くで汚れたカーペットと、噴きつけられたように壁にこびりつく血の跡だった。

 アベルの両目から大粒の涙が零れ落ちた。両親の死。予想通りとは言え、彼の落胆は筆舌しがたいものがあった。


 アベルは自室のベッドに潜り込み、数分泣いた。泣いている間は時間が永遠に過ぎているように感じた。おもむろに外を見ると、雲の隙間から太陽光が入り込んでいた。

 アベルは多少落ち着きを取り戻し、仰向けになって自分のおかれた状況について考えた。


 何故自分だけが生き残ったのか。それが最大の疑問だった。

 吸血鬼が殺し損ねた、と言うことは有り得ない。吸血鬼はアベル以外の全員を完璧に吸血した。魔法使いのマリーズや、戦士の才があるドニスならともかく、単に元気が良いだけのアベルに対してのみしくじるとは考えられない。

 自分が吸血されたのは間違いない。では、グールになってしまったかと言うとなっていない。グールは魂のない、ただの抜け殻なのだ。アベルは部屋の鏡に映る、吸血鬼にやられた時と同じ服を着た自分を見て、間違いなくアベル・フェルマーの肉体だと確信した。

 ヒトでもない、グールでもない。となると、自分は「何」か? アベルの中に、一つの答えが浮かんだ。


 吸血鬼。


 吸血鬼に血を吸われた者もまた吸血鬼になると言う。そんな伝説を耳にしたことがあった。

 吸血鬼に血を吸われたら死ぬだけ、と言うのがアベルを含めた多くの人々の見解だったため、所詮は噂に過ぎないと思っていた。

 しかしヒトでもグールでも自分の身に説明がつかないことを考えると、これしか考えられない。


(俺は、吸血鬼になってしまったのか? まさか、そんなはずはねえ。と言うか、考えたくねえ、あんな大量殺人鬼と同じ存在になっちまったなんて。ただでさえ俺一人が生き残ったことに対して責任を感じていると言うのに、それも憎い吸血鬼として生き残ってしまったとしたら、俺はもう自害した方がいいかも知れん)


 アベルは起き上がり、吸血鬼であると証明する方法はないかと考えた。

 その方法は、すぐに思いついた。


 アベルは庭へ出た。檜のベンチに腰かけ、空を見上げた。日光が雲を蹴散らし、青空を広げている。吸血鬼の証明方法は簡単である。日光を浴びて平気であったら人間、平気でなかったら吸血鬼。吸血鬼の弱点は太陽の光なのである。

 アベルが起きた頃は村の一部を照らすだけの日光だったが、徐々にその面積をひろげ、今となっては村全体に降り注いでいる。

 アベルは服を脱ぎ、上半身だけ裸になった。その後は、黙ってブドウ畑を眺めていた。


 特に何事もなく時間が過ぎた。十分ほど経ったあたりで、アベルは体が妙に暑いと思ったが、人間でもこれだけ日を浴びて入れば体温ぐらい上がるだろうと特に気にしないでいた。

 しかし一時間経ったところで、その暑さが痛みに変わった。じりじりと肌を焼く日光が、体中の水分を搾り取られているようだった。

 それでもアベルは日陰に逃げ込まなかった。そうすることは、自分が吸血鬼だと認めるのと同じことなのだ。

 三時間も経つと、アベルの意識は朦朧としていた。息が荒くなり、皮膚から蒸気が上がっていた。もちろん蒸気を放つ人間などいない。


(これは、吸血鬼だな)


 一時間の激闘の末、ようやく観念したアベルだったが、依然として日陰に行かなかった。それは憎むべき存在である吸血鬼になってしまった自分を焼き殺したいと思ったからである。だが、薄れゆく意識の中で、アベルは吸血鬼の言葉を思い出した。



「彼らは冥界には行けない。哀れな村人どもの魂は皆、私の元に残り続けるのだ。永遠にな!」



(そうだ……こんな所で寝てる場合じゃないな)


 アベルは家へ入ろうとした。しかし足に力が入らず転ぶ。


(俺が……皆の仇を討たなくては……)


 身体を包み込むほどの蒸気を放ちながら這う。目指すのは壁際。三角屋根と壁で、狭いスペースながら影があるのだ。

 動くたびに呼吸が苦しくなる。それでもアベルは這うのをやめない。


(こんなところで……死んでいられるか!)


 全身全霊の力で身を投げ出す。アベルは転がりながら壁に激突した。

 太陽の光が当たらなくなると、焼けるような痛みは消えた。蒸気も収まった。

 顔や上半身に湿った土がついた。不潔と言うよりも、冷たくて気持ちが良い。


「吸血鬼だからってなんだ。俺は人間だ。体は変われど、魂は人間のままだ。たとえ太陽に弱くても、ちょっとインドアな人間として生きてやる。その前に吸血鬼、てめえを殺す。そして皆の魂を解放する。絶対にだ」


 体に泥をつけた、アベルの信念だけが太陽のように熱く燃え盛っていた。



 アベルは復讐の決意した後、旅の支度を始めた。問題は、吸血鬼が何処へ行ったかがわからないことだ。誰かに聞こうにも村にはアベルしかいない。そこでアベルは王都であるイーアリウスへ向かうことを決めた。イーアリウスは多くの商人や冒険者などが集まる大都市で、情報を集めるのに適しているのだ。

 荷物を鞄に入れていると、段々と眠気が襲ってきた。吸血鬼は夜行性であるため、昼は寝るべきなのだろうか。そんなことを考えながら、傷薬が入った瓶を鞄に入れたところで、アベルの意識はすとんと落ちた。


 目が覚めるとすっかり日が暮れていた。アベルは慌てて準備を再開した。荷物を詰め終えたら、バスタードソードを念入りに手入れする。吸血鬼と戦った時のことを思い出し、ため息をつく。全くお話にならなかった。果たして今の状態で吸血鬼と対峙したところで勝てるのだろうか。


(まあ、なんとかなるか。と言うか、なんとかしてやるさ)


 アベルは剣を鞘に収めた。すっかり遅くなってしまったが、散々寝たことで夜通し歩けそうだったので、早速出発することにした。 

 ランタンを片手に家を出る。村はすっかり暗くなっていたが、暗さの割には良く見えた。吸血鬼になったことで夜目が利くようになったのだろうか。

 アベルは後ろを振り返らずに、どんどん歩いた。幼い時から今に至るまで、何百回通ったかもわからない道を歩く。見慣れた木、見慣れた家、見慣れた花々。今まではただの風景と捉えていたものたちが、途端に愛しくて仕方なくなった。足を速めた。それでも鬱陶しく絡みついてくる景色を振り払うかのように走った。アベルはいつの間にか全力で走っていた。門を抜け、森に入る。


(じゃあな、トスウハ村……)


 心の中で、故郷に別れを告げて。


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