迷い
「思わぬ収穫だな」
アベルは金貨が入った袋を大事そうに抱えながら、通りを歩いていた。
盗賊団ニコラウスの集会所を叩き潰したアベルは、ギルドからの報酬として、しめて百万カネーを手に入れたのだ。
「私にも感謝しなさいよ?」
「もちろん、感謝しているさ」
正確には、受け取ったのは正式に傭兵として登録しているウルリカだ。
引き渡しを彼女に任せることで、吸血鬼であるアベルはギルド役員との接触を避けられるのだ。
「それでアベルはその大量のお金をどう使うつもり?」
「そうだなあ……」
「遠慮しなくてもいいわよ」
「何を期待しているのか知らんが、とりあえず遠慮しておこうかな」
アベルが金の使い道について考えていると、一人の少女が目に入った。
身長はアベルの腰ほどで、薄生地のワンピースを身に着けている。少女は短い両手で籠を抱えて、澄んだ瞳で二人を見上げた。
「花、いかがですか?」
籠には、隙間なくひしめく黄色い花々。その皮肉な美しさに、アベルの足が止まった。
「一本いくらかな?」
アベルは長い背筋をくの字に曲げて、少女の双眸を覗き込んだ。
「さ、三百カネーです!」
少女は驚きと喜びの入り混じった声で答えた。
「じゃあ三本貰おうかな」
「は、はい! 九百カネーになります!」
少女はいそいそと、慣れない手つきで花をまとめた。その間ウルリカが不満を言っていたが、アベルは緩やかに受け流した。
「どうぞ」
「ありがとさん」
そして花束を受け取ってから、少女の掌に銅貨九百カネー分を押し込んだ。
「お買い上げありがとうございます!」
少女は大げさに頭を下げた。アベルは右手に花束、左手に金の入った袋を持って移動を再開した。
「ねえ、アベル」
「何だ?」
「私、アベルのお金の使い方に意味があるとは思えないのだけれど」
「価値観は人それぞれだから、お前が理解できないのにも無理はない。それに……お金は持っている人がどんどん使っていかなくちゃならないだろ?」
「順序っていうものがあるでしょう。アベルは旅人よ。それも、武闘派のね。薬や食糧だけでなく、装備も必要になってくる」
「装備、ね」
アベルは包帯の巻かれた右腕を見つめた。
アベルの服装は盗賊から奪ったものだが、一般市民と大差ない。上下布製の服に、日光から身を守るローブを羽織っているだけ。一応腰には大剣を提げ、数本の投げナイフを隠し持っているが、防具の類は一切ないのだ。
「少なくとも防具は必要ない」
吸血鬼と化したアベルが武器としているのは速さだった。なまじ鎧を着ればその速さは失われてしまう。
加えて、鎧を着ていれば翼を出すこともできない。速さだけでなく翼まで失ってしまえば、一般人と何ら変わりない。吸血鬼であるメリットが一切活かされないのだ。
「投げる用のナイフを数本追加しておきたいところだな。この足で、武器屋に行くか」
「剣は?」
「替えるつもりはないな」
「十分に手入れされているみたいだけど、大きすぎてアベルの速さが活かされないわ。それに鉄もあまり上質のものでないみたいだし、そろそろ頃合いなんじゃない?」
察しの良い女だ。
「いいんだよ、これで。寧ろ、これでないと駄目だ」
「どうして? ただのバスタードじゃない」
「言っただろ? 価値観は人それぞれだって。お前には理解できなくても、俺にとってこいつは価値のあるものなのさ」
「論点を戦闘の有利不利のみに絞れば、個々の価値観は意味を為さないわ。アベル、貴方の目的は戦いによって果たされるものでしょう? だったら、何を優先させるかは明白だと思うのだけれど」
アベルは押し黙った。
「もう少し……考えさせてくれ」
ウルリカは不思議そうな顔をしていた。
*
ラシェルは教会へ続く道を歩いていた。その脳裏には先刻の記憶が途切れることなく繰り返され、彼女を憂鬱にさせていた。
敵との力量差、そして何より、生じた迷い。
ラシェルは思う。あの時逃げたのは勝算がないからではなく、戦わなくて良い理由にすがっただけではないのか、と。
「これでは、ティアに合わす顔がないな……」
晴れ晴れとしていた空も、いつの間にか灰色で覆われていた。
煌びやかな教会がラシェルを出迎えた。植物をモチーフとした装飾が施され、所々に交えた金箔が、豪華さを強調させていた。
庭の掃除をしていたシスターがこちらに気付き、恭しく頭を下げた。
「王都から、はるばるようこそお出で下さいました。イーアリウス教会騎士軽騎兵隊長、ラシェル様。ドザ教会で修道士を勤めております、オルガ・フィルマンと申します」
「ああ、よろしく。希望通り、ポーションを五十瓶持ってきた。これでは全然足りないと思うが……」
ラシェルは馬の背中から荷物を下ろした。
「いいえ、十分です。ありがとうございます! 私が運びましょう。ラシェル様は中へどうぞ」
オルガは荷物を受け取り、そう促した。
「レオ、ラシェル様がいらっしゃいましたよ! 彼女の馬を馬小屋へ!」
オルガに呼ばれた修道士の青年が教会から出てきて、了解の意を告げた。ラシェルは馬が連れて行かれるのを眺めながら、オルガに続いて教会内へと入った。
薄暗くひんやりした空間を、天井高くからぶらさがったシャンデリアと、女神を描いたステンドグラスが柔らかく照らしている。
「ラシェル隊長。よくぞいらっしゃいました」
奥の部屋から、初老の男が姿を現した。髪は身に着けている修道服よりも白かったが、背筋はしゃんとしており、逞しい印象がある。
「ドザ教会の首長を務めております、レスターヴと申します。わざわざ王都から、それも隊長直々にとは、感謝の一語に尽きますな」
「イーアリウス教会騎士騎兵隊長、ラシェル・ブランです。吸血鬼『ゼナイド』討伐作戦の協力に参りました」
「聞きにしも勝る美しいお方だ。隊長に任命されたのも頷けますな」
レスターヴ神父は微笑んで、階段に足をかけた。ラシェルは容姿と隊長就任の因果関係に首を捻りながら彼に続いた。教会は三階まで吹き抜けになっており、段を重ねるごとに景色が変わった。綺麗に配置された長椅子、ステンドガラスを通して床に映る淡い彩色――それらを見下ろしながら、ラシェルは自らの為すべき使命が、徐々に輪郭を取り戻していくのを感じていた。
案内された部屋では円卓が粛々と待ち構えていた。レスターヴ神父に促され、ラシェルは腰を下ろした。
「もう少しお待ちを。オルガが紅茶を淹れてくれるはずです」
ラシェルは頷きながら、確証はないのかと心中で突っこみを入れた。
ドザには教会騎士がいない。より適切な言い方をするならば、教会騎士は王都にしかいない。
そのため悪魔の討伐は自警団や兵士が受け持つことになるのだが、教会騎士ほどの専門性がないため強力な悪魔が現れれば手をこまねくことになる。
今回の場合「ゼナイド」がそれである。
「お茶淹れてきましたー」
ノックをして、オルガが入ってきた。左手の盆にはカップが一つ湯気を立てていた。
「すみません。お茶の葉を切らしていたので、一杯が限界でした。だから神父は、すみませんけど、我慢して下さいね」
「何ィ」
「あ、あの、私は結構なので、レスターヴ殿に……」
「ラシェル様はお気になさらずに」
オルガは柔らかな笑みを浮かべて、遠慮するラシェルの前にカップを置いた。
「せめて水を……」
レスターヴ神父が何か言いかけたところで、扉が開いた。
「修道士のレオ・バルテルミです! ラシェル隊長のお力になれるよう尽力したい所存です!」
入口付近で馬を小屋へ連れて行ってくれた青年が、勢いよく頭を下げた。
「ああ、宜しく頼むよ」
「は、はいッ、光栄であります!」
レオは緊張と喜びの入り混じった顔を上げた。短く刈られた黒髪と、巨大な体躯が白い修道服に不釣り合いな青年だった。
レオとオルガが席につくのを見てから、レスターヴ神父が咳払いをした。
「それでは二週間前に此処、ドザに姿を見せた吸血鬼『ゼナイド』の討伐作戦会議を始めましょうか」
レオが手にしていた羊皮紙を配った。そこには、ゼナイドに関しての情報が書かれていた。
「十三日前、ドザ西部で血を吸い尽くされている男性の遺体が発見されました。それを含めて四回、同様の事件が起きています。市民の目撃情報と、被害者は十代後半から二十代前半の男性のみということから、我々は近頃イーアリウスを賑わせる吸血鬼ゼナイドによる被害だと断定しました」
オルガが言った。ラシェルは彼女の声に耳を傾けながら、羊皮紙に目を通していた。
「どうやら吸血は二日おきに行われている。ゼナイドが意図的にそうしているのなら、次に現れるのは今日ということになるな」
「さすが隊長、ご理解が早い」
レスターヴ神父が目を細めた。
「今のところ分かっているのは、被害者の共通点が男前であることと、一人でいる時を狙っていることですね」
オルガが言った。
「なるほど、男前、か……」
「そう、つまり次に狙われるのは私という可能性が……」
「神父、ご自分のお年を考慮されてはいかがですか」
オルガに冷たく制され、レスターヴ神父は静かになった。
「とりあえず現在できることは注意の呼びかけと、警備の強化ぐらいでしょうか」
「それがですねラシェル様。アテナ姫が政治視察で宿泊なさるということで、兵士の大部分がその護衛に割かれてしまっているのですよ」
「……む、確かにそうだったな」
ラシェルは腕を組んだ。
「念の為聞いておきますが……この教会にいる修道士は、貴方たち三人だけなのですか?」
「はい」
「そうですよ」
「三人だけですな」
ラシェルはため息をつきそうになった。これでは逃げ回っていたゼナイドが腰を落ち着けてしまうのにも無理はない。寧ろよく被害が二日おきで済んだものだ。
「とにかく……闇雲に探しているだけでは拉致があきません。成功率に期待はできませんが、シンプルに囮を用意するというのはどうでしょう」
「それは妙案ですね。しかし、誰が囮になるのでしょう?」
「街で聞き込みをして、男前を探しましょう。護衛という名目でいけば、報酬金を出す必要もないでしょう」
「成る程」
こうしてしばらく話し合い、結論としてラシェルの案が採用された。四人は教会を出て、ドザ西部へ向かった。




