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来襲

 頭の中が真っ白になった。これは夢だ、夢なんだと自分に言い聞かせる。


「マリーズ!」


 少女の名前を呼ぶ。少女は草むらに倒れ伏せたまま、ぴくりとも動かなかった。


「アベル! 俺とお前で奴を殺すぞ!」


 隣でドニスが悲痛な叫びを上げる。その頬には涙がつたっていた。


「ドニス……」


 俺らでは倒せない、逃げよう。そう言おうとしたのだが、言葉が出なかった。アベルの了解も得ないまま、ドニスは一人で「奴」に向かって走り出した。

 鈍い音が響いた。ドニスは剣を振りかぶったまま動かなくなったと思うと、仰向けに倒れた。その腹部からは血が噴き出ていた。


「ドニス!」


 開き切った彼の眼は、まるでお前も行けと言っているようだった。アベルはだらりと肩を落とし、ドニスを斬った初老の男を睨んだ。

 何もかも呑み込んでしまいそうな漆黒の鎧。右手には、村人たちの血を吸いに吸ったロングソード。その銀色に光る瞳がアベルを映すと、「奴」は口元を歪めた。端からは牙がのぞき、血が滴り落ちていた。


 吸血鬼だ。


 ゆっくりとバスタードソードを上げる。剣越しに、吸血鬼がドニスの首筋に噛みついていた。その光景はまるで狼が兎を喰うような、根本的な種族の差を表しているかのようだった。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 喉が張り裂けんばかりの咆哮と共に走る。

 金属と金属がぶつかり合う音。大岩に剣を立てたような重い衝撃に、腕がびりびりと痺れる。


「無策のようだな。諦めたのか?」


 その吸血鬼の問いは、質問と言うよりは確認に聞こえた。


「……ああ、諦めたよ」


 吸血鬼が口を開く前に続けた。


「頼みのマリーズが死んだ時点で俺に勝機はなかった。唯一残された策は逃げるというやつだったが、てめえからは絶対に逃げ切れねえ。どうせ死ぬなら、抵抗して死ななければ、冥界にいる仲間たちに申し訳が立たん」


 吸血鬼の口から笑い声が漏れた。


「それもそうだ。しかしただ一つ、残念なお知らせだ」

「何?」

「オレたち吸血鬼が吸うのは血だけではない。生命エネルギー、そして魂だ。オレが奪った魂はどこへ行くと思う?」


 吸血鬼はそう言って心臓を押さえるようなポーズをとった。


「こいつらは冥界には行けない。哀れな村人どもの魂は皆、私に支配されるのだ。永遠にな!」


 それを聞いた時、心臓を貫かれるような衝撃が走った。


「加えて!」


 パチン、と吸血鬼が指を鳴らすと、その足もとに倒れていたマリーズが立ち上がった。一瞬、希望が見えた気がしたが様子がおかしい。上半身にほとんど力が入っていないのか、老婆のような猫背でだらりと両手を垂れ下げている。


「マリーズ! ……おいてめえ! これはどういうことだ!」


 顔色は土のように暗く、焦点の合わない目は飛び出し、涎を垂らしている。アベルは確証はなかったが、彼女は既に死んでいると悟った。


「彼女はグールになった。吸血鬼は、魂を奪った者の肉体を使役できるのだよ。例えば、こんな風に」


 吸血鬼がそう言うと、マリーズの指先から爪が伸び始め、酒瓶ほどの長さになった。そしてアベルに向かってゆっくりと歩き出す。


「おい、冗談だろ? 冗談だって言ってくれマリーズ!」


 アベルの叫びが虚しく響く。彼女は一切踏み止まることなく、むしろその速度を上げて行った。そしてアベルの目の前で、その爪を振るう。アベルはそれを剣で受け止めた。


「君を殺せと命令した。もう彼女は私の操り人形だ。全て私の意のままに動く。そこに彼女の意志はない。死んでいるのだからな」


 ちくしょう。

 アベルは剣を挟んだ先にいる変わり果てた少女を見て嘆いた。さっきまでは、吸血鬼と対峙していてもなお毅然としていた少女の表情は崩壊していた。アベルはそんな彼女と目を合わせないように、自分の剣だけを見ていた。


「そしてそろそろ、彼の方も完成しつつある」


 倒れていたドニスの腕が動く。そしてマリーズと同じように、上体に力を入れずに立ち上がった。

 ちくしょう。


「さあどうした? 彼女は君の恋人だったようだが、もう死んでしまったのだよ? それとも、彼女の肉体だけを所望していたかね? なら傷つけるのは勿体ないかな? フフフ……」

「クソッッッタレが!」


 少女の腹に蹴りを入れ、腕の力が緩んだところで剣を持ち直し、側頭部を剣の腹で強く殴った。少女はなすすべなく倒れた。

 なおも立ち上がろうとする少女の胴体に向かって、剣を垂直に下ろす。肉を貫く嫌な感触を覚えたが、そのまま地面まで突き刺した。引き抜いても、血はあまり出なかった。

 そうしている間に、もう一人のグールが近づいてきた。マリーズと同じように、長く鋭利な爪をしていた。


「うわあああああああ!」


 思いきり、グールの腹を突く。切っ先が彼の背中から飛び出した。これも剣を引き抜いた時、血はあまり出なかった。


「やるね」


 残忍な笑みを浮かべる吸血鬼に向かってアベルは走り出す。勝ち目がないとか、そんなことは関係ない。ただ、目の前のこいつが憎い。不倶戴天だ。その四肢をずたずたに引き裂きでもしない限り、この怒りは収まらない。


 しかし、怒りだけでは人間、限界があるというものだ。アベルの特攻は吸血鬼のロングソードによって弾き返され、その衝撃でアベルの手からバスタードがすっぽ抜けた。くるくると宙を回転し、地面に突き刺さった。


「弱いとは、悲しいものだな」


 アベルが焦りの表情を浮かべる暇もなく、吸血鬼は彼の首筋に牙を立てた。


「やめろ!」

「やめん」


 牙がずぶずぶと首の中へ沈んでいく。アベルは激痛に苦しみながら、首に密着した吸血鬼を睨み続けた。


「てめえは……絶対に殺す。グールになってでも殺す」


 その言葉を最後に、アベルは意識を失った。



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