翼
「……どうしてついて来たの?」
テッサは店の裏手にある大きな切り株に腰かけ、空を眺めていた。
「何かあったら困るからな。ソレーユの護衛が俺の役目だが、この辺りまでなら大丈夫だろう」
アベルはテッサに背を向ける形で腰かけた。
「星、綺麗だな」
「……」
「俺、やっぱり明日からは別の所に泊まるよ。すまなかったな、いきなり押しかけて来て」
「……そう」
沈黙が続く。この二人の間にはよく訪れる沈黙は、この時が一番長いものであったかもしれない。
先に沈黙を破ったのはテッサだった。
「どうして、わたしたちの味方をするの? この村のごたごたはあなたと全く関係がないのに」
「どうしてだろうなあ。俺もようわからん。ただ……許せねえと思ったんだ。ゴーレムを街に放った魔法使いを」
アベルの脳裏に浮かぶのは、は血まみれで倒れている女性。
「仮に、何か大義があってオーギュストとソレーユの命を狙ったとしよう……しかしあのゴーレムが奪った命はその二人だけじゃない。何の関係もない人の命も奪ったんだ。それは、許せないことだと、俺は思うんだ」
「もしも、その魔法使い見つかったらどうするの?」
「……どうするんだろうな。エルフ内で然るべき処罰を受けてもらうのが正しいのかな」
「ちゃんと決めてないのに首を突っ込まれたら、余計に混乱する」
「そうなのかなあ」
「ほんっと、馬鹿。呆れた」
テッサはそう言って黙り込んだ。
「ねえ」
何かを決したようにテッサは言った。
「何だ?」
「明日、付き合ってもらっていい?」
「何にだ?」
「デート」
アベルは振り返ってテッサの横顔を見た。唇はきつく結ばれ、青い眼は星よりももっと先にある何かを見つめているようだった。
「いいぜ」
「……ありがとう」
「で、一体何をすりゃいいんだ?」
「ついてくるだけでいい。朝の五時に起きて」
「わかった。ソレーユは置いて行くのか?」
「置いて行く」
「しかしソレーユを一人にするってのはなあ。一応、俺の役目に護衛ってのもあるんだぜ」
「言っておくけど、お姉ちゃんは本当にあなたの百倍強いから」
「ははは……否定できないな」
「それに明日はオーギュストの葬式をやるから、お姉ちゃんが一人きりになる時間はあまりない。……ところで、わたしから誘っておいてなんだけど、あなたは葬式に出なくていいの? テオ達と会う約束をしていたみたいだけど」
「いいんだ」
テッサはアベルの方を見た。その目に敵意や、警戒心は含まれていなかったが、心を許したような目でもない。
「そろそろ部屋に戻って」
テッサは顔を反らし、何事もなかったような口調で言い放った。
「テッサは戻らないのか?」
「……あなたとは歩きたくない」
「明日の用はどうするつもりだ。お前の百メートル後を追えってか?」
「それもいいかも」
「俺はストーカーかよ」
「違うの? ついさっき私をストーキングしてきたくせに」
「それはだな、テッサに何かあると困ると思ったわけで……」
「はいはい、鬱陶しいから早く戻ってよね」
「はいはい……」
しぶしぶ去って行くアベルの後姿を、テッサは横目で追っていた。テッサは彼が店に入って数秒経ってから腰を上げた。
翌朝。アベルが外で顔を洗っていると寝癖をつけたテッサが降りてきた。
「お早う。随分と早いな」
「わたしが先に使おうと思ったのに……どいて」
「へいへい」
テッサは不機嫌だった。寝起きだからかとも思ったが昨日も不機嫌だったため、単にアベルが気に入らないだけだろう。
アベルが店内のカウンター席に腰かけていると、テッサは昨日の肉の残りと、お茶を出してくれた。
アベルは料理の大げさに料理の感想を述べていたが、テッサの「静かにして」の一言で大人しくなった。
ちょうど食事を終えたあたりでソレーユが降りて来た。
「あれ? 二人とも早いですね。どうしたんですか?」
「これから二人で出かける。葬式は多分出れないから」
テッサが、肩に鞄をかけながら答えた。
「二人で出かけるって……どうして?」
「デート」
テッサはソレーユの反応も待たずにアベルの腕をぐいと引っ張り、扉を開けた。
「日が暮れない内には帰ってくるから!」
「へ? デ、デートぉ? 待ってテッサ、あなた頭がどうか……」
テッサはばたんと扉を閉めて、アベルの手首を掴んだまま駆け出した。朝の爽やかな風が吹き、温かな陽射しが村を包む。「用」は太陽光に当たらない場所で済まされるものであるよう、心の中で祈るアベルであった。
テッサは無言で歩き出した。アベルはそのすぐ横を歩いたが、テッサは特に文句は言わなかった。
「何処へ行くんだ?」
「行けばわかる」
テッサはすたすたと足を速める。アベルはもともと歩幅が大きいためさほど気にせず、呑気に村を眺めていた。
「それにしても凄いよなあ。どうやってあんな高い所に家を建てたんだ?」
「魔法とか」
「やっぱりエルフ魔法は特別なんだなあ」
「使いたい?」
「俺はそもそも魔法使いじゃないからなあ。でも、強力な魔法は欲しいと思うぜ」
「やっぱり、ヒューマン」
テッサは更に足を速めた。
「ヒューマンの強欲なところが嫌いなんだな。でも、俺はその欲を隠すつもりはない」
「嫌いっ」
「俺はな……大事なのは、人に迷惑をかけずに欲望を満たすことだと思っている」
「そんなの無理」
「そんなの、やってみなくちゃわからないだろ」
「じゃあ、やって見せてよ!」
テッサは語気を強めて、アベルの数歩先で立ち止まった。その拳は強く握りしめられていた。
「あなたの欲望がお姉ちゃんとオーギュストを殺した魔法使いを倒すことって言うなら……やって見せてよ!」
「やってやるさ」
「それが無理だって言ってるの! 魔法も使えないヒューマンに、何が出来るっていうの!?」
「何だってできるさ。大魔術師ミカエルだろうと竜王ゼウスだろうと、魔王カインだろうとぶっ倒してやる」
「冗談にしても、もう少し現実的な例を選んでよ」
「じゃあ、ファーフニル」
アベルはにやりと笑い、テッサの頭を撫でた。テッサは父親を煙たがる思春期のようにその手を振り払い、再び歩き出した。
「ふざけないでよ……本当に」
そこからテッサは一言も発することなく歩き続けた。数回エルフとすれ違い、アベルは何度か声をかけられたりしたが、立ち止まっている間にテッサが先に行ってしまうため、適当にあしらって彼女を追った。そうして着いたのは村の出口だった。
「ここから何処へ行くんだ?」
「こっち」
テッサが向かったのは山の方だった。しかしそれは山と言うよりは崖に近かった。ごつごつとした岩の壁が見下ろすようにそびえている。
「まさか、あの崖を登るとか言わないだろうな」
「崖は登らないけど、山は登る」
崖を大きく迂回すると、土が目立ってきた。テッサは巨大な岩石を三つ登り、土に足をつけた。アベルも慣れた動きで彼女に続く。
「山頂まで行くのか」
テッサは小さく頷いた。
テッサの動きの軽やかさは、急斜面を前にしてより顕著になった。木の根と根を渡って、枝を掴んで体を支える。ソレーユと長時間森を歩き、エルフについていけると自負していたアベルだったが、日光が突き刺さるのもあってか、遅れをとっていた。
それでもテッサは彼を一秒も待たなかった。振り返ることすらしなかった。一心に頂上を目指していた。
(試されているのかな、俺)
アベルの頬が思わず緩む。少し、テッサが心を開いてくれたように感じたのだ。アベルは多少遠回りになろうとも、的確に日陰を通りテッサを追った。その動きは先ほどよりも一層俊敏だった。
一時間ほどすると頂が見えてきた。
「はあ、はあ、やっと着いたな」
「…………」
テッサは呼吸を荒くしていた。首筋に汗が滲んでいる。明らかに疲弊していたが、彼女なりのプライドか、アベルのように木に寄りかかるようなことはしなかった。
頂は木が少なく、土や岩が剥き出しになっていた。二人が登ってきた方向から左は崖になっており、エルフの村が一望できた。その壮観な光景よりも先に、アベルが驚いたのは、地面にいくつも空いた大穴だった。半径五メートルほどの球がねじ込まれたように、土が綺麗に抉りとられている。穴は規則正しく並び、かなり奥まで続いていた。
「なんだこれは……」
「やっぱり」
テッサは穴の前でしゃがみ込んだ。
「これはゴーレムを造りだした跡」
「ってことは……これは、証拠ってやつなのか?」
「これで証明できたはず。犯人はエルフ。ここで大量のゴーレムを作り、イーアリウスへ向かわせた。でもイーアリウスまでの長い道のりで、殆どのゴーレムは途中で崩れた。そして一匹だけがイーアリウスに辿りつき、オーギュストさんを殺した」
「それを確かめに来たってのか?」
「うん」
「お前の推理は多分正しい……しかしな、その証拠を消すために犯人が戻って来ている可能性もあるってことだぞ」
その時、数百メートル先の木の陰から、人影現れた。茶色のローブで全身を覆い、顔はわからない。テッサも気付いたようで、目を見開いていた。
「あれは、まさか、オーギュスト殺しの犯人……?」
アベルはテッサの隣にしゃがみ込んだ。
「そんな、まさか……」
テッサの声は震えていた。ゴーレムが作り出された跡を見たかっただけらしく、その先までは考えていないようだった。
その時、ローブの中から覗く青い眼光が二人を射抜いた。
「ひっ」
テッサは小さく悲鳴を上げた。
(しくじったな……俺がちゃんとテッサの目的を聞いておけば……いや、後悔しても遅い)
テッサの肩をぽんと叩く。
「逃げろ」
テッサは怯えた仔猫のような目で見上げた。
「まだあいつがゴーレム使いと確信できたわけでもないが、もしそうだった場合最悪、殺されるかもしれれん。大丈夫、穏便に話し合いで済ませるから」
そう言っている間にも、ゴーレム使いとおぼしきローブは着実に近づいていた。走り方からして男の老人のようだ。
「でも」
「いいから行け!」
ひそひそ声に語気を強める。テッサは這うようにして背後の木へ隠れた。彼女の足音が遠ざかって行き、一安心した時だった。
「クリエイト・ゴーレム!」
ローブの男が放った詠唱を合図に、アベルの背後で轟音が響いた。振り返ると、テッサが隠れたあたりの木が、土の盛り上がりによって根本から飛び出ていた。土は人の腕のように伸びてゆき、その掌にテッサが貼りついていた。
「テッサ!!」
土の腕の伸長が止まると、テッサは空中に放り投げられた。緩やかな放物線を描いた先は、崖下だった。
アベルは走り出していた。自分の命よりも彼女を大事にしていたわけでもない。それなのにアベルは命を投げ出すことを持さなかった。そこに理由はなく、もっともな言葉で説明するならば「本能」としか言いようがなかった。
アベルは岩を蹴り、空へ飛びこんだ。
頭が下になり、真っ逆さまに墜落する。顎を引き、同じようにして落下するテッサを見やる。彼女の顎に足をかけ、出来るだけ丁寧に引き下ろし、両腕で抱きしめた。
(ここからどうする!?)
アベルは高速で過ぎ去る崖を横目に、思考を回転させていた。吸血鬼の脚力で着地しようとしていたが、頭が真下の状態では無理だ。次に崖を掴み勢いを軽減させようと考えたが、遠すぎて届かない。
しかしアベルは考えることをやめなかった。それは「死ねない理由がある」という意思と言うよりは、従来彼に眠る生存本能がそうさせていたのかもしれない。
その時アベルは魔物大全の一節を思い出した。
吸血鬼は飛べるのだ。
(出ろ、翼!)
地上との距離が二十メートルになったところで、アベルの背中から、服を切り裂いて二対の翼が飛び出した。アベルはそれを見たわけではないが、翼であると理解できた。
想像外の出来事だったが、彼は一瞬たりとも驚かなかった。
次にアベルは鳥の滑空する姿を思い浮かべ、翼膜を展開させた。翼は端から端までで五メートルにも及んだ。翼の角度を微妙に変え、腹筋に力をこめる。
アベルは仰向けになった。体と地面が平行となる。彼は滑空をしていた。その数十センチ下では枝葉が茂っている。
(や……やったぞ!)
もう一度腹筋に力をこめると、体が一瞬ふわりと浮いた。頭が上に足が下に戻る。ほっと一息ついていると、そのまま体が下がり、森の中へ落ちて行った。
バキバキと音を立てながら枝が折れる。アベルはテッサが怪我をしないよう、体全体で彼女を覆った。そしてたまたまあった太い枝を掴んだ。枝は大きくしなったが、折れることはなかった。アベルは片手でテッサを抱き、片手で枝を掴んだ状態で、地面を見下ろした。高さは十メートルほど。
(いけるかな?)
テッサの体が横になるよう持ちかえてから、おそるおそる枝から手を離した。
(やっぱ厳しそうだ!)
落下速度が上昇するにつれて後悔の念が増した。
そして遂に、アベルは着地した。足裏から腰にかけて痛みが走る。しかしそれは今のアベルにとって些細なことだった。
腕の中の少女を見やる。青白い顔で意識を失ってはいるが、息はある。アベルは木の根の上にテッサを横たわらせた。
「よかった……」
アベルは全身の力が抜けたように、テッサの傍に座り込んだ。未だに落ちる感覚が残っている。アベルは大地を踏みしめるごとに、地上にいることの喜びと安心を実感するのであった。




