涙
「エルフの村って、人の作った道から外れた先にあるんだろう?」
「はい」
「じゃあ、早速外れてみようぜ。俺はヒューマンだけど、道がないとか気にしないから。さあ、さあ」
アベルは少女を催促しながら、ちらちらと横を見た。馬に乗った教会騎士団がどんどん近づいてきていた。今は人間の視力では見えない距離があるが、見つかるのも時間の問題だ。ラシェルはおらず、代わりに大柄な男が先陣を切っている。
「でも、もう少しこの道を進んでからの方が」
「いいからいいから」
「そう言えば、名前を言っていませんでしたね。わたしはソレーユ。あなたは?」
蹄の音が近づいてくる。
「アベル・フェルマーだ。よろしく」
などと、暢気に挨拶している場合ではないのである。ラシェルによって、教会騎士団全体にアベルの情報が伝えられているはずなのだ。
「よろしくお願いしますね、アベルさん。実は、ちょっと助かってるんですよ。一人で村に行くのは……」
ソレーユが喋っている間に、アベルは藪を越えて、森の奥へ歩き出していた。
「あ、待ってくださいっ」
慌てて追うソレーユ。その制止の声を無視して、アベルは奥へ奥へと進んでいった。
「おっと、悪い悪い」
そう言いながらも歩みを止めることはない。
平坦な道と対称的に、森の中は木の根が絡み合って凸凹としている。ソレーユは慣れているのか、リスのような軽やか動きで、すぐにアベルに追いついた。
「もう、勝手に行かないでくださいよ」
「悪い悪い。昔から旅が好きでな、エルフの村に行くなんて初めてだから少し興奮してた。ところで、方角はこっちでよかったのか?」
「大体合ってますよ。でもヒューマンが森を通るのは辛いんじゃないですか?」
エルフの村は森の奥にあるが、そこへ繋がる道はない。エルフは人が造るような道を使わずに、森の中を通るからだ。人にとって、エルフの村は秘境なのである。
「辛くなるかもしれないが……そこは、銀貨に免じて合わせてくれ」
昼であっても、葉で日光が遮られるため、眠くなることはあっても体力的に辛くなることはない。
しかしソレーユはアベルをヒューマンだと思っているため、こう言っておいた。
「わかりました」
ソレーユはくすくすと笑った。
アベルは彼女を見る振りをしながら背後に視線を向け、教会騎士団が通り過ぎるのを確認し、ほっと胸をなでおろした。
「アベルさんは冒険者なんですか?」
「まあな、と言っても駆け出しで、あまり話せることはないけど。ソレーユは酒場を経営しているんだっけか? それとも親の手伝いとか?」
「元は両親の店でしたけど、母は妹を産んでから病気で死にました。そこから一人で酒場を経営した父は10年前、外の世界に憧れて旅に出て、それっきりです。だからわたしと妹の二人でやっているんですよ」
「そうか……大変だったな」
「すごく大変でした。でも村のみんなが色々協力してくれるし、妹もいるから今は何とかやっていけてます」
「いい仲間を持ったんだな」
「はい!」
アベルはトスウハ村の仲間たちの顔を思い出していた。マリーズ、お前にこのエルフの少女のような屈託のない笑みが浮かべられるかな。ドニス、お前はこの少女のようにはきはきと喋ることができるかな。
「しかし大丈夫なのか? エルフの村に俺が行って。ヒューマン嫌いな奴とかいないのか?」
「確かにヒューマンを毛嫌いするエルフもいますけど、それは考えの古いエルフですよ。若いエルフたちはむしろ、ヒューマン社会との交流を求める革新派が多いです」
「それは知らなかったな。エルフ社会も変化しているんだなあ」
「わたしたちもいい加減、変わらなきゃいけないんです」
そう言うソレーユは神妙な顔つきをしていた。
「ところでアベルさんは一体どうしてそんなお怪我を?」
アベルはどきっとした。教会騎士団の聖なる稲妻を受けた、などと言うわけにもいかない。ではこの火傷をなんと説明すればよいのか。
「ま、街のチンピラどもと喧嘩を、ちょっと、な」
信じてくれるだろうか? ちらりとソレーユを見ると、納得したように頷いていた。
「街のチンピラも魔法とか使うんですねえ。アベルさんの傷は電気魔法によるものでしたから」
「あ、ああそうなんだよ電撃くらっちまったんだよいやー熱かったやばかった何とか逃げたはいいけど疲れと痛みで意識失っちゃってさ」
「大変でしたねー……」
そうして二人は歩き続けた。その間、二人は様々なことを話した。村での生活、友人のこと、体験談などと、話の内容は多岐にわたり、会話が途切れることはほとんどなかった。
最初は遠慮がちに話していたアベルだが、徐々に口数が増えていった。ソレーユの持つ、人を安心させるような雰囲気がそうさせたのかもしれない。
正午になった頃、二人は小川のほとりで腰を下ろした。静かな森に水の流れる音が心地よく響いている。葉と枝を通り抜け、日光が微妙に差し込み、水面を光らせていた。
ソレーユは鞄から干し肉を取り出し、ナイフで二等分してアベルに半分あげた。もちろん最初は遠慮するアベルだが、ソレーユが強引に食べさせた。
「アベルさん、体の方は大丈夫ですか?」
食事を終えて、二人は並んで座って、川を眺めていた。
「もうばっちりだ。ソレーユの薬が効いたらしい」
アベルは包帯を解いた。腕は青白く戻っていた。
「よかった。わたし細かい作業が苦手で、上手く包帯が巻けなかったんですけど……」
「包帯は下手だな。でも薬がよかった」
「それだと、わたしじゃなくて薬を褒めてるみたいじゃないですか!」
「あれ、そう聞こえたか? ……ともかく、ソレーユには感謝してるよ」
「そんなにはっきりと言われると、照れます」
ソレーユはアベルから目を反らすと、おもむろに立ち上がった。
「そろそろ、サーチをかけます。この辺は魔物が少ないんですけど、最近だとヘルワウンド? とかいう珍しい魔物も出るらしいですし。こまめにチェックしておかないと」
「じゃあ頼むぜ」
アベルは木にもたれかかり、ソレーユを眺めた。
「サーチ!」
ソレーユが虚空に手をかざすと、彼女の足もとで金色の光が円を描いた。光は外へ弾けとび、霧のように細かくなって消えた。
アベルはふと、昨晩の出来事を思い出した。
「よくここにいるってわかったな」
「サーチ、で、はあ、はあ、ともかく、だ。死ね、アベル・フェルマー!」
アベルの顔が真っ青になった。あの時、ラシェルは確かに「サーチ」と言っていた。あれは間違いなく、アベルの放つ魔力を察知し発見したという意だ。つまり、アベルは魔力を持っていることになる。魔力を探知されるということは、アベルは魔物ということだ。
魔物と言えば、吸血鬼。
(まずい!)
一介の農民であったアベルに魔力はなかった。しかし今の彼は吸血鬼である。吸血鬼になると共に魔力を得た可能性は高い。
「何かいたか?」
サーチの魔法を終えたソレーユに問う。彼の頭は都合の良い言い訳を探すべく、高速で回転していた。
「北東一キロ先で反応がありました。でも微々たるものです。多分、魔物の死骸ですね」
アベルは自分に反応がなかったことで安堵したが、そうなると「どうしてラシェルはサーチでアベルを発見できたのか?」という疑問が残る。しかし面倒だったので、特に追究はしなかった。
「じゃあ、このまま進むか」
「そうしましょうか」
そうして二人は再び歩き始めた。川沿を進み、山を登る。山の中腹を抜けて数キロ歩いた先にエルフの村はあるそうだ。ソレーユはヒューマンである(実際は吸血鬼だが)アベルを気にかけながら歩いたが、アベルは難なくついて行った。
そうして日も暮れ、流石の二人も疲労の色が見えてきた。ソレーユは野宿に適した洞窟があると言って進路を変えた。少し歩くと、岩肌に人が一人通れるかどうかというほどの穴があった。
「よく憶えてるな、こんなわかりづらいところ」
「エルフは方向感覚が優れていますから。って、自分で言うのもなんですけどね。ささ、入りましょう」
ランタンを持つソレーユに続いて、アベルも体を縮めて洞窟へ入る。、細いトンネルを下って行くと、ドーム状の空間があった。5人ぐらいは寝られそうな広さだ。
アベルはひとつ出っ張った岩を背に座りこみ、ソレーユはその隣に三角座りをした。
「今日はありがとうな、ソレーユ。会ったばかりだというのに」
「銀貨のお礼です。それに……さっきも言いかけましたけど、アベルさんがいてくれて、すごく助かりました」
「夜の見張りってことか? そのぐらい任せとけ」
「いえ……それだけじゃなくて……」
出会ってから一日も経たないが、彼女が言葉に詰まるのは珍しい。アベルが訝しんでいると、鼻をすする音が聞こえてきた。
「何か、訳ありのようだな……言いたくないなら話さなくていいが、正直なところどうして泣いているのか気になるぜ」
ソレーユは岩の陰になっているため、アベルは虚空に向かって呟いた。ソレーユは必死に声を押し殺していたが、耐え切れなくなったのかしゃくり上げながら泣き始めた。その間アベルは何も言わずに、手遊びをしていた。
三十分ほど経つと、ソレーユは落ち着きを取り戻してきていた。
「ごめんなさい……ぐすっ、恥ずかしいところを、お見せして」
「見てないぞ」
「ふふっ、そうですね」
ソレーユの明るい声を聞いて、アベルは少しほっとした。ソレーユは静かに話し始めた。
「わたしがアベルさんを見つけたのは……イーアリウスの帰りでした。実はイーアリウスには、二人で来ていたんです。でも、その人はイーアリウスで殺されました。ゴーレムに踏み潰されて即死です。傷薬も、回復魔法も間に合いませんでした。ゴーレムは次に、わたしを狙って来ました。わたしは必死に逃げました。あの人を置いて。ゴーレムはものすごい勢いで追いかけてきました。周りの建物をぶち壊して、人を蹴散らして。あの時、ゴーレムの狙いがわたしだったのなら……わたしが逃げたせいで、街の方たちは殺されたことになりますね」
「それは違うぞ」
黙って話を聞こうとしていたアベルだが、口を挟まずにはいられなかった。
「優しいんですね。でも、やっぱり……」
「それより続きが気になるぜ。悪いな、話の腰を折って」
「いえ、そんな。それで……そうやってわたしが逃げていたら、一人の男性とすれ違いました。その人は騎士でもなく、戦士でも兵士でも魔法使いでもなかった。でもその手には両手剣が、目は闘志がありました。……でも、わたしはその時、彼を信じきれなかった。どうせやられちゃうと思ったから。わたしはそのままずっと遠くまで逃げました。ゴーレムなんて追って来ていないのに、馬鹿みたいに逃げ続けました。本当に馬鹿ですよね。おかげで命の恩人にお礼の一つも言えませんでした。翌日、旅人の男性がたった一人でゴーレムと戦って、生き延びたと聞いて……すごく後悔しました。どうしてあの時、彼を信じられなかったんだろうって。彼は命がけでわたしを助けてくれたっていうのに。わたし、自分が情けなくて情けなくて。だから、森であなたを見つけた時、嬉しかった。やっとお礼を言えるって。でも……言ったら、死んだあの人のことを思い出して泣いちゃいそうで、何故かあなたの前で泣くのはすごく恥ずかしいことのように思えて、ずっと言う機会を探してました。結局泣いちゃってるんですけどね、あはは……。ともかく。えーゴホン。アベルさん、助けてくれてありがとうございました。本当に、本当に感謝してます」
アベルはこそばゆくなって背中をかいた。
「どういたしまして。しかし結果的には助けたことになったようだが、ソレーユのためにやったわけじゃないぜ。報酬欲しさでやったんだ。殺人ゴーレムを倒すと、賞金40万カネーだぜ。見逃すわけにはいかないぜ。最終的に教会騎士団が倒しちまったから戦った意味はないと思ったが、今のソレーユの話を聞いてやって良かったと心底思った」
「アベルさん……」
ソレーユは立ち上がり、アベルの正面に座った。ランタンの光で顔に陰が差し、その端正さを際立たせていた。目が腫れぼったくなっていたが、かえって色気があった。
「それにもちろん、今も感謝しているんです。周りに誰も味方がいないって、怖いことなんですね。生まれてからずっと村で育ったので、あまりの寂しさに自殺しちゃおうかとも思いましたよ」
彼女は自分と似ている。と、アベルは思った。
「だからアベルさんを見つけた時、嬉しくて、嬉しくて……。この人は味方になってくれるって、直感で思いました。勝手ですね、わたし。……アベルさんにとって……わたしは味方ですか?」
「ああ」
「よかった」
ソレーユは安心したような顔で言った。
そのあと、二人は残った干し肉を食べた。アベルが夜の見張りを決めようと提案したが、サーチをかけても反応はなく、山賊が出たという実例もないとソレーユが言ったため、夜の見張りは無しとなった。二人はしばらく話し込み、寝ることにした
「おやすみなさい、アベルさん」
毛布にくるまったソレーユが言った。その隣で、アベルは同じようにして横になっていた。
「ああ、おやすみ」
吸血鬼だというのに昼通し歩いたため、猛烈な眠気があったアベルは、そう言った数秒後にはもう、眠りについていた。
アベルは何故、ゴーレムがソレーユともう一人を狙ったのかを訊こうとしたが、せっかく落ち着きを取り戻した彼女を、再び非情な現実に連れ戻すのは気が引けたため、そのうち訊こうと決めた。
アベルが目を覚まし、外へ出るとまだ真っ暗だった。やはり昼寝て夜起きるという生活パターンがすっかり定着してしまっている。人だった時とのギャップに虚しさを覚えながら、ソレーユの眠る空洞へ戻った。
ソレーユは静かな寝息を立てていた。寝相が悪いのか、両腕が毛布から出ている。
アベルはそろそろとソレーユに近づいた。枕代わりの鞄の横に、彼女が着ていたブラウスとスカートが畳んで置いてある。つまり毛布の中の彼女は、下着姿ということだ。
ごくり、と唾を飲む。ゆっくりと手を伸ばして、毛布を掛け直した。女を凝縮したような匂いが鼻孔をくすぐる。
改めて見ると、すこぶる美人だ。艶のある金髪、長いまつげ、柔らかそうな唇。
そんなソレーユを見て、アベルはある衝動に駆られる。
大きく口を開く。奥歯が変形し、牙となる。そしてその牙が首筋に触れたところで、ソレーユの目尻が濡れていることに気がついた。
「テッサ……」
ソレーユの口から、求めても届かないものを求めるような、悲痛な呟きが洩れた。頬に一筋の涙が伝い、地面に落ちた時、アベルは我に返った。
(今、何をしようとしていた!?)
慌てて後ろへ飛びのく。口からはみ出していた牙が収縮する。心臓の鼓動が激しい。
(俺は今、ソレーユの血を……いや、そんな馬鹿な!)
もし、ソレーユが寝言を言わなければ、アベルは彼女の血を吸っていたかもしれない。
自分の取ろうとした行動を否定しようとするアベルだったが、否定すればするほどに、ソレーユの血を欲していたという事実が彼を蝕んだ。




