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かぼちゃの香る秋

完成時、作者が一番にやにやできた作品です。気持ち悪。

「よぉ」

声に反応して振り返ると、前髪をがちがちに固めた仙崎(せんざき)さんが、屈み込んでダンボールハウスの中を覗き込んでいた。

逆光で殆ど黒塗りになった仙崎さんの顔は、それでも眉間に皺が寄っているのが微かに確認できた。


「あぁ、仙崎さんですか」

声を発すると同時に、腹がぐぅ、と鳴る。条件反射である。ダンボールハウスの中に、そのくぐもった音が微かに反響した。仙崎さんもその音に気付いたらしい。

仙崎さんは更に顔を歪ませ、私に綺麗なアッパーを入れた。こぷっと不意に下顎が持ち上がり、歯と歯がこぅん、とぶつかる。危うく舌を噛みそうになった。


「社会のゴミが。いつでもかつでも飯が貰えると思うな」

機嫌を損ねてしまったとしたら、今日は無理かも知れない。だけど、仙崎さんが持つ学生鞄の中から、給食のパンが放つ小麦の香ばしい匂いが私の鼻まで届いていた。空腹と親しみきった本能の成せる業である。



仙崎さんは、足下に私が家を構えている橋を渡った先にある中学校に通っている。年は十四歳。留年は流石にしていないだろうから、中学二年生だ。

仙崎さんにホームレス狩りをされたのももはや3ヶ月も前のこと。

ホームレス狩りは集団で行われるのが殆どと聞いていて、戦々兢々としていたのだが、仙崎さんは一人でやってきた。

しかし、私も所詮は初老。しかも満足に飯にもありつけていない。今時の中学生のエネルギーになどかなうはずもなく、私も私のダンボールハウスもめちゃくちゃにされかけた。


しかし、私の隣でダンボールハウスを今にも完膚なきまでに破壊せんとする仙崎さんに、泣いて土下座したら、ったく、とだけ言って、何か知らんが許してくれた。

近くの自動販売機でホットコーヒーまで買ってくれたので、私は呆気に取られてしまった。

挙げ句、おっさんは何でこんなとこで生活してんだ、と切り出してきた上、身の上話まで聞いてくれた。

結局、仙崎さんはご丁寧にドカドカと蹴りつけていたダンボールハウスの修繕までして、帰って行った。ただ、最後にありがとうございます、と頭を下げると、

「卑屈なオッサンだな」

と、物言いだけは最後まで荒々しかった。昨今の若者は何を考えているのか、さっぱり読めない。


それからと言うもの何故か、仙崎さんは放課後だの昼過ぎだの深夜だのに、気まぐれにやってきては、給食で残したと思しきパンなんかを恵んでくれるようになった。そういうわけで、仙崎さんを見ると私の腹は鳴るのである。

仙崎さんが来るタイミングで留守しないように、外出は仙崎さんが学校に行っていると思しき午前中にだけ出かけるようにしている。毎日来る訳でもないが、その頻度はなかなか多い。


「今日はスモークチーズもつけてやる」

仙崎さんは、スモークチーズが大の苦手だ。押しつけるように、ミニソーセージ型のスモークチーズを、食パンと同時に渡してきた。


「ありがとうございます! いただきます」

公園の水を汲み溜めていたペットボトルを一本取り出し、食パンを頬張る。


「これ、いつもと味が違いますね」

給食で出るパンの種類は少なくはない。しかし、仙崎さんが足繁く通ってくれているお陰で、大体の種類は食べ尽くしたようだった。しかし、このパンの風味と後味には初めて出会う。


「分かるのか?」

さも意外そうに仙崎さんが言う。


「はい。いつもと風味が違いますよ。かぼちゃみたいな香りがします」

昔、店でよく出していたかぼちゃスープの味が思い出される。あれほど濃厚な香りではないが、微かなかぼちゃの甘味を、舌が感じ取っていた。


「おぉ、おっさんにしては、やるじゃないか。それはな、かぼちゃ食パンなる代物らしい」

仙崎さんは不良だ。不良なんだけれども、硬派か何かを履き違えているようで、口調が今時の若者とは思えないくらい堅い。

母子家庭で育ってきているはずなのに、どこでこんな喋り方を取り入れたのだろう。懇意にしている先輩がこういうタイプなのだろうか。

言うと仙崎さんは、(おもむろ)に私から食べかけの食パンを取り上げて、ダンボールハウスの外に掲げた。


「見えるか?」

何かと思って食パンを見ると、それは濃い山吹色をしていた。かぼちゃの色味がしっかりと、耳までをも染めているようだった。

ダンボールハウスの中は明かりがないから、色が違うのには気付けなかった。


「それにしてもよく気付いたな。俺も食べたが気付かんかったぞ」

かぼちゃ食パンを私に返しながら、仙崎さんは深く感心している様子だった。しかし、私は別のところが気になった。


「食べた? 食べたんですか仙崎さんも。これって、仙崎さんが余したのじゃないんですか?」

言うと、仙崎さんは何故か少しばつの悪そうな顔をして口ごもった。


「……あぁ、食べたよ。余ったやつを、貰ってたんだ」

想像する。こんなに見てくれから悪そうな仙崎さんが、余ったかぼちゃ食パンをわざわざもう一つ貰っている画。何だか物凄く微笑ましい。


不意に、しゅっ、と仙崎さんの腕が私の首に伸びた。

「てめぇ、何にやにやしてやがる」

握力が強いのだろう、片手なのに私の喉元はぎゅうと絞めつけられる。苦しい。ダンボールハウスの中は暗いというのに、仙崎さんは何とも抜け目がない。


「す、すみません。仙崎さん。苦しいで、す」

開放してもらい、咳き込みながらも私は少し安堵していた。良かった、きちんと食べているんだ、と。いつかと同じように仙崎さんは、ったく、と舌打ちし、調子に乗るなと言い捨てた。


「……前に話した、潰れた店って言うのは、洋食屋だったんですよ」

呼吸を整えながら、仕掛けるような気持ちで明かす。最初に身の上話をした時は、何の店かまでは確か、伝えていなかったはずだ。

あの時は仙崎さんの意図が掴めず、話が長いと怒り出すかも知れないと思って、泣きながらも話をコンパクトにしようとした記憶がある。


「料理も私が作っていたので、舌には少し、自信があるんですよ。潰してしまったとは言え、ね。でも、かぼちゃが練り込まれているかどうかくらいは、すぐ分かります」

近くに有名なチェーン店とファストフード店が相次いでできて、経営はすぐに回らなくなった。細々とやっているつもりだったが、気付けば食べていくことすらままならなくなっていた。


「そう言えば」

その声は自分自身にも少しわざとらしく響いていた。しかし私は、一体どうするつもりなのだろう。何を仙崎さんに言わせたいんだろう。


「私、息子がいたんですけれど、あの子は私の作ったかぼちゃスープが大好きでした。かぼちゃがゴロゴロ入った方が好きだって言う、あの子の意見を採用して、店でも出してました」

大人基準の一口大のかぼちゃが、まだ小さかったあの子には大きすぎたようで、いかにも食べにくそうだったのに、あの子はそちらを選んだ。

口や涎掛けを黄色く汚しながら、こっち、と指を差したあの子の、舌足らずな声を今でも鮮明に覚えている。


「気の毒な息子だな」

水を差すように、仙崎さんが言った。その一言で、懐かしさに緩んでいた私の頬が萎縮していく。


「……はい。本当に可哀想なことをしました」

妻は息子を連れて出て行った。私のせいで。情けない話だが、彼女の判断は正しい。

かぼちゃ食パンを公園の水で流し込みながら、私は予てから取っておいた質問を思い出す。


「……仙崎さん」

「あ?」

超然と調子を崩さない仙崎さんが、やっぱり微笑ましく思った。


「聞いたことがなかったと思うんですが、仙崎さんの下のお名前は、なんと言うんですか」


仙崎さんが身構える様子もなく、やはり超然と答えた。

「カズキ。一つの輝きで一輝だ。それがどうした」

「いえ、何でも」

私は答えて、すっかり小さくなった食パンをまとめて口に入れた。

私がもごもご咀嚼している間に、仙崎さんは耐えかねたようにかぁーっと声を吐き出し、もぞり、と腰を軽く浮かせた。


「何か、辛気臭ぇから帰る」

それを感じるにはタイミングを逸しているように思えて、私は笑いを食パンと一緒にかみ殺した。

あっという間に仙崎さんがダンボールハウスから抜け出す。ようやく食パンを飲み下した私は一呼吸遅れて仙崎さんに倣う。


「ごちそうさまでしたっ」

さっさと立ち去ろうとする仙崎さんの背中に声を投げると、仙崎さんは振り返らずに、片手だけを上げた。ずいぶんと小粋に育ったものだ。

いや、小生意気? でもそれを言ったら、あの子は怒るだろうな。



ダンボールハウスの外、吹く秋風が心地良い。秋晴れの空が暮れなずもうとして、その光を強くしている。

そう言えばかぼちゃスープをメニューにしようと彼に試食させたのもこの時期だった。きっとこの町にももう間もなく、厳しい冬が来る。


イベント事にうるさかった瑞穂(みずほ)は、今もきちんと冬至にかぼちゃを食べさせているだろうか。

煮つけでもいい。ぜんざいに混ぜてでもいい。それが、私のかぼちゃスープの味を忘れるくらい、一輝にとって美味しければいい、と切に思う。




幼子が食べているカレーのルーで服を汚してがっかり、と言う洗濯洗剤のCMを見て、ならお前、もうちょい具を小さく切れよと思ったことをきっかけに書き始めた小説です。嘘です。

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