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自分を呼ぶ声を聞き、ギルバートは振り向いた。
廊下の端から、予想通りの人物が駆け寄る。
「ギルバート様、偶然ですね。今日は、大臣と会談のご予定では?」
まっすぐにギルバートを見つめるエミリだった。
よほど必死に走ってきたのだろう、一言発した後は肩を上下させ息を整えている。
偶然ギルバートに出会えた喜びを隠すことができていない……、そんな風に感じてギルバートは吹き出しそうになるのをぐっとこらえた。
結果、難しい顔になってしまったギルバートを見て、今度はエミリの表情が曇る。
「必要な資料に抜けがあった。会談は中止だ」
エミリの些細な変化をじっくりと観察しながら、ギルバートはエミリを覗き見た。
(さあ、こちらの事態を把握したら、今度はどんな誘いをかけてくる?)
ギルバートは楽しんでいた。
自分をまっすぐ見て表情を素直に変化させるエミリ。彼女と会話する時を、いつの間にか、楽しいと感じていた。
時に、可愛い、とも。
しかしそのままの感情を晒してしまえば臣下達の思う壺だと思うと、まったく素直になれなかった。
エミリの努力が確実に成果を上げていると、エミリ本人に知らしめることに抵抗もあった。気恥ずかしい上に、自分が言い寄られているという優越感を手放したくなかった。
「では、今お時間があるのでしょうか? 良ければ、ご一緒に庭園を見に行きませんか? 今朝庭師が新しい苗を運ぶのを見たんです」
とても良い情報をギルバートに伝えた、と言う満足気な表情をエミリはギルバートに向けた。
しかし、その苗を今日受け入れることを承認したのは、ギルバート本人だった。国の財政支出や屋敷の細々した決済まで、国王自ら管理しているのだ。あまり沢山の人材を雇えるだけの余裕が無いし、ギルバートができるならばそれに越したことはない。
そんな事情を知るはずもないエミリは、瞳をキラキラと輝かせている。
危うく微笑みそうになるのを我慢して、ギルバートはわざと厳しい顔を作った。
「申し訳ないが、これから市場の視察に赴く」
「……そうでしたか。いってらっしゃいませ」
はっきりと断りを入れた途端、エミリはしょんぼりと俯いてしまった。
またすぐに理由をつけてギルバートを誘ってくると思うけれど、エミリが暗い顔になるのは少々いたたまれなかった。
そんな自分の心の変化を、ギルバートは不思議に思う。
(いや、一人の人間が目の前で悲しめば心も痛む)
己の思いを戸惑いながら否定し、ギルバートは口を開いた。
「……、二週間後、親しい者だけの夜会があるのだが」
「夜会、ですか」
「公務ではない。友人達との懇談会だ。お前も来ると良い」
はじめて、ギルバートからエミリに誘いの言葉をかける。友人達との夜会が決まってから、ギルバートがずっと考えていたことだ。
このまま冷たく妻の誘いを断り続けるのも可哀想だ。
それに、自分が誘うと、きっと妻は大喜びするだろう。
エミリはどんな表情で喜ぶのだろうか。
エミリを今日誘うと決めてから、ギルバートは、ワクワクしながらエミリが声をかけてくるのを待っていたのだ。
「……、ありがとうございます。ぜひ、ご一緒させて下さい」
エミリはギルバートの言葉を噛み締め、ようやくわずかに微笑んだ。
その反応に、ギルバートは引っかかりを覚える。
随分と想像していた反応と違う。
もしや、嬉しくないのか?
いや、いつも自分を誘っていたエミリだ。そんなはずはない。
ギルバートはチラリとよぎった嫌な考えを振り払い、執務室へと戻った。