婚約破棄の場で、十年盛っていた王子の化けの皮を剥がしたら、加工不要の呪われ公爵に見初められました
「アデル殿下。その言葉を口にする前に、こちらから申し上げますわ」
王宮大広間――『鏡の間』。
楽団のワルツが流れ、数百の貴族と諸外国の賓客が見守る中、私は扇を静かに閉じた。
「貴方は、クビです」
空気が凍った。
シャンパングラスの触れ合う音も、貴婦人たちの笑い声も、ぴたりと止まる。
目の前にいるのは、この国の第一王子アデル。
その腕には、男爵令嬢ミラが勝ち誇った顔でしがみついていた。
アデル殿下は今まさに、大勢の前で私へ「婚約破棄」を突きつけようとしていたところだった。
その出鼻を、私は完璧なタイミングで叩き潰したのである。
「……は?」
ぽかん、と口を開けたまま固まるアデル殿下。
私は冷たく微笑んだ。
「聞こえませんでしたか? 契約解除です、殿下」
「な、何を言っている、テレサ!? 婚約破棄は僕のセリフだぞ!」
「ええ。ですから、その前に切らせていただきましたの」
彼のこめかみに青筋が浮いた。
今日はいつもより発光が強い。緊張している時の癖だ。
「貴方は先ほど、そちらのミラ嬢にこう囁いておられましたわね。『君こそ僕の隣にふさわしい』『テレサのような地味な女はもう要らない』と」
「その通りだ!」
アデル殿下は開き直るように胸を張った。
会場の奥、三メートルはある巨大な肖像画を指差す。
そこに描かれているのは、黄金の髪、陶器の肌、透き通る碧眼を持つ、神々しいまでの美青年だった。
いわゆる太陽の王子の姿である。
「見ろ! この気高さ、この輝き! これこそが僕だ! お前のような地味で冴えない女では、この美しさを支える資格がない!」
「そうですわ! アデル様のお隣に必要なのは、私みたいに華やかな女なんですもの!」
ミラが甲高い声で便乗する。
周囲からも、ため息混じりの賞賛が漏れた。
「なんてお美しい……」
「まるで芸術品だ」
「さすが殿下……」
ええ。
芸術品ですとも。
私が十年かけて磨き上げた、渾身の作品ですから。
私は小さくため息をついた。
「……アデル殿下」
「なんだ」
「その『輝き』が、誰のおかげだと思っているのです?」
「は?」
「全て、私の演出です」
ざわり、と会場が揺れた。
アデル殿下の眉がぴくりと動く。
「なにを馬鹿なことを」
「馬鹿なことではありませんわ。身長を高く見せる視覚補正。肌の凹凸を飛ばす美肌補正。声を整えて響かせる音響補正。体臭を抑え、香りを上書きする芳香補正。猫背を目立たなくする姿勢補正。加えて、周囲に理想の王子様像を押し付ける認識誘導」
私は淡々と並べた。
「十年間、私がかけ続けてきた支援魔法です」
「……っ!」
ここまで明かせば、賓客の顔つきも変わる。
特に諸外国の者たちは、単なる醜聞より“王族の真偽”に敏感だ。
「嘘だ!」
アデル殿下が叫んだ。
「そんな魔法、あるわけがない!」
「ありますわ。現に、貴方はここ十年ずっと『自分は何もしなくても完璧』だと思い込んで生きてこられたでしょう?」
私には前世の記憶がある。
前世の私は、芸能事務所でマネージャー兼レタッチャーをしていた。
照明、角度、声の通し方、香り、演出、印象操作。
冴えない新人を“売れる顔”に仕立てるのが仕事だった。
そんな私がこの世界で授かった固有魔法が、【演出魔法】。
対象の見え方、聞こえ方、感じ方を調整し、『理想の姿』として他者へ出力する力だ。
十年前。
優秀だった兄王子の陰で、猫背でぼそぼそ喋り、いつも自信なさげに下を向いていた第二王子アデルを見た時、私は思ってしまった。
――磨けば売れるかもしれない、と。
それが人生最大の判断ミスだった。
兄王子が病没し、アデルが第一王子になった頃には、もう手遅れだった。
与えられた輝きを、生まれつきのものだと信じて疑わない、厄介な勘違い男に育っていたのだから。
「契約違反です、殿下」
私はにっこりと微笑んだ。
「私を『不要』と断じ、公の場で侮辱し、婚約を破棄しようとした。ならば、私も貴方へのサービス提供を終了いたします」
「待て! やめろ、テレサ!」
彼の顔が引きつる。
本能が察したのだろう。自分が何の上に立っていたのかを。
「十年間、上げ底の舞台で気持ちよく踊れて幸せでしたわね」
私は指を鳴らした。
パチン、と乾いた音が、鏡の間に響く。
次の瞬間。
シュゥゥゥゥ……。
まるで張りぼてから空気が抜けるみたいに、アデル殿下を包んでいた金色の光が剥がれ落ちた。
「――え?」
最前列の女性大使が、思わず声を漏らした。
そこに立っていたのは、さっきまでの“太陽の王子”ではなかった。
黄金に輝いていた髪は、脂で束になったくすんだ藁色。
陶器のようだった肌には、赤い吹き出物と毛穴の開きがびっしり浮かび上がる。
高身長に見えていた体格は、極度の猫背のせいで一気に縮み、仕立ての良い軍服だけがだらしなく余った。
そして何より、顔が違った。
焦点の合わない濁った目。
だらしなく開いた口。
緩んだ輪郭。
どこにでもいる、いや、どこにいても目立たない冴えない男が、そこにいた。
「な、なんだ……喉が……身体が重い……!」
アデル殿下が叫ぶ。
けれど響いたのは、これまでの甘くよく通る美声ではなかった。
「フガッ、ひ、ひどいだろうがァ!」
鼻にかかった、濁って裏返る情けない声。
隣にいたミラが悲鳴を上げて飛び退く。
「いやっ! 誰ですの、この人!? アデル様は!? こんな汗臭い男じゃありませんわ!」
そう。
認識誘導も切れた。
今まで爽やかな香りとして処理されていたものの正体は、何日も風呂に入らず香水を重ねた、皮脂と汗と腐った花の臭いである。
ぶわり、と会場に本来の臭気が広がった。
「うっ……くさっ」
「これが……殿下?」
「後ろの肖像画と別人じゃないか!」
嘲笑と軽蔑が一気に押し寄せる。
芸術国の画家が後ろの肖像画と今のアデルを見比べ、震える声で言った。
「これは……偽装だ」
女性大使が、冷ややかに扇を上げる。
「王族の外見まで虚飾で塗り固める国を、誰が信用するのかしら」
その一言が致命傷だった。
「違う! 僕は太陽だ! 僕は輝いて――」
「ひどい素材でしたけれど、十年も盛ればそれなりになりましたわ」
私は容赦なく言い切った。
「でも、もう終了です。今後はご自身の素顔で頑張ってくださいませ」
「テレサァァッ!!」
よだれを飛ばしながら、アデル殿下が私へ掴みかかろうとする。
その手は脂ぎっていて、爪の間には黒い垢が詰まっていた。
本当に、もう触りたくもない。
私が一歩下がった、その時だった。
「――その汚い手で、彼女に触れるな」
ドンッ、と空気そのものが震えた。
見えない衝撃に弾かれ、アデル殿下が床を転がる。
「ぐぉっ!?」
大広間の入り口から、一人の男が歩いてきた。
黒銀の軍装。
顔の半分を覆う精巧な銀の仮面。
そして、ただ歩くだけで人々を沈黙させる、圧倒的な威。
北の辺境伯、エリオット・フォン・グランツ。
『呪われた公爵』『仮面の化け物』と噂され、誰もが恐れて遠巻きにする武人だ。
けれど、ひとたび彼が口を開いた瞬間、私の前世の職業病が、うるさいくらいに悲鳴を上げた。
――何、この声。国宝級なんですけど。
深く、甘く、腹の底まで響く本物の美声。
補正なしでこれって、反則では?
エリオット様は床のアデルを見下ろし、それから私へ視線を移した。
「怪我はないか」
「え、ええ。助けていただき、ありがとうございます」
「無事ならいい」
短い言葉なのに、声が良すぎて胸が震える。
アデル殿下が床の上から喚いた。
「エリオット! 貴様、僕の式典で何を――」
「見苦しい」
たった三文字で斬り捨てられた。
アデル殿下が言葉を失う。
エリオット様は再び私を見る。
「……君は、俺を怖がらないんだな」
「え?」
「この顔を見た者は、皆青ざめて逃げる」
銀の仮面に指がかかる。
周囲の令嬢たちが一斉に後ずさった。
中には本気で顔を覆う者までいる。
そう。
彼は仮面の下の顔を見た者は倒れると噂されているのだ。
「見ても、平気か?」
「平気です」
私は迷わず頷いた。
だってつい今しがた、十年かけて盛ったニセ王子の化けの皮が剥がれる地獄絵図を見たばかりだ。
あれ以上の視覚ダメージはなかなかない。
カチリ、と留め具が外れる。
銀の仮面が床に落ちた。
その瞬間。
私は言葉を失った。
そこにいたのは、化け物どころか――神が本気で趣味に走って作ったとしか思えない、完成された美貌の男だった。
艶やかな黒髪。
氷を溶かしたみたいに透き通るアクアマリンの瞳。
通った鼻筋、引き締まった口元、均整の取れた輪郭。
肌は滑らかで、一切の粗がない。
しかも全体のバランスがえげつないほど完璧だった。
前世で何百人と売れる顔を見てきた私が断言する。
加工不要。むしろ加工したら価値が落ちる。
そのままで国宝。いや、世界遺産。
周囲の令嬢たちがぱたぱたと倒れていく。
「ひゃっ……」
「尊い……」
「無理……」
なるほど。
『顔を見た者は倒れる』の正体、これか。
エリオット様は私の沈黙を、別の意味に受け取ったらしい。
僅かに目を伏せ、自嘲するように言った。
「……やはり、醜いだろう」
「は?」
あまりに予想外で、素で間の抜けた声が出た。
「いや、鏡をご覧になったことあります?」
「鏡は割れる」
「(……顔面の情報量に耐えられてないのね……)」
私は額を押さえた。
この人、周囲が直視できないのを醜いからだと勘違いしているのか。
とんでもない。
私は吸い寄せられるように一歩近づいた。
「エリオット様。貴方は呪われてなんかいません」
「……そうなのか?」
「ええ。ただ、美しすぎて一般人の処理能力を超えているだけです」
その瞬間、エリオット様がぴたりと固まる。
「私は演出の専門家です。断言できます。これは醜さではなく、出力過多です」
「しゅつりょく……?」
「強すぎるんです。顔も、雰囲気も、声も、全部。だから皆、脳が追いつかないだけ」
私はきっぱり言った。
「少しだけ減光して、威圧感を散らせば問題ありません。貴方はただの見られない化け物じゃない。最上級の逸材です」
エリオット様の瞳が見開かれる。
それから、信じられないものを見るみたいに私を見つめた。
「……俺を見て、逃げなかった女は初めてだ」
「私は偽物の輝きを十年見てきましたから。本物は、ちゃんと分かります」
言った途端、エリオット様の耳まで真っ赤になった。
あ、可愛い。
見た目はラスボス級なのに、中身はびっくりするほど純情だ。
私の胸がどきんと跳ねる。
これはもう、仕事ではない。
完全に、ときめきだ。
「テレサ嬢」
エリオット様が、私の手を取った。
分厚くて、剣ダコのある、温かい手だった。
アデルのぬるぬるした指先とは比べものにならない、本物の熱。
「君が望むなら、俺のそばで力を貸してほしい」
「それは、専属契約ですか?」
「……できれば、婚約も込みで」
周囲から悲鳴が上がる。
床に転がる元・太陽の王子と、仮面を外しただけで人を失神させる本物の『美』。
比較対象として残酷すぎた。
私は笑みをこぼした。
「喜んでお引き受けします、エリオット様」
そう言って彼の腕を取る。
「これからは私が、貴方の輝きを人類が正視できる範囲に調整して差し上げますわ」
「……助かる」
小さく返したその声が、また最高に良かった。
その後ろで、アデル殿下が床の上から絶叫している。
「待て! テレサ! 戻れ! 僕に魔法をかけ直せ!!」
私は振り返りもせず、ただ一言だけ告げた。
「再契約はありません。そこから先は、ノーメイクで頑張ってくださいませ」
笑いが起こった。
それはもう、王子に対して向けるものではない。
見世物に向ける嗤いだ。
私はエリオット様と共に、鏡の間を後にした。
◇◆◇
王宮の回廊を歩きながら、エリオット様はまだ少し夢でも見ているような顔をしていた。
「本当に、いいのか?」
「何がです?」
「俺なんかで」
私は足を止めた。
それから彼を見上げ、少しだけ背伸びをする。
「俺なんかは、今後禁止です」
アクアマリンの瞳が、わずかに揺れる。
「貴方は、私が生涯をかけて推せる、最高の逸材です」
「……逸材」
「ええ。顔、声、体格、人柄、全部が一級品。その上、変に擦れていなくて、照れるとすぐ赤くなる。こんな奇跡みたいな当たり物件、そうそうありませんわ」
言い切ると、エリオット様の顔がまた見る間に赤くなった。
「テレサ……君は、本当に容赦がないな」
「前職でもよく言われました」
私は小さく笑った。
「でも、貴方にだけは、ちゃんと伝えておきたいんです」
「……何を?」
「さっき、貴方に手を取られた時――とても、安心しました」
その言葉に、エリオット様の表情がゆっくりとほどけた。
「……俺もだ」
低く甘いその声が、今度はまっすぐ胸の奥まで響く。
次の瞬間、ぐっと腰を引き寄せられる。
王宮の回廊、その影になった場所。
誰の目も届かない、ほんの小さな死角。
「少しだけ、触れてもいいか」
「もう契約済みでしょう?」
そう答えると、エリオット様は困ったように、でもひどく嬉しそうに笑った。
そして落ちてきた口づけは、加工も演出もいらない、本物の熱を持っていた。
甘くて、優しくて、びっくりするほど幸せで。
十年間、偽物の王子を磨き続けてきた私が、最後に手に入れたのは――
どんな魔法も必要としない、世界でいちばん美しい本物だった。




