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僕はこの、県内では名門と言われている知央学園にめでたく合格したのだが――入学最初の登校日、僕の高校生活は、早々に終わりを告げた。
理由は単純。隣の席に、租倉空がいたからだ。
あいつとは、中学校時代、たった一回だけ、クラスが一緒だった。
それだけでもう、あいつの顔は、二度と見たくなくなった。
「仁瀬真尋」
慣れないざわめきの中。聞き覚えのない声ばかりの中。僕の周りだけが、異国のような、そんな疎外感の中で。
たった一つ、もう聞きたくなかったものが聞こえた。
見ると、租倉は、嫌味なほどに整った顔立ちを歪めて笑う。白髪が、まるで刃のように光っていた。
「中学時代は部活動や委員会などには所属せず、かといって外部での活動に精力的だったわけでもなく、一見すれば、外部との関わりを絶っているようにも思える」
勝手な推測をするな。
「しかしコミュニケーション能力に欠陥があるかといえば、違う」
「クラスメイトとも普通に話すし、少数ではあるが友人らしき人物もいた」
「私とは、ほとんど喋ってくれなかったけどね、まったく、傷つくよ」
お前が鬱陶しかったからだ。無理やり、人を暴くような真似ばかりするからだ。
そういうことを、言うな。
「感情を表に出さないのかと思えば、人並みに笑ったり、悲しむ様さえ見た事がある――だけだ」
「これだけだ、私が、君について、知っていること、去年の1年間で、知れたことは」
「他のクラスメイトは、性格も好みも行動原理も、何もかも解ったのに」
「君だけは、最後まで解らないままだったね」
租倉は、ずいっと顔を近づけてきた。
視界のほとんどが覆われ、息がかかりそうになるくらい近い距離。
咄嗟の事で、顔を逸らすこともできずに、視界のほとんどが、租倉のニヤケた顔で埋め尽くされて。
僕は、自分が驚いているのか、怒っているのかもわからなかったけれど、とにかく、不愉快だった。
「君は、何なのかな?他者を恐れている?人間不信?不器用なだけ?それとも――」
「触れられてほしくないものがある、とか?」
一瞬、呼吸を忘れた。
それは何も、突然笑顔を消した租倉に、気圧されたわけじゃない。
「興味が尽きない、というより、屈辱だよ」
「15年生きて君だけだ、君だけが、私に本質を悟らせなかった」
そこまで言って、租倉はようやく顔を離したかと思えば、僕を指さして。
「今度こそだ、私はもう、手段を選ばない」
「去年のような失態は、もう沢山だ」
一瞬たりとも、気が抜けない。油断ができない。
僕は、一ミリたりとも、表情を動かさなかった、つもりだったのに。
「…ねぇ、君さ」
「私が顔を近づけた時、動揺しただろ」
見破られて、しまった。
まずい、まずい。
「一瞬、息が詰まったね。瞼が少し開いて、顔を仰け反らせた」
「やっぱり、君は」
「過去に、何かがあるんだね?君の本質たる、何かが」
心臓が、早鐘を打つ。やめろ、止まれ。
何も、知られてはいけないんだ。こいつには、あの事を。
落ち着け、ゆっくりだ、自然に、自然に。
「…さぁ」
僕はそれだけ言って、租倉から顔を背ける。一切の感情を滲ませない様に、さりげなく、細心の注意を払って。
そしたら、租倉はつまらなそうに、残念がるように、言った。
「ふぅん」
良かった、と、心からの安堵を覚えた。
僕は会話を終わらすために、何も反応しない。
「なんだ、もう喋ってくれないのかい、まぁいいや、一人で喋るよ、聞いておくれ」
しかし、租倉はまだ何か話す気だ。もちろん聞く気はないけれど、勝手に耳に入ってくる。
「私はね、君だけじゃない、クラスメイトみんなのことを知りたいと思っているんだよ」
新手の犯行予告か、できれば、というか絶対にやめて欲しいものだ。
「だって、このクラスの中では、私と君ぐらいしか外部からの入学者はいない、あとは、ほとんどが内部進学だ」
「仲良くするためには、知ることは必須だろう?」
黙れ。建前だろう、そんなこと。
お前は、他人の事なんて、これっぽっちも考えていない。
「しかしそんなこと、一人じゃあ難しいだろう?だから、君に協力してほしいんだよ」
「嫌だ」
僕はそれだけ告げて、租倉から顔を背ける。これ以上、こいつに乗せられてたまるか。
「…ふぅん」
「そうかそうか、つまり君は、拒否するわけなんだね」
何か言っているが、無視だ、無視。
「それは困ってしまったな、君の協力がないと、みんなを知ることは難しいんだけどねぇ」
「うん、なら仕方ないか」
背中に、冷たい金属が押し付けられたような悪寒がした。
その気味の悪い感覚に、耐えきれなくて。
租倉を、見てしまった。
「彼女は後回し、まずは、目の前の君だ」
「使えるものはなんだって使おう、ありとあらゆる手段を講じて、君の過去から現在までの事を全て調べつくして」
「そして、君の弱味を握った後に、また協力してもらうことにするよ」
租倉は、笑っていた。頬を吊り上げて、目を細めて。
まるで、罠にかかった獲物を見るように。喜びと優越感の入り混じった表情で、僕を見ていた。
その表情で、察した。
僕は今、二択を迫られている。
もし僕が断ったら、こいつは本気で、僕を調べつくすつもりだろう。
そしてきっと僕の、あの過ちにまでたどり着いて。
僕を、支配するつもりだ。
そして、断ったら。
僕が、他者を犠牲にしてまで、知られたくないことがあると言うのを、知られてしまうだろう。だが。
後者が勘づかれている以上、選択の余地なんて、なかった。
「…租倉」
眩暈がする。吐き気を催す。
でも、それを表情に出せない。出してはいけない。
「ん?」
「何を、すればいいんだよ」
租倉は、気持ちの悪い笑顔を崩さないままに、教室の、ある一点を指さして。
「まずは、彼女だ」
「出席番号二番、右野狭香」
「彼女こそが、このクラスの中心といえるからね」
僕は、今の気乗りしない気持ちを込めた声で、そしてできるだけ、その裏の、決意は悟られない様に気を付けて。
「…わかったよ」
ゆっくりと、顔を租倉に向けない様に、口を開く。
「ふふん、決まりだね」
声が、入り込んできた。嘲るような、見下すような、弾んだ声。
見えなくても、声の主の表情は、あまりに鮮明に僕の脳裏に移りこんできた。
こいつの、せいだ。
こいつがいるから、誰も安心して過ごせない。人の秘密を、易々と暴いていいわけがない。それは、触れてはならないものなのだ。
秘密というのは、それほどまでに力がある。
僕は、決めた。
僕は、こいつに協力をしない。
でも、僕を知られるようなことも、してたまるか。
こいつの目的なんて、ひとつ残らずへし折ってやる。




