第4話
藍色のローブを纏った女魔導士が、静かに歩み寄ってくる。
「レイジ……わたしを巻き込むな」
その声は低く凛と響いた。感情を押し殺したような冷静さがあった。
ローブのフードを払うと、銀糸のような長い髪と、切れ長の鋭い眼差しが現れる。顔の下半分を覆うハーフマスクが、その本心を読み取らせない。
「ははっ、正義感のかたまりみたいなおまえが、困ってるやつ見捨てて通り過ぎるわけねぇだろ」
「……」
「それに“巻き込むな”ってやつが、背負ってたものを下に置いて、今にも詠唱しそうじゃねぇか」
「ほんと……口が減らないね。勝手にわたしを“いい人”にすんな」
「だけど、おまえも“ネオ”なんだよ。俺と一緒に戦ってきた。……俺が、生き方とか、戦い方とか――」
「もういい!――わたしが、レイジから教わったものなんて……皆無だ」
シエンが、伏し目がちに首を振る。
その時だった。
「あれは、ネオフリーダムの『シエン』だ!」
群衆からざわめきが走った。B級の大型モンスターの群れを魔法一閃で殲滅し、村の子供を救った逸話は、この辺りでは有名だった。
ネオフリーダムの団員――断罪の女魔導士・シエン。
攻撃魔法系ヒューマン。クラン内では最強火力を誇り、そのレベルはAランク目前だ。
この世界のレベルの強さは、ハンター系も対人系も同じで、ただ攻撃対象が魔物か人(エルフやドワーフを含む)かの違いだけである。
不意に登場した自分たちよりも上位ランクの女魔導士に、慌てたのは四人の戦士だった。そして、黒フードの男魔導士すら、ぴたりと足を止めた。
(シエン姉さん)
それとは逆に安堵したのは、腰が抜けていたルピタだった。
口から少し出ている心臓を中へ押し戻している。
「さぁ~て。これから、どうしよっか」
レイジが、のんきな声で、黒いローブの男へ顔を向ける。シエンとルピタが、その背後に歩いて来た。
黒ローブの男。――それは、常勝ニュルンベルグの軍師・知雀明だった。
敵地視察のため、今回はヒーラーの自身とCランク戦士数名という最低限の護衛だった。あえて“目立たぬように”を優先した判断が、今、裏目に出ていたのだ。
(……四天王の一人でも連れて来ればよかった)
知雀明は、内心で静かに歯噛みしていた。
「貴様ら、俺たちを誰だと……」
「待て」
その言葉を、知雀明が手で遮る。
「……帰るぞ」
知雀明の命令に、四人の戦士がレイジに背を向ける。
「おいおい、ちょっと待てよ」それをレイジが呼び止めた。
「あんたさっき、俺の“保護者責任”の話を聞いてなかったのか。……迷惑かけた相手に、まだ謝ってないだろ」
そう言って、右手でバニラを示した。それに慌てたのは、バニラの方だった。
「いっ、いいんです! わたし、大丈夫ですからっ!」
慌てて手を振る彼女。狼狽えて、顔は真っ赤だ。
「いやいやいや。いい大人ってのは、“尊厳”を守るもんだろ。 な?」
知雀明の拳が、ギリギリと音を立てる。フードの奥に、浮き上がった血管がピクピクと脈打っている。
その時、シエンの背後に、淡く紫がかった魔力の円陣が静かに浮かび始めた。空気がびりびりと震え、地面の小石がカタカタと揺れる。
「マジか……ほんとに撃つ気じゃねぇの!?」レイジも慌てた。
四人の戦士が一歩、後ずさる。
「早くしなさい」
いつも冷静な知雀明の声が、珍しく苛立ちを帯びていた。
その一言で、戦士たちはしぶしぶバニラに頭を下げ、そそくさと退散した。
(――いずれ、この愚か者どもに“知雀の理”を叩き込んでやる)
知雀明の手のひらには、深く爪の痕が刻まれていた。プライドの高い彼が、ここまで辱めを受けたのは――生まれて初めてだった。
彼にとって、これは「悪夢」以外の何物でもなかった。