第5話
――シェヴェリーン城の地下牢。
「グゴォリャァァァァァァ・・!」
巨漢の悪豚卑が、大きな雄たけびをあげながら、風華夢に突進してきた。
口からは焦茶色のよだれを垂らし、その声はもはや獣の咆哮に近かった。
大上段に掲げた鋼鉄の車輪が唸りを上げて振り下ろされる寸前、風華夢の身体が一瞬早く宙を舞った。悪豚卑の巨体を追い越すように跳躍したその刹那――。
悪豚卑は、頭上に跳躍する風華夢を視界に捉える。顎が上がった。風華夢は、手にしていた矢を両手で握りしめると、半開きの口腔めがけて、渾身の力で振り下ろした。
その時、後方の弓兵二人が、床に尻をついたままのミロイを狙って矢を放った。
――寸分の狂いもなく、矢は悪豚卑の喉奥を内側から貫いた。
「ぐふぅぅぅぅ!!」
黒ずんだ血飛沫が口中から噴き出す。
風華夢は飛んでくる矢を見ると、空中で悪豚卑の頭部を両手で掴み、左こめかみに右膝を乗せ、全体重を叩きつけるように掛けた。
ミロイの前には二本の矢が迫っていた。動けば、背後で意識を失っている沙羅夜に矢が刺さってしまうかもしれない。
その瞬間、風華夢を乗せた悪豚卑の頭部がミロイの目前に落下する。
深緑の巨大な頭がミロイと沙羅夜を覆うように落ち、デカい後頭部の硬質な外皮が矢を弾いた。
絶命した悪豚卑の顔は、口から矢を突き出したまま、苦悶に歪んでいた。
「そこまでよ!」
風華夢が振り返ると、リオナが率いる王の側近兵たちが地下牢の入口付近にいた弓兵二人を取り囲んでいた。
リオナは悪豚卑の巨体を避けながらミロイのもとへ歩み寄り、「大丈夫ですか」と手を差し伸べた。
ミロイはその手を借りて立ち上がると、猿轡を外してほしいと両手で必死に示した。
「沙羅夜」
風華夢が膝をつき、沙羅夜の脇腹の傷を押さえながら優しく抱きかかえた。
「沙羅夜!」
その呼びかけに応じて、沙羅夜がゆっくりと目を開ける。
「……風華夢」
眉目秀麗な風華夢の顔を見て、沙羅夜は微笑んだ。
「もうあたいは……ダメみたいだねぇ」
「……」
「身体の中がぐちゃぐちゃで……目ももう、よく見えなくて……」
声は消え入るように小さくなっていく。そこへ猿轡を外してもらったミロイが、救ってくれた沙羅夜のもとへ駆け寄る。
「風華夢、あたいの最後の願いを、聞いてくれないかねぇ……」
「……」
「風華夢、あたいに……最後の口づけを……」
「……」
「風華夢……」
沙羅夜は目を閉じ、わずかに顎を上げた。風華夢は沙羅夜を抱えたまま、黙して動かない。
その様子を見て、風華夢の肩越しからミロイが――
「風華夢さん、お願いします!」と懇願した。大粒の涙が彼の頬を伝う。
「風華夢……」
沙羅夜の消え入りそうな言葉が途切れると、その首は、がくりと力なく後ろへ落ちた。
「さ、沙羅夜さん!」
ミロイが声を裏返して叫んだ。
「ん、な~にぃ?」
沙羅夜が、悪戯っぽく片目を細める。
「沙羅夜のなかの強かな細胞たちは、そう簡単に生きることを諦めたりはしません。この程度の傷では、沙羅夜は死にませんよ」
風華夢の言葉に、ミロイは目を丸くして硬直する。
「どうやら、あたいの演技も、ミロイ殿の芝居と同じで、まだまだ風華夢には通じなかったようだねぇ~」
「どうしても風華夢の麗しい顔を見ていると、あたいの中のふしだらな気持ちが抑えられなくなって……。これもみんな、世迷言かねぇ~」
沙羅夜がミロイに笑いかける。ミロイの頭の中は、混乱と安堵で大混乱だった。
◇
沙羅夜とミロイは、リオナから、すべてが軍師・知雀明によって仕組まれた陰謀であり、ネオフリーダムは無関係であることを知らされた。
沙羅夜は、リオナの回復系魔法で応急処置を受けたが、傷の深さからしばらくは静養が必要だった。
沙羅夜を寝室に寝かせたあと、風華夢たち三人は王室の羅漢王に報告を行った。
羅漢王は深く頷いたのち、玉座から降りてミロイの前で頭を下げて謝罪する。その背後で風華夢とリオナも深く一礼した。
「リオナ、知雀明の指示で、男を拉致していると聞いたな?」
玉座に戻りながら、羅漢王がリオナに尋ねる。
「はい。盗賊団の男がそう言っていました」
「ひょっとしたら、それはハルトさんかも」
ミロイが静かに口を開く。
「それは十分にありえますね」
と、風華夢が王に向き直る。
「いま、幻妖斎がその男の後を追って、盗賊団のアジトへ向かっている。道中には目印を残してある。沙羅夜には軍を率いて、急ぎそのアジトへ向かわせてほしい。
そして風華夢、お前はネオフリーダムのアジトへ行き、誤解を解いてきてくれ。
アデン城を視察中の龍神鬼も、おそらくは黄昏山脈の近くにいるはずだ。彼にも、ネオフリーダムとの争いは中止するよう伝えてくれ」
「沙羅夜将軍は負傷のため、今は動けません。私が代わりに行きます」
リオナが膝をつき、羅漢王に頭を下げた。
「分かった。囚われた者を救い出してくれ」
「はっ!」
「僕も行きます!」
ミロイの言葉に、羅漢王が頷いた。
◇
ミロイが支度を終えて城門前に出ると、リオナが二頭の馬を引いて待っていた。
風華夢はすでにネオフリーダムへ向けて出発していた。
「いえ、馬よりもいいものがあります。リオナさんも一緒にどうですか」
ミロイが城外で指笛を吹く。……だが、何も起きない。
もう一度、指笛を吹いて、林の奥を見やる。……静寂。
「ガジマル、主を置いて、どこまで逃げていっちまったんだよ……」
ミロイは気まずそうにリオナへ視線を移す。
「ガジマルとは?」
「ああ、ぼくの言うことを聞くペットです」
「……主に忠義を尽くすのですか?」
「そ、それはちょっと……運次第で……」
ミロイは気まずそうにリオナから手綱を受け取る。リオナは自分の馬に跨った。
城門の外には、沙羅夜の軍の兵士30が、馬に乗って待っていた。―――先頭のリオナの合図で、進軍を始めた。




