第１話
――アデン領・北方戦線。
四つの城を陥とし、ミストラル領を制覇。
無敗のまま、常勝の道を突き進む――血盟**『ニュルンベルグ』**。
その刃が次に向けられたのは、アデン領・最北部の要衝――ブリザック城。
攻城軍の総大将には、四天王最強と謳われる戦鬼、**龍神鬼**が最前線に姿を現す。
対するは、“知略の城”の異名を持つブリザック城を守る血盟**『ギャザバーン』。
彼らの切り札は二つ――。
一つ、――策謀の魔導士、“漆黒の智将”ガイヤール。
一つ、――正面突破を許さぬ城壁、“粉砕の金棒”ドンジョロ。
この二将が、盟主ジル・ド・レオが築き上げた鉄壁の布陣を支える象徴だった。
今、野心と信念がぶつかり合い、剛力と智謀が火花を散らす。
――ブリザック城攻防戦、開戦。
◇
「……あれは？」
ニュルンベルグ軍総大将であるオークウォーリアの龍神鬼が、顎をしゃくった。
その視線の先、敵の左翼ではモヒカン頭の巨漢が金棒を振り回し、味方の兵士たちを片っ端から吹き飛ばしている。
「あれはギャザバーンの将軍、ドンジョロです」
副軍師リオナが即座に答える。その瞳は鋭く敵将を捉えていた。
「“粉砕の金棒”ドンジョロ――前勇者にして、金棒ひと振りで戦場を潰す怪物です」
金棒が振り下ろされるたびに地面がめり込み、その振動はこの本陣まで伝わってくる。
「勇者……？」龍神鬼が、わずかに首を傾げた。
「四年に一度の大陸武術大会。その優勝者に与えられる称号です。ドンジョロは今年の大会で、現勇者に二回戦で敗れ、称号を失いました」
「そうか」
気の無い返事だった。大陸最強の肩書きも、龍神鬼にはどうでもよかった。
戦場において、勇者の称号など意味をなさなかったからである。
「兵を下げろ！」
その一言にリオナはすぐに頷き、指先一つで軍を下げさせる。
龍神鬼は立ち上がると、無言で右手を横に差し出した。すぐに配下が駆け寄り、両手持ちの巨斧をその手に握らせる。その隣ではリオナが冷静に、最大限の強化バフを龍神鬼へ叩き込んでいった。
彼女は軍師・知雀明の一番弟子だ。戦場の空気すらも計算する女であり、その周到な采配は、龍神鬼も絶対的な信頼を置くほどだった。
しかし、戦況は厳しい。
今回の出陣は、軍師・知雀明による周到な策であった。
ニュルンベルグの四天王から、南の龍神鬼と西の仙空惨――二将を同時にブリザック城へ差し向け、モナ川を越えた平地にて合流し、一気に城を包囲・制圧するという作戦だった。
だが、敵将ジル・ド・レオは、難攻不落と名高い城を逆手に取り、あえて籠城せず、早々にモナ川を渡った龍神鬼軍の背後を突いた。橋を落とし、退路を断つ。そこへ三倍の兵をもって龍神鬼軍を包囲し、各個撃破を狙ったのだ。
一方、川の向こうに取り残された仙空惨軍は援軍に動けず、傍観するしかなかった。
背後は断崖、前は敵軍。
通常なら狼狽えてもおかしくない状況――だが龍神鬼は、ふっと笑っただけだった。
「ジル・ド・レオか。おもしろい」
その一言だけで、南部軍は奮い立った。龍神鬼と共に勝ち続けた精鋭たちに、怯える理由はない。これが負けを知らない――龍神鬼の南部軍だった。
「リオナ、本陣を死守しろ。俺が敵の左翼を潰す」
「了解です」
龍神鬼の命令はたった一言――リオナには、それで充分だった。
「前衛にタンクを並べろ！」
「アーチャーは後方から射撃、張り付いた敵は前衛アタッカーが長槍で剥がせ！」
「御意！」
号令一つで、兵が駆けた。盾を構え、弓を番え、槍を突き出す。
戦陣が、音を立てて動き出す。
リオナは、アーチャー五名を招集した。
「敵の総大将ガイヤールは高火力の魔法使い。必ず距離を詰めて詠唱する。暗夜のローブが目印、近づいたらあいつを狙え。他の敵は無視だ！」
アーチャーたちはうなずき、高台へと走った。
「射程内に入った敵には、攻撃魔法・弱体化・鈍足のデバフを！ タンクには防御バフと回復！ 貫通矢を使え、前には出るな！ ここを死守する！」
リオナの声に、さらに士気が高まった。
◇
敵の左翼に攻めに行ったニュルンベルグの負傷兵たちが、肩を貸されながら後方へ撤退してくる。
「弱い！ 弱すぎるっ！」
ドンジョロが二メートル超えの金棒を振り回し、怒声を上げた。敵兵を吹き飛ばすたびに地が揺れる。金棒の一撃で、ニュルンベルグ兵が二名、三名と宙を舞った。
そのとき、自軍のギャザバーン兵が吹き飛んだ。
「ん？」
顔を向けると、斧を担いだ巨漢が、ただ一人、砂煙の中を悠然と歩いてくる。
ドンジョロは男が目前まで来るのを待って、にやりと笑った。
「なるほど、お前が龍神鬼か」
戦場の中央で対峙する二人。背丈は互角――だが、ドンジョロは太く丸く、龍神鬼は岩のように重かった。
「俺は前勇者のドンだ。お前の兵は、雑魚ばかりだな」
四年前の大陸武術大会――決勝で巨大なドラゴンレッドを片腕でねじ伏せた一撃は、“粉砕の金棒”と讃えられた。以降、ドンジョロは多くの戦場で金棒一振りにて戦局を変え、“戦場を割る男”と恐れられていた。
金棒を肩に乗せ、ドンジョロが見下ろす。
龍神鬼は無言のまま、微動だにしない。
「今、俺は運命を感じている。……おまえは、四天王の中で最強だと聞いている。――そのお前を潰して、俺は歴史に名を残す」
「あはははっ」
「……何がおかしい！？」
低く響く声が、戦場の空気を震わせた。
「おまえ、最強の意味、分かってんのか？」
ドンジョロは鼻を鳴らして胸を張る。
「この金棒で、どれだけ敵を沈めてきたと思ってやがる！」
龍神鬼がわずかに口角を上げた。
「斧に張り付く肉片に、歴史なんか作れねぇーよ」
ドンジョロの頬がピクリと痙攣した。
「……てめぇ、言ったな」
「忙しいんだ。そろそろ終わらせようぜ」
龍神鬼が首を左右に傾け、鈍い音を鳴らした。
「口だけは達者な奴だ。せめて、一分は立ってろよ！」
怒号と共に、ドンジョロが跳ねた。金棒が雷鳴のように振り下ろされる。
「ぞぉりゃあああ！ 粉砕っ！！」
百二十キロの鋼鉄が唸りを上げる。空気を裂き、砂を巻き上げ、誰もが避けきれぬと確信した、その瞬間――
――ガツンッ！
地鳴りのような鈍音。龍神鬼は右肩を引き、左肩を突き出していた。その左腕一本で、ドンジョロの全体重を乗せた一撃を受け止めていた。
「なっ……！？」
ドンジョロの目が見開かれる。
龍神鬼の鉄甲をはめた左手が、ぎりぎりと金棒を押し返す。踏み込んだ鉄靴が地にめり込み、地面には亀裂が入った。だが、その巨体は一歩も退かなかった。
「――終わりだ」
ドンジョロの体が僅かに後方へよろめいた、その時だった。龍神鬼の右手の斧が音もなく走り、ドンジョロが気づいた時にはもう、斧が脇腹に深々と食い込んでいた。
「ぐあ……っ！」
巨体が横薙ぎに吹き飛ばされ、十数メートル先へ転がる。
泡を吹き、白目を剥き、ドンジョロ――戦死。
龍神鬼は斧を肩に担ぎ直し、誰に言うでもなく、口の端に笑みを浮かべた。
「手加減したつもりなんだがな……死んでねぇよな」
その一言に、周囲のギャザバーン兵たちは凍りついた。
龍神鬼は歩き出す。砂煙の中を、大斧を担ぎ、誰にも止められることなく。
――ギャザバーン軍左翼、壊滅。
