第2話
先頭で屈強な悍馬を駆るアルカンブーストが、急に手綱を引いた。
その動きに、山道を連れ立っていた二人の同行者が反応する。
「どうされました、殿?」
軍師ニアーナが馬を並べて問うと、アルカンブーストは顎で崖下を示した。
その先――山を下りきった草原に、十数名の兵士たちが集結している。
その中央、ひときわ異様な威圧感を放つ巨躯の男がひとり、立っていた。
「――あっ、あれは……! ニュルンベルグの龍神鬼!」
最後尾にいたゼイラスが声を上げた。
「どうしてこんな所に……?」
ニアーナが怪訝そうに首をかしげる。
現在、アデン城の城主である血盟ブレイヴディラーの盟主・アルカンブーストは、ゼイラスの元所属クランであるネオフリーダムの盟主が会いに来ると聞き、歓迎の意を示すため国境まで出迎えに向かっていた。
アルカンブーストは護衛もつけず、同行するのは軍師・ニアーナと、ゼイラスの二人だけだ。
ニュルンベルグが先日グルーディオ城を落とし、次の標的がアデン城であることは明らかだった。
――そのとき、草原の奥で、敵に背を向けて森の中へ全速力で逃げる男の姿が目に入った。
「あれは……?」
「レイジです。あれがネオフリーダムの盟主です」
ゼイラスが即答した。
「なんで龍神鬼と戦ってるんだ?」
アルカンブーストが疑問を口にする。
「さぁ……なんででしょう?」
ゼイラスは曖昧に首をかしげる。
ニアーナが冷静に口を挟んだ。「装備を見るかぎり、かなりの戦力差がありますね」
「助けに行くか」
アルカンブーストが手綱を下ろしかけるが――
「無理です」
ニアーナが即答し、その手を止めさせた。
「だが、このままでは……」
「殿、あの数を相手では勝てません」
彼女の声に一片の迷いもない。
アルカンブーストは、黙っているゼイラスへ目を向ける。
仲間が全滅しかけているというのに、彼は驚くほど落ち着いていた。
「仮に周囲の兵を三人で片付けられても、龍神鬼に単騎で勝てる将は……残念ながら、我が軍にはいません」
ニアーナは分析するように言う。
彼女はクラン随一の頭脳を持ち、その予測の的中率は実に九割を超える。
「お前は正直なやつだな」
アルカンブーストが苦笑した。
「龍神鬼は全身の筋肉を極限まで鍛え上げた怪物です。しかも、清濁持ちの厄介な男だとか」
「セイダク……それ、ヤバそうですねぇ」
意味もわからず、わかったフリでゼイラスが渋い顔を作る。さすが元ネオフリーダムだけある。
「龍神鬼は、これまで一度も窮地に陥ったことがなく、得物も複数の敵を一気に薙ぎ倒せる大鉈や戦斧を好みます。かつては五十名の敵兵を、たった一人で瞬時に片付けた記録もあります」
ニアーナは、ニュルンベルグの戦力を徹底的に調べ上げていた。
「できることなら、戦場で会いたくない相手だな」
巨躯を誇るアルカンブーストが、まんざらでもない顔で微笑んだ。
「それに、ハンタークランが対人クランに敵うはずがありません。……残念ですが、この戦いは、もうすぐ終わるでしょう」
ニアーナはわずかに沈んだ声で言った。
「ははっ、それは違いますよ」
ゼイラスが前へ出る。逃げるレイジの背を目で追いながら言った。
「ネオフリーダムの戦いは、ここからが本番なんです」
「はあ……大将が逃げてるのに?」
ニアーナが横目で見てくる。
「はい。逃げてるのに、です!」
ゼイラスはにこりと笑ったが、その目は真剣だった。
「盟主が肝心な時にいないのは、平時のことで、それで戦力が落ちることはありません。いつもモンスターとの戦闘中は、みんなのHP、MPが半分をきっている。それでも諦めずに最後まで戦い続けるのが、ネオフリーダムの戦い方なんですよ」
「だからゼイラスも、HPが底をついて、敵兵に囲まれていても、浮足立たずに、冷静に対処が出来るのか」
アルカンブーストが大きく頷く。
「しかし、この状況では。……ゼイラスは、ネオフリーダムが何か奇跡でも起こすというのですか。この戦いは、すでに決着がついて……」
「それはどうかな」
ニアーナの言葉の途中で、今度はアルカンブーストが遮った。
「何がでしょうか?」
反論する口調でニアーナが返す。ニアーナは、自分の分析力に自信があった。盟主が、自分よりも他者の言葉に肩入れをすることなど、いままでに一度も無いことだった。
「ニアーナ、あれを見てごらん。大将が逃げ出したのに、残された二人には動揺した様子が微塵も無い」
アルカンブーストの言葉に、ニアーナが戦い続けている二人の魔導士へ視線を移した。
「たしかに。……普通なら総崩れを起こし、著しく士気が下がる筈なのに」
ニアーナが信じられないという顔で首を傾げた。
「あれが、ネオフリーダムなんですよ」
ゼイラスが自分のことのように、少し自慢げに言う。
ゼイラスは、エルナとビクライとも一緒に狩りをしていた。二人のペア攻撃の凄さは知っている。そしてレイジのことも。
「ネオフリーダムは対人戦をしないハンタークランですが、盟主が釣ってくる大量のモンスターを相手に、いつもギリギリの戦いをしているんです。それも魔法職のMPが底を突いて休んでいるときを狙って、さらに多くのモンスターを釣ってくる。それが盟主のレイジで、それを涼しい顔で対処してしまうのが、ネオフリーダムなんですよ」
「MPが無ければ、魔法職は何もできないのでは。……最悪でタチの悪い盟主ですね」
ニアーナの言葉に、アルカンブーストが返す。
「だが、その話をしているゼイラスは、どこか嬉しそうで、最悪の盟主という感じがしないな」
不思議な顔でアルカンブーストは言った。
「そうなんですよ、なんかそこが不思議で、……ギリギリの戦いが好きなレイジのいる狩りでは、いつも全滅と隣り合わせで、俺も何度も逝きましたから」
ゼイラスがこともなげに言う。
「で、レイジ殿とは、どんなお人柄かな?」
アルカンブーストの問いに、ゼイラスは答えた。
「どんな、と言われましても、……無茶苦茶で問題ばかり起こすのに、ゼッタイに謝らない。お金を持っていないから、ポーションなどをみんなから貰っているんですけど、ありがとうも言わない。それで、よく副盟主の妹のブルーベルにマジぎれされてます。きっと、ブルーベルの部屋のごみ箱は、凹んでるんちゃうかと」
ゼイラスが楽しそうに言う。
「……………」
ニアーナが、顔を顰めて首を振る。
「そして一番タチが悪いのは、レイジはそれでも何も弁明をしないから、まるで、俺の言い訳よりも、おまえらの感じたものの方が正しいから、それを信じればいい!みたいな感じで……」
「あはははっ」
アルカンブーストが、大きな声で笑い出した。
「だけど、もしも人間の身体に“後ろめたさの数だけ星型の痕が浮かぶ”としても、レイジの体には一つも出ないと思いますよ」
ゼイラスのその言葉に、アルカンブーストはふと考える。
自分が彼のような振る舞いをして、果たして仲間たちはついてきてくれるのか……。
そのとき、ニアーナが冷静な声で尋ねる。
「して、そのレイジ殿の得意な戦法は?」
まるで値踏みをするかのように。
「そ~ですね、しいて言うなら『なりゆきしだい』って、とこですかね」
ゼイラスが真顔で答えると、アルカンブーストは子供のように哄笑した。
「あはははっ、面白い。レイジ殿とやらは、確かに規格外だ」
「あっ、あれを!」
その時、さきほど逃げ込んだ森の中から、レイジが飛び出してくるのが見えた。




