第6話
―――シェヴェリーン城の王室にて。
「アンタが、ここの大将か?」
粗野で醜悪な風貌の男――盗賊団プーランドソープの首領・ゴリアテルが、肩を揺らして踏み出すと、居丈高に言い放った。
その隣には、熊皮を羽織り、無骨な鎖鎌を無造作に担いだ巨漢・ギースが控える。
背後には、氷のように冷たい眼差しの女魔導士ベリネ、そして両手に短剣を握った背の低い双子、ザクとテルが沈黙を貫いて立っていた。
これが、プーランドソープ全幹部。狂気と暴力を身にまとったならず者の中枢――その全員が、今この王室の只中にいる。
対するは、ニュルンベルグ盟主・羅漢王。
玉座にふんぞり返るでもなく、しかし一切の隙を見せぬ静かな構えで、ただ一つ頷いた。
玉座へと続く深紅の絨毯。
その両脇には、王直属の近衛兵たちが十名ずつ整列し、黒金の甲冑に身を包み、槍を垂直に構えたまま、まるで生気なき石像のように沈黙を保っている。
胸には金糸で刺繍された王家の紋章。踏み込む者すべてに、「ここは王の領域だ」と無言で告げる威圧の壁だった。
「知雀明から、まだ半分の報酬をもらってねぇんでな。アンタが代わりに払ってくれねぇか」
ゴリアテルは唇を歪めて笑い、場の空気を裂くように言い放った。
数刻前、城門前でこの一団が騒ぎを起こした。
「武器は預けられねぇ」と突っぱねるゴリアテルに対し、副軍師リオナがその場を収め、羅漢王へと報告。
「そのままでよい。通せ」――そう命じたのは、他でもないこの王自身だった。
そして今、獣の檻を開いたような緊張が、玉座の間に静かに満ち始めていた。
「なんの話だ」
重く、鋼を引きずるような声が、羅漢王の喉から発された。
「アンタのとこの知雀明から、“ネオフリーダム”とかいう旗を立てて村を焼け、ってな依頼があったんだよ。その報酬だ」
「それは――本当か!」
羅漢王の腕が組まれ、重たい視線がゴリアテルに突き刺さる。
「とぼけるなよ」
ゴリアテルは苛立ちを隠そうともせず、豪奢な絨毯の上に、唾を吐き捨てた。
その瞬間、両脇の近衛兵たちが一斉に一歩踏み出す。重厚な甲冑の軋みが、部屋の静寂を切り裂く。
だが――羅漢王が右手を翳し、それを制した。
無言の命令に従い、兵たちはすぐさま動きを止める。
その静止には、鉄よりも固い忠誠が滲んでいた。
ゴリアテルの部隊は、そのほとんどが元囚人。
国を追われ、罪を重ね、血と火の中でのみ生きてきた連中だ。
残虐非道、無法無頼、そして――最も厄介なのは、恐れを知らぬこと。
「――幻妖斎!」
羅漢王の一喝が玉座の間に響き渡った、その瞬間。
天井の梁から、漆黒の甲冑に身を包んだ人影が、音もなく滑り降りる。
その着地は一切の揺らぎを見せず、まるで影が形を得たかのようだった。
その者は、ゴリアテルの目の前に立ちふさがった。
「話は、聞いていたな」
「御意に」
幻妖斎――王の影にして、全近衛兵を統率する影将。
その黒い仮面越しの声は鋭く、空気を凍てつかせる冷ややかさを帯びていた。
「ならば……この者たちに“相応の報酬”を」
羅漢王の声は低く、だが確かに怒気をはらんでいた。
「――御意!」
幻妖斎が一礼し、ゴリアテルにゆるやかに歩みよった。
無数の影を斬ってきた者の“気”――それがこの場を支配した。
しかし、ゴリアテルたちは、ニヤニヤとして、まったく意に介していない。
「……ああ、あとよ。拉致してる男はどうする?」
と、ゴリアテルが軽く言い放った。
「男……?」
羅漢王が眉をひそめる。
「知らねぇんなら、それでいい。殺しとく。これサービスってことでな。ま、今後も頼むわ」
無遠慮に笑いながら、ゴリアテルたちは金袋をひったくるように受け取り、部屋に剣のような威圧感を残したまま、背を向けて去っていった。
まるで、ここが王宮であることなど意に介さぬように。
だが、王の眼差しだけは、最後まで彼らの背中を追っていた――まるで、処刑の順番を数えるかのように。
「――幻妖斎、後を追え。アジトを突き止めろ」
「御意」
影将がその場から一陣の風のように姿を消した。
中庭へと出た幻妖斎は、ちょうどその場に駆け込んできた、風華夢とすれ違った。
彼はザカリア村から戻ったばかり。そのままの勢いで、玉座の間へと飛び込んでいった。
風華夢から、村で起こった惨劇を聞いた羅漢王は、しばし言葉を失い、重く沈黙した。
やがて、その沈黙の奥から、かすれるような声が漏れた。
「……すまぬことをした」
その言葉は、誰に向けられたものか――村の者たちか。風華夢にか。
ただ、その面差しに浮かんでいたのは、確かに怒りと、後悔だった。
乱世に終止符を打ち、子供らが笑って暮らせる未来を築く。
そのために覇を唱え、時に血を選び、犠牲をも厭わなかった。
――だが、気づけば、自らもまた「罪なき者を切り捨てる者」になっていたのではないか。
その思いが、羅漢王の胸の内に、静かに、だが確かに揺らぎを生んでいた。
「……罪なき者の犠牲を、これ以上出さぬよう……頼む」
その言葉が吐かれた瞬間、リオナが、はっと何かを思い出したように叫んだ。
「――あっ! いま、ネオフリーダムの者が、地下で悪豚卑の拷問を――」
言い終える前に、風華夢の姿はもうそこになかった。
疾風のように走り去り、その足音すら追いつけぬ速さで、地下への階段を駆け降りていく。
(バニラ殿……これ以上の犠牲は決して出させぬ)
風華夢は、そう胸の中で呟いた。
その表情には、かつて誰も見たことのない、凍てつくような決意が宿っていた。
羅漢王は、リオナに命じた。
「直ちに、近衛兵を率いて地下へ向かえ。悪豚卑を鎮めよ」
「承知!」
リオナは、即座に精鋭二十名を率い、風華夢の後を追って走り出した。
「――間に合ってくれ」
羅漢王の呟きは、もはや祈りにも似ていた。
不死身と称される悪豚卑が、“お遊び”を邪魔されたとき、いったい何が起こるのか――それは、王とて予測できるものではなかった。
◇
―――地下の牢獄にて。
「まずは、あの弓兵の弓を……」
沙羅夜がミロイを抱えるようにして立ち上がろうとした、その瞬間――
「うぉぉぉぉ~!」
背後から、悪豚卑の咆哮が響き渡った。
振り返ると、巨大な鋼鉄の車輪を両手で振り回しながら、悪豚卑が突進してくる。
沙羅夜の背後にはミロイがいる。逃げられない。
―――ゴッッッッ――ズン!
沙羅夜は短剣を両手で構え、咄嗟にミロイの前に立ちはだかる。全身の力を籠めて車輪を受け止めた……が、次の瞬間、衝撃とともに二人の身体が壁まで吹き飛ばされる。短剣は弾き飛ばされ、空中でくるりと回転して床を滑った。
壁に叩きつけられた沙羅夜は、そのままミロイの上に仰向けに崩れ落ち、血を吐きながら白目をむいて意識を失った。ミロイは軽傷で済んだが、沙羅夜の身体の下敷きとなって身動きが取れない。
『沙羅夜さん……!』
心の中でミロイが叫んだそのとき――
「うぉりゃああぁぁぁ~ッ!!」
悪豚卑がさらに叫び、仰向けになった沙羅夜に鋼鉄の車輪を振りかぶった。
まさに首を叩き落とそうというその刹那――
ひとすじの影が割って入った。
風華夢。
彼は迷いなく飛び込み、己の剣を悪豚卑の喉元へと突き立てた。
―――グッ……ーン!
一閃。寸分の狂いもない急所狙い。
だが、悪豚卑は喉に剣を刺されたまま、前のめりに首を突き出してくる。
―――プビィィン!
剣が、途中で折れた。
風華夢は、悪豚卑の皮膚が固いことは知っていたが、斬るのではなく、外部からの打撃で、のどぼとけを粉砕することができると考えていた。……が、その考えは甘かった。
風華夢は折れた剣を投げ捨て、沙羅夜とミロイの身体を一気に引きずって後退する。
だが、状況は最悪だった。
彼ら三人は、悪豚卑と弓兵二人に挟まれた絶望的な包囲の中にいた。
風華夢はすぐさま地面に目を走らせ、沙羅夜が落とした武器を探す。だが、その時、自分を見ているミロイと目が合った。
「これは……かなりの劣勢ですね」
風華夢が微笑んで見せた。
(なんだ、この人は……?)
ミロイは、主武器の大弓を持っていなかったこともあるが、四天王の沙羅夜ですら敵わなかった悪豚卑を前にして、この人は武器もなく、二人を守りながらの、これ以上ないほどの最悪の窮地だというのに、余裕すら感じた。
風華夢はふと後方を見やると、弓を引く兵士の姿が目に入った。
その直後、彼は沙羅夜の脚に突き刺さった矢を握りしめた。
「これしかありませんね。サラ、怒らないでください」
―――そして、静かに目を閉じた。
まるで天使の羽ばたく羽音でも、聴いているかのように………。
その時、悪豚卑が喚き散らしながら、巨大な車輪を振り回して突進してきた。
「グゴリャァァァ~ッ!!」
鋼鉄の車輪が振り回される。風華夢は逃げない。逃げられない。
沙羅夜とミロイがいる――
さらに、背後から弓兵が矢を放つ。
一瞬、空気が引き裂かれた。
風華夢は、軽やかに身を反らして一矢をかわすと――
振り向きもせず、飛んできたもう一本の矢を素手で掴んだ。
矢の先端は、耳元まで迫っていた。あと数ミリで貫かれていたはずだった。
そして顔を上げると、悪豚卑が目前にいた。
振り下ろされる鋼鉄の車輪――
鋼鉄の車輪が直撃すれば、風華夢の軽装では、一撃で絶命することがみえていた。




