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第2話

―――夜が明けた。


シェヴェリーン城の主塔(ベルクフリート)の四階にある寝室の窓から、心地よいブレージス港の潮風が流れ込む。

ミロイは、まどろむ意識の中、瞳を閉じたまま、遠くから微かに届く声に耳を傾けた。


「……あたいの父はねぇ、北の最果て、寂れた漁村の貧しい漁師だった。港はいつも魚の匂いで溢れていた。母は、ずっと篤い胸の病に(かか)っていて、あたいを産むと直ぐに亡くなった」


沙羅夜サラヤが、窓の傍に寄りかかり、遠くを行きかう青と白の船を眺めながら、静かに語り始めた。


「あたいは、毎日、毎日、泣きたいくらい寂しくって、いつもひとりぽっちだった。


『おかあさん、あたいのおかあさん、どこにいるの』って、何度も、何度も、心の中で叫んだ。


父は船で漁に出ると、暫くは戻ってこなかった。子供のあたいは、漁師仲間から僅かな食べものを分けてもらって生きていた。


貧しくて、ひもじくて、やせ細って、男の子みたいな髪の毛で、いつも同じ身なりで、汚くて酷く臭かった。


まわりの家の子たちは、あたいをいつもいじめた。『傍に来るな!』と怒鳴った。

みんなから石を投げられ、棒を投げられ、大きな犬に吠え立てられた。


そんなとき、あたいはいつも小高い丘にある、灯台の下まで走って逃げた。

投げられた小石を背中に受けながら、犬に追いかけられて、転びながら、転がりながら、ちっさい身体で必死に走って逃げた。


そして、いつも、ひとりぼっちで、みんなが楽しそうに遊んでいる港を、眼下に眺めていた。


……父は無口で、いつも魚の脂の匂いがした。

臭くて、爪の中は真っ黒で、髭面の顔は、日に焼けてしわが深かった。


あたいはそんな父が大嫌いだった。

漁から戻ったときに船着場で、父に抱きかかえられて、頬ずりされるのが嫌だった。」


沙羅夜はそこで言葉を止め、そっと窓の外へ視線を移した。


港に停泊する船のマストが、朝の風を受けてゆっくりと揺れていた。朝焼けを帯びた帆が、わずかに光を返している。

港の向こうには、いくつもの尖塔を備えた大聖堂のような建物群が、威風堂々とそびえ立っていた。

その足元には、赤銅色の屋根を戴く町家が、びっしりと寄り添うように並んでいる。


だが、沙羅夜の目が見つめていたのは、いま目の前に広がるこの華やかなブレージス港ではなかった。――それは、かつての故郷にあった、寂れ果て、荒れ果てた、あの“灰色の港”の記憶だった。



「……父は、男手ひとつであたいを育てた。

そんな一本気な父の口癖は、女のあたいにも『凛と生きろ!』だった。

弱音を吐くことを嫌い、強いものに頭を下げることを嫌った。


さほど難しくも無い、強いものにひれ伏して生きることよりも、潔く討ち死にを選ぶ、そんな父だった。


だから、……そんな父だから、村に攻め込んできた白蛮軍の矢に、真っ先に倒れた。


武器も持たず、両手を広げて村に入るなと……。

そこへ有無を言わせずに、無数の矢が父の胸に突き刺さった。それは一瞬だった。 あたいは声も出なかった。―――それは、あまりにもあっけなかった。


あたいは父に、事前に小舟の中に隠されて、シートの隙間から、父の上を無数の馬の群れが、土ぼこりを舞い上げて、走り過ぎていくのを見ていた。


力も無いくせに、この世に娘を一人残して……。

そんな父の言いつけどおりに、小さなあたいは泣きじゃくりながら、舟を固定している縄を解いた。


小舟は海へ流れ、逃げ惑う村の人たちを背に、シートの隙間からは、見慣れた港が静かに小さくなって行った。

数日後、辿り着いた浜で、今のお館様の羅観王(ラカンオウ)に拾われた。


ひれ伏して、地面に額をこすり付けて、命乞いをすればよいものを……。

あたいは、あたいをひとりにした父を恨んだ。


…………そうだねぇ、もう十年以上も前の、遠い、遠い話になるねぇ~」


「沙羅夜さん」

ミロイが寝床から、重そうに上半身を起こした。


「ああ、気がついたのかぇ」

沙羅夜は振り向くと、視線をミロイに向け、少し寂しげだが、笑顔を返した。


「なんでそんな話を、……敵のぼくに」


沙羅夜は、少し照れた微笑(かお)で、

「なんでかねぇ……、ぬしが母と同じ胸の病もちのせいか……、この心地よい潮風がそうさせたのか」


「あなたの心の中には、いつも冷たい雨が……」


「小さいときに、辛いときに、助けを求めたのは、いつも顔も覚えていない母にだった。あんなに一生懸命に、あたいを育ててくれた父の名を、あたいは呼んだことが無かった……。生きることに不器用なくせに、『凛と生きろ!』だとさ。まったくお笑いだよねぇ」


沙羅夜は、ミロイに顔だけ向けると、

「けどねぇ、あんなに嫌いだった父に、あたいがいじめられていたことを、一度も言ったことはない。なぜだか分かるかえ」


「お父さんに心配を……」


「あたいにも、あんな父の血が、……父娘(おやこ)って似ちまうんだよねぇ~。意地っ張りなとことか、素直じゃないとことか、さ」


沙羅夜はよりか掛かっていた背を壁から離すと、

「ミロイ殿。ぬしとはもっと違ったかたちで、巡り合えたらよかった」と、俯き加減に小さく微笑んだ。


寝室の出入口付近で警備をしていた四人の衛兵が、ミロイの意識が戻ったことに気づいて、長槍を構えながら、部屋に飛び込んできた。さらに、二人の衛兵は、入り口付近で弓を構えている。


「ぼ、……ぼくを」


「ぬしの仲間たちのことを聞き出すために、リオナに介抱させた。すまぬ」


「沙羅夜さんは、そうじゃないよ」

ミロイが首を横に振ると、

「わざとお茶らけている振りをして、自分をごまかして。……だけど、本当のあなたはそうじゃないでしょ!」

と、少し涙声で言った。

沙羅夜は少し困った顔で、伏せ目視線でミロイを見た。


四人の衛兵は病んでいるとはいえ、昨夜の呪文の速さをみて、ミロイを後ろ手に縛りあげると、喉元に槍の切っ先を突きつけた。

そしてマスクのような猿轡(さるぐつわ)(拘束具)を、ミロイの口に()め込んだ。

これでミロイは、魔法を唱えることができなくなった。


「立てぃ!、悪豚卑(アントンヒ)様が、おまえをお待ちだ。早くしろ!」


衛兵に胸ぐらを引っ張られて、痩せているミロイは、よろけながら立ち上がると、背中を押されて歩き出した。


悪豚卑とは、車輪轢きなどの派手な極刑を好む、卑劣な拷問屋であった。

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