第7話
ダイニングの入り口に、静かに二つの影が現れた。
ハルトの妻・メリサと、その手をしっかりと握る幼い少年――リクトだった。
「リクト!」
チルルが叫ぶと同時に、レイジの腕を押しのけるようにして、膝から飛び降りると、勢いよく駆け出していく。
チルルとリクトは、同じ六歳。――仲の良い友達だ。
「どうしたの、メリサ……?」
セシリアが立ち上がって声をかけた。その傍らで、パルも不安をにじませた顔で近づいていく。
「ここしか……頼るところが無くて……」
メリサの声は掠れていた。彼女の顔は生気が失せ、目の下には深い隈が刻まれていた。体は鉛のように重く、足がもつれて床へと崩れ落ちた。
彼女は一度、ライザの指示通り船に乗り、遠方の宿屋に身を寄せていた。
だが――夫ハルトの身を案じる気持ちは、遠い地での日常では癒されなかった。
迷い、苦悩し、そして戻ってきた。
港からそのままの足で、ネオフリーダムのアジトへとたどり着いたのだ。
「……メリサ、よく来てくれた」
レイジが立ち上がり、柔らかく微笑んで彼女を迎えた。
その後、メリサが語った話は、重く、衝撃に満ちていた。
・ハルトは家族に一切を隠していたこと。
・ハルトが盗賊団に拉致されているらしいこと。
・ニュルンベルグの知雀明が絡んでいる可能性が高いこと。
・ライザが彼を助けに行ったこと。
・そしてライザから1000メガの金貨を手渡されたこと。
松の葉茶で喉を潤したメリサが落ち着いた頃、パルが話を整理し始めた。
「バニラとルピタの件もあるけど、まずはハルトの捜索を最優先にしよう」
「……でも、もう死んでるかも」
ぽつりと呟いたブルグに、ガリオンの睨みが飛ぶ。
「ブルグ、口を慎め」
ブルグはきょとんとしながらも、肩をすくめて黙った。
「あ、先を続けて」と、ジンが右手で促した。
「ライザが知雀明に接触していたなら、ハルトはニュルンベルグのどこかの牢獄にいる可能性がある」
ブルーベルが言った。
「でも、どこかの盗賊団に囚われている可能性もある」
シエンが指摘する。
「その二つの線で動こう」
と、パルがまとめた。
「そうじゃな。それがいいわい」知将ガリオンが、顎髭を触る。
「盗賊団のほうは、私たちサザーランドと、シエンで探すよ」
ジンが立ち上がり、決意を示す。
「じゃあ、ニュルンベルグ側の情報収集は……」
「私たちネオフリーダムでやろう」
エルナに、パルが力強く続けた。
その時、チルルの声が響いた。
「うああっ!」
見れば、リクトと木剣で遊んでいたチルルの剣が弾かれて、床に転がっていた。
「盟主の娘に勝つとは、大したもんじゃな」
ガリオンが楽しげに笑う。
「違うもん!私はアーチャーなのっ!」
ふくれっ面のチルルが涙をこぼしながら叫ぶと、レイジが二人に歩み寄り、頭を撫でた。
チルルは『雷嵐の貴公子』デュランに憧れ、アーチャーを志している。
リクトは、ファイターとして父・ハルトのようになりたいと願っていた。
「うちの将来も、なかなか楽しみだね」
シエンが、微笑んで言った。
やがて話し合いはまとまり、翌日から手分けしてハルトの捜索を始めることとなった。
サザーランドの面々が帰り支度を始めていたときだった。
レイジが椅子から腰を上げ、ジンに声をかけた。
「ジン、ちょっと待ってくれ」
「ん? なんだい?」
ジンが振り返ると、レイジはそっとパブロに目配せをした。
それを受けて、パブロが無言のまま、両腕で大斧を抱え、ゆっくりと運んでくる。
「……これは、ライザの大斧だ」
レイジが低く静かに言った。
「うちの誰にも扱えない。でも、おまえなら――って思ってな」
ジンは受け取ると、軽く右手一本で振ってみる。
ずしりと重みはあるが、バランスは申し分ない。
「……思ったより軽いな」
ジンの目が一瞬、鋭く細められた。
「話じゃ、その斧、ロンズ……なんじゃらって石で作られてるらしい」
レイジが頭を掻きながら続ける。
「相手のどんな武器でも、砕いちまうとかなんとか……ブルーベルたちが言ってた」
「ほう……どんな武器でも砕くのか」
ジンが口の端をわずかに吊り上げた。
そして、手にした斧の刃先で、ぽんぽんと床を小さく叩きながら、
「爺、おまえの大剣をそこに置いてみな」
「い、いやジン……それは、また今度にしよう」
ガリオンは焦って背後に隠すように剣を抱える。
「ちぇっ、つまんないなぁ」
ジンは肩をすくめて、刃先で床を軽く叩いた。
「その大剣、十年使ってきたもんなぁ……」
ブルーベルが呟くと、パルがぼそっと漏らす。
「あれ、折れたら泣くな」
「泣くどころか、たぶん斬られるぞ」
「まあいいや。じゃあ、貰っとくよ。みんなありがとう」
ジンが、ネオフリーダムの団員を見て、頭を下げた。
◇◇◇
――一方その頃。
風華夢は、襲撃された村の一つ、ザカリア村に立っていた。
森の奥にひっそりと佇む小さな村――そこは、すでに見る影もなく、瓦礫と灰に還っていた。家々は黒焦げに崩れ、畑は焼き払われ、井戸も破壊されている。まさに“皆殺し”の痕跡だった。
しかし、その焼け跡の中で、風華夢は一人の生存者に辿り着いた。
鍛冶屋を営んでいたという年老いた男。彼は、十一歳の孫娘とふたり、慎ましくも穏やかな暮らしをしていたという。
風華夢は、焚き火の傍で毛布にくるまるその男から、ゆっくりと話を聞いた。
――村を襲ったのは、たしかに「ネオフリーダム」を名乗る者たちだった、と。
しかし、男は続けた。
「奴らは最初からおかしかった……顔は血で汚れ、肉体には古傷が多く、動きも戦士のそれではなかった。身に着けていたのは、軍服でも鎧でもなく、熊の毛皮のような粗末な軽装で……あれはどう見ても、山賊、盗賊の類だった……」
風華夢が耳を傾けると、老人の語り口は次第に震えを帯び、やがて涙へと変わっていった。
「中に、顔に大きな裂傷がある大男がいた。鎖の先に大鎌がついたような得体の知れぬ武器を振り回していて……あいつが……わしの孫を、背中から……ああっ……」
そこまで言うと、老人は声にならない嗚咽を漏らし、頭を垂れた。
その手が、風華夢の袖を握りしめる。
「優しくて、よう働く、ええ子じゃったんじゃ。どうか、孫の……仇を……」
震えるその手を、風華夢は丁寧に両手で包んだ。
「……承知しました」
そう静かに告げると、彼はその場に立ち上がり、深々と頭を下げた。
その後、村の外れ――まだ炭と化していない一角に、仮設の墓標が並んでいた。
風華夢は、そこに摘んだ花を手向け、一つひとつ、亡き人々へ静かに祈りを捧げると、馬へとまたがった。
(……知雀明殿の報告は、明らかに矛盾している。あれは、ネオフリーダムの仕業ではない)
胸の奥に冷たい怒りが宿る。無垢な命が無意味に奪われ、その責任が歪められ、他者へと押し付けられている――
風華夢の眼差しは鋭く空を射抜いていた。
「お館様へ報告しなければ……急がねばならぬ」
そう呟くと、風華夢は手綱を引き、焼け野原を駆けるように、シェヴェリーン城の方角へと馬を走らせた。




