第5話
――翌日。
ニュルンベルグの居城、シェヴェリーン城――
その東の塔に怒声が響き渡り、厚い石壁がわずかに震えた。
「おまえが連れて来た見張り役が、血迷いやがって!」
空気を裂くような怒鳴り声だった。
ライザが怒気に満ちた眼で、真正面から知雀明を睨みつけている。
「パブロを眠らせて、そっと攫う手はずだっただろうが!」
「……誰にも危害を加えないって、そう言ってたじゃないか……!」
ハルトの声は震え、涙がにじむ目元からは、悔しさと後悔がにじみ出ていた。今にも崩れ落ちそうな、ひどく不安定な表情だ。
「《《聞いておる》》。何か手違いがあったようだ」
軍師・知雀明が、まるで他人事のような口調で言い放った。
背後には四人の護衛兵と、巨大な大剣を床に突き立てたまま仁王立ちする四天王・仙空惨の姿。彼の槍斧も、武器を砕くロンズデーライト鉱石製だ。
「手違い、だと……?」
ライザの拳が震える。奥歯を噛みしめる音すら聞こえるほど、全身から怒気が立ち昇る。ハルトはその背後で、小さく縮こまっていた。
「怒るな。兵を出して捜索中だ。見つけ次第、男は処刑する」
その言葉を、ライザは無視した。
「貰っていくぞ」
報酬の積まれた袋へ向かって歩き出す。
「待て」
知雀明が前に立ちはだかる。ライザが顔をゆっくりと斜に上げて睨み返した。
「ライザ。報酬は約束通りやる。だが、今度の大きな戦に、お前を傭兵として雇いたい。言い値で構わぬ」
「二度と口を開くな!」
ライザは肩で知雀明を押しのけ、金貨袋四つとロンズデーライト鉱石で作られた大斧を無言で持ち上げた。
「帰るぞ」
その一言に、ハルトが震える足取りで後ろに続く。
「このあたりは盗賊が多い。くれぐれも注意して帰られよ」
知雀明が無感情な声で背中に投げかける。
◇
二人の姿が塔から消えた後、
「いいのか? これで」
仙空惨が訊いた。
「ライザが味方につかなかったのは残念だが、問題ない。続きがある」
知雀明が口元を歪めて笑った。
最初から、男には“ネオフリーダムの者は見つけ次第に斬れ”と命じていたのだ。
◇◇◇
――三十分後。
歩きながら、ハルトの目は遠くを見ていた。
「……その構え、まだ甘い。脇が開いてる」
ライザが、ハルトの肩を乱暴に叩いた。
「す、すみません……!」
「謝るヒマがあったら、もう一度構えろ。十回連続で寸止めされずに防げたら、やっと“次”に進める」
「……はいっ!」
――それは、今となっては苦くも懐かしい記憶。
あのときのライザの背中は、いつだって自分の少し先を走っていた。
かつてネオフリーダムに所属していたライザは、若く未熟だったハルトにとって“最も影響を受けたファイター”の一人だった。戦いにおいて一切の妥協を許さず、冷酷なほどに完璧を求めるその姿は、まさに鬼教官そのものだった。だが同時に、彼女は何度でも基本から教え、叱りながらも付き合ってくれる――そんな、不器用な優しさも持っていた。
「……ハルト!」
「ん?」
「どうした? ぼおっとして」
「あ、いや……」
ハルトは首をふった。
「ここまで来れば、大丈夫だ」
歩きながら、ライザが1000メガ入りの金貨袋をハルトに一つ手渡した。
「ライザ、ありがとう……」
ハルトはその袋を、宝物のように両手で受け取る。
「だけど、バニラが…っ」
「言うな」
再び涙ぐみそうになるその口を、ライザが冷たく遮った。
ニュルンベルグの盟主は温厚で民を大切にする、そんな評判を信じた。だからこそ手を貸した。チルルを攫い、短期間だけネオフリーダムを抑えておけば、犠牲者は出ないはずだった――その甘さを、ライザは悔いていた。
「ハルト、ここで別れよう。お前はいま、両方から命を狙われている。家族と共に、しばらく姿を消した方がいい」
「うん……家族はもうギラン港にいる。この金で船に乗って、遠くへ行くつもりだ」
「なら、これも持っていけ」
ライザはさらに二袋、金貨の袋を差し出す。
「知らない土地で生きるなら、家くらいは要る」
「でも……」
ハルトが断ろうとするも、ライザは強引にその手に袋を握らせた。
「わたしはこの斧があれば十分だ。気をつけなよ」
そう言って、ライザは背を向けた。――いつもまっすぐなあいつに、顔を向ける資格が、自分にはもうなかった。
やがて、二人は十字路で別れる。
ハルトは左、ギラン港へ。ライザは右、隣町へと続く道へ。
「ライザ、本当にありがとう! ライザも気をつけて!」
手を振るハルトに、ライザは背を向けたまま右手をわずかに上げて見せた。
◇
――その直後。
左右の林から、音もなく飛び出してきた影――総勢二十名を超える、粗暴な面構えの盗賊団だった。
汚れた鎧、刃こぼれした武器、野獣のような眼。彼らは何の迷いもなく、ライザを中心に円を描くように取り囲んだ。
「ナイアガラ・ブラザーズ、出番だァ!」
誰かの怒鳴り声が響いた次の瞬間――木々を割って、二つの巨体がゆっくりと姿を現す。
ずしん、ずしん――。
身の丈二メートルを優に超える双子の巨漢。
片方は、囚人の足枷のような鎖の先に鉄球をぶら下げ、もう片方は、三メートル近い長槍を肩に担いでいた。
「チクッと殺ってまおう」
左の男が、涎を垂らすように笑う。
「せやな、兄貴」
右の男が、鎖をぶらぶら揺らして応じた。
「おれが兄貴のタカ、こっちが弟のトシや」
左の巨漢が、得意げに胸を張る。
「“深紅の悪魔”さんよ。俺たちゃ二人合わせて、ナイアガラ・ブラ――」
「――うんざりなんだよ」
その瞬間、空気が凍りついた。
周囲の盗賊たちが、わずかに身を引く。彼女の背中から立ちのぼる**“深紅の殺気”**に、獣すら息をひそめた。




