第2話
王――羅観王が退席し、軍評議は静かに幕を下ろした。
広間には夜の静けさが満ちていた。高天井には重厚なシーダ材の梁が走り、磨き上げられた緑の大理石の床には、荘厳な赤い絨毯がまっすぐに敷かれている。
壁には高価なタペストリーが掛かり、王城の威厳を静かに物語っていた。
「そういえば、こうした場に龍神鬼が顔を出さぬのはいつものこととして……なぜに東部将軍、風華夢までもが姿を見せぬのじゃ?」
沙羅夜が隣に座る知雀明へと視線を向け、問いかけた。その言葉に割って入るように、正面の椅子にふんぞり返るように座っていた仙空惨が答えた。
「へっ、風華夢のことなら俺がよく知ってる。ドリアナス城の時だ、俺の精鋭部隊が城内に突入した瞬間にあいつが現れてよ、俺の二十人の兵を瞬く間に叩き斬りやがった。そんな奴と同じ戦場にいられるかってんだ。だから俺が知雀明に進言して、今回は外してもらったのさ」
「また、……戯言を」
沙羅夜は小さく笑い、首を振った。
「あれは戦場で、怯えて動けぬ子猫をお主の兵が踏み潰そうとした。風華夢はそれを守るために飛び込んだだけ。剣すら抜いておらなんだ。それに頭に血が上ったお主の兵が、勝手に刀を抜いて飛びかかっていっただけの話よ。ただ、風華夢は子猫を懐に収め、それに対処したまでのこと」
「そんなことはどうでもいい!奴は、ただ長いだけの細身の剣で、俺の軍勢を一瞬で叩き斬りやがったんだ。もっと早く俺が気づいてりゃ、あんな剣なんざ俺の頑鉄の大斧で根本からへし折って、奴の首を刎ねてやれたんだ!」
仙空惨は怒りを込めて拳を握り、テーブルを強く叩いた。
「ふホホホ、それは無理な話よのぉ……。お主は風華夢が剣を交えた音を聞いたか? 何も聞いてはおらぬだろ。風華夢は、二十の兵を倒すのに、一度たりとも剣を受けてはおらぬ。剣を交わさぬ限り、どれだけ頑丈でも折れるものかよ」
沙羅夜はそう言い、首を振った。
風華夢とは、四天王の一人にして東部将軍である。眉目秀麗で物静か、安価な細身の剣一本を腰に差し、軽装で重装備を嫌う。自由で主を持たぬ彼は争いを好まず、だが真の平穏を願う心ゆえに羅観王の理念に共鳴し、自ら戦乱へと身を投じた稀有な男である。
「無理だとぉ!? ……あはは、そんなバカな話があるか。見てみろ、この鎧、全身頑鉄だぞ。あんな細い剣じゃ一振りしたところで、あっちの方が折れるわ!」
仙空惨は自慢げに鎧をゴツゴツと叩く。沙羅夜は、憐れむようにため息をついた。
「お主は、つくづくメデタイ男だねぇ~。だから、あたいを抱くこともできぬのだよ。あのときの精鋭たちも、お主と同じぴかぴかの鎧を着ておったであろうが」
その言葉に、仙空惨の顔から笑みが消えた。
「風華夢は、その鎧のわずかな隙を見抜き、一刺しで貫いたのだよ。鎧や兜は、風華夢の前ではただの鉄屑。意味を成さぬわ」
「……っ」
仙空惨は苦虫を噛み潰したような顔で言葉を詰まらせる。
「もしあたいがあのとき間に入らなければ、陥ちた城の前で、陥ちた城の兵よりも、味方の屍が山となっておったであろう。今頃、お主の部隊は百どころか、五十も残ってはおらぬ。……風華夢には頑強な装備など要らぬ。茶屋の団子に刺してある串一本でも、風華夢の戦闘力はまったく落ちない。それが、おぬしとの大きな違いよ」
「……もうよいわ!」
怒声とともに立ち上がり、椅子を蹴り退けて仙空惨は広間を去っていった。
沙羅夜はその背をしばし見送り、やがて静かに窓の外へと視線を移す。夜の帳が降りた王城の外、風は静かに吹いていた。
(風華夢……あやつは気まぐれで自由で、そしてどこか寂しげだ。だが、あのレイジという男にも、似たにおいがする。いや、これは……あたいの考えすぎかねぇ)
夜風がカーテンを優しく揺らし、広間に余韻を残した。