第1話
――――翌朝。
ネオフリーダムのクランハント(通称クラハン)が始まっていた。
レベルの低いルピタはいつもの別行動だった。レイジは肋骨が全快したため、久しぶりに参加していた。
その一方で――
初めての見学に緊張していたバニラは、少し遅れてシエンとともに狩場へ向かっていた。
「バニラ、ちょっと大事な話をしておくよ」
林道を歩きながら、シエンがふと語り始める。
「この世界の『死』には、二種類あるの」
唐突な話題に、バニラの足がわずかに止まる。
「え……はい?」
バニラの表情が強ばったのを見て、シエンは続ける。
「魔物に殺されると“逝く”。これは、経験値は減るけど、ポーションや蘇生魔法で復活ができる。でも――人に殺されると“死”。完全な消滅になる」
「逝くと……経験値が減るんですか?」
「そう。リザで蘇生しても10%減。放っておかれて自動帰還すると30%減。レイジなんか、逝きすぎて、いつまで経ってもレベル上がらないんだ。バニラは逝ったことはある?」
「いえ、無いです。……あの前の日に、危なかったんですけど、レイジさんに助けられて――」
「は? 昨日も? ……ほんと、あのアホは」
ため息をつきつつも、シエンはどこか満足そうに笑う。
「逝くと、どうなるんですか?」
「そうね、逝くと……身体は硬直して動かなくなる。意識はある時もあれば、ない時もあるけど――」
シエンは一拍おいて、淡々と続ける。
「何より痛いの。意識が飛ぶくらいの激痛で……あれだけは、私でも遠慮したい」
軽く笑ってから、声を落とす。
「レイジの狩りはね、全滅ギリギリがデフォルトだから。逝くのが怖くて、辞めてった団員も少なくないよ」
バニラは急に不安な表情を浮かべた。
「ああ、大丈夫。《《今日はただの見学だから》》」シエンはすぐにフォローを入れた。
「ヨカッタ……」
「ああ、それから――大事なことをもう一つだけ、ちゃんと覚えておいて」
歩きながら、シエンはバニラに向けて言葉を重ねた。
「通常、魔物にやられた場合は“逝く”で済むけど……もし人に一発でも攻撃されてる状態で、魔物にやられると、それも“死”になるの」
「えっ、つまり……人にちょっとでもダメージ受けたあとで、モンスターにやられても、死んじゃうってことですか?」
「そう。だから、人の攻撃を受けたら、すぐに逃げて、必ず回復して」
シエンの声に、わずかに強さが宿る。
「いい? 本当に……死んでほしくないから」
「……はい!」
バニラはしっかりと頷いた。その声には、はっきりとした決意がこもっていた。
「ああ、そうだ。これをあげる」
シエンは小さな金色の小瓶を、バニラに手渡した。
「これは?」
バニラは掌の小瓶を見つめて首を傾げた。見るからに高価な品だった。
「万能回復剤。即時で体力も怪我も治る。人から攻撃されたときの最終手段」
「えっ、そんな貴重なもの……!」
「もうバニラも仲間だよ」
シエンの言葉に、バニラは嬉しそうな顔を向けた。今までに感じたことがない温かい感情が、バニラの中に込み上げた。
「いい? 絶対に死んじゃダメ」
「……はい!」
バニラは小瓶をポーチにしまい、ぎゅっと握った。
◇
少し先をシエンが歩きながら言った。
「さーて、そろそろ、この丘の下が狩場だけど……」
シエンが目の前の木の枝の葉を右手でそっと寄せた。――視界が開ける。
「姉さん、逃げてぇええええっ!!」
突然、林の奥から団員のミロイが飛び出してきた。
「えっ!?」
その背後――モンスターの大群が、轟音とともに押し寄せてくる。
そしてその先、地面に倒れ伏すのは……ネオフリーダムの主力組。
レイジ、セシリア、パル、ハルト……全員が、すでに“逝って”いた。
「危ない!」
反射的に、バニラが叫んだ。
咄嗟にミロイへヒールを放つ――その瞬間だった。
魔物の瞳が、こちらを捉えた。
バニラの背筋に、氷の刃が走る。
“タゲが切り替わった”。
「いっ、まずい!」
シエンが咄嗟に詠唱に入る。
襲い来るモンスターに向かって、最大火力の範囲魔法をぶつけた。
<<<<バズッ! バズッ! ババァーン!!!>>>>
轟音とともに、B級モンスターが吹き飛ぶ。
しかしその次の瞬間――
「っく――!」
シエンの視界が、黒い閃光に貫かれた。
三本の鋭い鉤爪が、横から彼女の上半身を引き裂く。
軽装の身体が宙を舞い、地面に叩きつけられる。
その一撃で、シエンは“逝った”。
(あ……い、た……何、が……起きた?)
意識がかろうじて繋がる中、シエンの視界に映ったのは――
A級最強モンスター、《ゾドム》。
そして。
「えっ……嘘――」
バニラの視界にも、鉤爪と牙が迫る。
怒り狂ったゾドムが、彼女へと殺意を向けていた。
どさり、と。
地面が急に近づいてきた感覚。
痛み。焼けるような激痛。身体が回転する――呼吸ができない。
(いたい……これが、“逝く”ってこと……?)
動けない。声も出ない。
ただ、死にきれないほどの痛みだけが、残っていた。
バニラは、初めての“逝き”を迎えた。
◇
――魔物が去ったことを確認すると、ミロイが倒れているシエンの傍に歩み寄った。
シエンは逝って、身体は動かないが、意識はあった。
(ああ、なんてことを。シエン姉はレベルが高いから、経験値の10%減でも痛いのに)
ミロイがクラチャで嘆いた。逝った後でも、近くにいる者同士のクラチャは活きている。
(盟主が間違って、ゾドムを引っ掛けた!)ブルーベルがクラチャで怒鳴った。
(盟主、ヌっ殺す!)パルが続いた。
(真面目に働け!)セシリアの叫びが響く。
地面に倒れている、逝った者たちの悲痛な叫び声が、次々に木霊する。
(レイジのアホォォォー!)
最後にシエンの声が響いた。目前だったA級昇格が、少し遠のいたのだ。
バニラは、初めて経験する激痛に、声も出なかった。――見学でも、大丈夫ではなかったのだ。
(バーカ。俺のせいじゃないって。ゾドムが勝手に来たんだってば!)
まったく反省していないレイジの声が響いた。
この後、ミロイがポーションでヒーラーのセシリアを復活させると、残りの者たちはセシリアの魔法で、次々に生き返った。――一人を除いて。
(パル、盟主をこのままにして帰ろうか)副盟主のセシリアが言った。
(そうだね、アホだし)ご意見番のパルが応える。
(今日、はじめて見学に来たバニラまで巻き込んでさ)シエンが言った。
(それでも、ごめんなさいも言えないし)セシリアの妹であるブルーベルが同意した。
(兄やん、この辺の狼にでも、頭をかじられればいいのに)バフ役のミロイがぼやいた。
(じゃあ、帰ろう)盾役のハルトが言い、
(帰ろう、帰ろう!)
と、レイジを取り囲んでいた団員たちは、歩き出した。
(おーい。君たちは、そんな残酷な心の持ち主じゃないでしょ。ねっ、ねっ、僕も復活を……)
もう誰もレイジの話を聞いていない。団員たちは振り返らずに、大の字になっているレイジを背に歩き出した。しかし、バニラだけは、困惑した表情で目をパチクリさせていた。
「あいつは大丈夫だから」
シエンが、バニラの背を押した。
(おーい!誰かァ~!)
クラチャの中の情けない声が、遠ざかって、やがて消えた。
(俺は悪くないって……)
――この日、レイジだけが、経験値30%減になった。




