第1話
―――アデン領・グルーディオ城下。
浅い眠りから覚めると、土の匂いのする草原の上だった。
空は淡く明け始め、鳥の声が遠くから微かに聞こえる。
仰向けのまま、俺はぼんやりと空を眺めていた。
だるい身体――ようやく半身を起こした。
視界の先には、朝焼けに照らされたグルーディオ城の外壁が見えた。
「……いてて。アバラ、マジ逝ったか」
脇腹を押さえつつ、俺は重いため息をついた。
昨夜の出来事が、アバラと尻の痛みと共にフラッシュバックする。
ここは、魔物がうろつき、盗賊が潜み、ダンジョンが日常のように口を開ける。
剣と魔法が支配する世界――剣と魔法は火力であり、友情はバフ。
レベルと装備が“絶対のルール”。
食っていくには――モンスターを狩るか、誰かを叩き潰してその上に立つしかない。
◇
――昨夕。
狩場で、新米のエルフの娘が Eランクモンスター・バジリスクに追われていた。
石につまづき、転んでもなお「大丈夫、大丈夫!」と自分に言い聞かせて立ち上がる姿は……見ちゃいられなかった。
「喰らえ! 最弱流・正義の――一・閃・だァァア!!」
キメ顔ターンのつもりで飛び込んだ俺。だが次の瞬間――
「ちょ、まっ……そこ俺の尻だぁぁッ!!」
――ドカン!
爆発と共に俺の尻が天に咲き、地面に転がって草むらに顔面から突っ込む。
「ぎゃあああ! 尻がッ、俺の尻がああぁぁ!」
叫び声が響く中、横目で見えたのは火球を構えた泣きそうなエルフの娘。
「それやめてぇぇぇっ!」
尻の火をパンパン叩きながら、慌てて手を振って制止。
どうにか二発目の火球は回避した。
――だが。
「ふはっ!? 横からはズルいだろぉぉ!」
バジリスク二号が横から突撃。
アバラを砕かれ、空中で一回転して、顔から地面に叩きつけられた。
地べたを這いながら、俺――レイジは片手剣でバジリスクの足を斬り裂く。
……ズルいが勝ちだ。これでも一応、俺は盟主だ。
◇
「す、すみませんっ! わたし、ちゃんと助けるつもりで……」
声は震えているのに、必死で真っ直ぐな瞳。
「大丈夫、大丈夫。これぐらい、日常茶飯事だ」
とびきりのヘラヘラ顔で笑ってみせた。
すると、彼女はポーチから小さな赤玉を大事そうに取り出す。
「これ、大したものじゃないんですけど……」
ぎゅっと俺の手に押し付けてきたのは――初級ファイヤーボール。
俺のレベルでは役に立たないが、彼女にとっては貴重な赤玉だった。
「いや、それ、今の状況で渡したらヤバいだろ」
「大丈夫ですっ!」
そう言い残すと、見事に転びかけながらも走り去っていった。
◇
――その晩。グルーディオ城下の村。
「……宿屋、高ぇな。金ねぇし」
俺はアバラをさすりながら、街外れの水場で薬草をすり潰していた。
この世界で、傷を癒す手段は大きく二つ。
ひとつはヒール魔法、もうひとつはポーション。
だがどちらも所詮、応急処置にすぎない。
骨折や深手なら、結局は宿屋で寝て回復するしかない。
……つまり金がなければ、ただ痛みに耐えるしかないのだ。
「ったく……エルフ娘に尻焼かれて、医者にも見放されるって……どういう流れだよ」
ため息混じりに空を見上げると、満天の星。
結局その夜も、野宿だった。
◇
俺はわき腹を押さえながら立ち上がった。
青く高い空、乾いた草原の風は心地よい。
八月も終わりだというのに、
この暑さは――重装備のブリガンを身に付けることを拒んでいた。
俺は見習いシャツのまま――
片手で鎧を引きずりながら、目の前のグルーディオ城下の村へ歩き出した。
その時――
「盟主~~っ! またサボってるっスね!」
元気すぎる声と共に、ルピタが突っ込んできた。
十六歳の仮入団ファイター。Eランク最底辺だが、テンションだけはSランク超え。
「よぉ、ルピタ。で、その顔は『また負傷っスね』って言いたい顔だな」
「当然っス! 盟主、バジリスク百体ぐらい相手にしたんスよね!」
「……ああ、百だ、百」
「絶対ウソっスね!」
ケラケラ笑い転げるルピタに、俺は小さくため息をついた。
俺は足元の【サーベル】を拾い上げた。
仲間が作ってくれた、Dグレードの片手湾刀だ。
――火力は心もとない。
レベル27のファイターにしては、正直――貧弱に見える。
そろそろ、もっと強い武器が欲しい……そう思わなくもない。
だがこれは、クランの仲間が素材を集めて作ってくれた大切な武器。
……金欠の俺にとっては、痛いほど、ありがたい。
「で、盟主、例のブツは?」
「ああ、持ってきたぞ。針葉樹の枝、だろ」
ポーチから取り出して渡すと、ルピタは宝物でも手にしたように目を輝かせた。
「さすが盟主っス!」
「で、これ何に使うんだ?」
「へっへっへ……これがマジでスゴいんスよ!」
ルピタは枝を高々と掲げ、堂々と宣言した。
「廃墟の洞窟の前にいる、でっかい狼みたいなモンスター。あいつの尻にこれをブスッと刺すと――一発で逃げるって話しっス!」
「……お前、そういうの、絶対ないから」
「いやいや、ガチ情報っス! ぼくの情報屋が言ってたんで!」
「その情報屋って、道端で干物みたいに転がってる赤鼻の爺さんだろ」
「ぼくの情報屋は一流っス!」
……この根拠ゼロの自信だけは、確かにチート級だな。
「で、その洞窟になんかあるのか?」
ルピタはニヤニヤしながら、俺の反応を待っている。
「なんだよ、焦らすなよ」
「へへ、盟主も気になるっスか。実はですね……」
一息置いて、さらに期待を煽るルピタ。
「――《《不老不死》》のポーションっス!!」
ルピタの目は、今にも夜空に星座を描きそうなほどキラッキラしていた。
「おまえ……またその話か。“飲んだら死ぬまで生きられる”ってやつだろ」
「そうそう! ……ん? 盟主、それっておかしくないっスか。“死ぬまで生きられる”って……」
「……おまえ、たまに核心突くな」
◇
言い忘れてたけど――俺は、赤いストールが似合う。
バツイチ、娘ひとり。レベルは低いが、一応クラン【ネオフリーダム】の盟主だ。
そして今日もまた――死にかけながら、俺たちの物語は始まる。