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In the round  作者: 宇川幸来
1/13

1-有世と卯月

「ち・よ・こ・れ・い・と」

 初夏の夕暮れ。影を長く伸ばした少女が、掛け声と共に広い公園の階段を小気味良く上がって行く。そんな幼馴染の姿を、少年、有世(ありせ)は夕日のせいだけではない眩しさに目を細め見つめていた。

 少女、卯月(うづき)は最後の六歩目を踏むと、段の際で綺麗にくるりと振り返った。

「はい! 有世っ! 次、次! じゃーんけーん……」

 卯月がゲームの続きを求め、下の道に立つ有世に明るい声を張り上げる。しかし有世はとても、じゃんけんの手を上げる気にはなれなかった。

「……有世?」

「もーいいだろ。おれの負けで」

 有世は不貞腐(ふてくさ)れた顔でそう伝えると、その場にしゃがみ込み、タイルの隙間に生える蒲公英(たんぽぽ)の綿毛を指先で(つつ)いた。

「えー! そんなこと言わないでさあ、最後までやろうよ! ね?」

「嫌だ。どう考えても途中棄権レベルのボロ負けじゃん」

 強請(ねだ)る卯月に冷たく返し、チラ、と彼女を見上げる。有世はようやく下の段から今のタイル道に上がったばかり。対する卯月は驚異の勝率で色とりどりのタイルを進み、軽やかに階段を上り切り、ちょうど次の段へと歩を進めたところである。

 ここから卯月が左へ道を折り返すため、右へ進んでいる有世との距離は物理的には近づいていくのだが、今の距離では返事のために声を張るのも億劫だ。それにゲームとして離された距離はそう簡単には埋まらないだろう。このまま続けても有世にとっては時間、体力、気力、全ての無駄にしかならない。

 しかしそんな投げやりな有世とは対照的に、卯月は軽く跳ねながら、よく通る声を惜しみもなく放ってくる。

「じゃあさ、そっちの近い方の階段使っていいから! ショートカット! それかわたしが一回休みとかー……」

 西日に照らされる卯月の背で、空色の小さなリュックに下げられた黄色いワニのマスコットが揺れる。日々連れ歩かれ、少しくたびれたものの大切にされているそれは、今より幼かった頃に有世が贈ったものだ。

「何言ってんだ。一回休みくらいじゃ追いつけないし、ショートカットって……そんなことしてまで続けて、面白いのかよ」

「じゃ、じゃあっ! もう一回最初から――」

「さすがに時間足りない」

「う……」

 ワニの笑顔に有世の不機嫌が増し、返しはドライになるばかりだ。流行りも好みも変わったであろう今になっても、卯月は何故ワニを手放さないのだろう。あれを見る度に有世は昔を思い出してしまう。

(……あの頃は、いつだっておれがアイツを引っ張ってたのに)

 遊んでいる最中でさえ自己嫌悪に陥るとは。有世は無意識に握りしめていた赤いワンショルダーリュックのストラップから手を放し、燻る胸のつかえを抜くように大きく息を吐いた。

 だんだん風が強くなってきたようだ。これを理由に無理やり終わらせてしまおうかと有世が立ち上がると、視線の先で卯月が悲しげな表情をしている。強がろうが、突き放そうとしようが、それでも彼女のシュンとした顔には弱い。数秒悩み、仕方ないな、と有世は手を挙げた。

「分かったよ……ほら、じゃんけん」

 卯月は一瞬驚いた顔を見せ、しかしすぐに口角を上げると「うん!」と明るく返事をした。

 二人の手が掲げられる。

「じゃん、けん……」

 ポン! の掛け声と共に有世が出したグーは、卯月のチョキに勝っていた。

「やったあ!」

「……何で卯月が喜ぶんだよ」 

 有世の言葉は風に掻き消され、卯月には届かない。聞かせるつもりもない。

「ほら有世、早く進んで、進んでっ」

 まるで自分が勝ったかのようにはしゃぐ卯月に急かされ、有世は大ぶりのタイルを跳ねるように渡っていく。

「ぐ・り……」

 今日一番の強風に蒲公英の綿毛が舞い上がり、卯月が思わず目を閉じる。

「こ・ー・げ……」

 時計の針が六時を指そうとする。


 ――クシュンっ!


 綿毛を浴びた卯月のくしゃみと同時に、有世が六歩目を踏んだ。

「ん?」

 固いタイルを踏んだ感触がしない。視界が闇に覆われる。

(落ちた――!?)

 不思議な感覚に戸惑うのも刹那、有世を包む黒は白に反転した。


     *


「ふあ……あれ?」

 卯月が顔を上げると、有世は姿を消していた。

「有世?」

 目を離したのはほんの一瞬だったはずだが、辺りを見回しても彼の姿はない。

 「帰っちゃっ……た、の?」

 きっとそうだ。有世はいつもの開けた帰り道ではなく、少し遠回りな森の遊歩道を選んだのかもしれない。それならば卯月が見失った可能性も大いにある。

 それに有世は何度も不満を伝えていた。最後のじゃんけんの後も、音は届かなかったが有世の口は少し動いてはいなかったか。彼は何と言ったのだろう。

「有世、わたしと居ても楽しくなくなっちゃったのかな……」 

 少し前までは、誰よりも一緒に居て、ケンカしても気づけば仲直りして。楽しいときだけではなく、困ったときはいつだって、最後まで不器用な自分に付き合ってくれていた有世。だが最近はふとした瞬間、まるで透明な壁でもあるかのように、有世が遠く感じることが増えた。今日だって、多少強引に誘わなければ、有世は公園にも来てくれなかっただろう。

 大好きな有世の足を引っ張りたくなくて、一つずつ学んで、練習して。ようやく少しはマシな自分になってきたと思え始めたところだったのだが、やはりまだ足りず、彼の負担になっていたのだろうか。

(わたしは、これからもたくさん……まだまだ色んなこと、有世と話がしたいのに)

 有世の心は分からない。今の卯月に分かることは、無理にでも彼を引き留めようとした自身の願いは叶わなかったということだけ。

 そう状況を冷静に理解すると、卯月の胸に寂しさが高潮のように押し寄せた。

「……でも、偶には……今日くらいは」

 卯月は堪え切れず、膝を抱えて顔を伏せる。

「最後まで、一緒に居てよぉ、有世……!」

 揺れた拍子にワニのわおくんが向きを変え、卯月の悲しみに呼応するかのようにリュックに顔を押し付けた。

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