Story.36―――妖精郷へ《Go to Great Bulletin》
―――それは、ある日寮へと帰ったときのことであった。
その日、いつも通り自分の部屋に帰った。階段を登り、鍵を開け、ドアノブを回して、いつも通り。しかし、中はいつも通りではなかった。
見慣れない化粧台が、そこにはあった。
「ひっ」
そうした情けない声を出したのを覚えている。
化粧台は、鏡がある場所の扉(のようなアレ)が紐でぐるぐる巻きにされて、開けられないようになっていた。
恐る恐る化粧台に近づくと、ドンドンッ! という扉を叩く音が聞こえた。
「ひゃああああああ!」
一瞬にして、私の思考は真っ白になった。そりゃあ、仕方ないじゃないか。なんたって、心霊現象―――その中でも有名なポルターガイストが起きてしまったのだから。
それに続いて、男の声が聞こえる。
「おぅい、ここから出してくれぇ」
「ひぎゃああああああああああああああああああああああああ!!」
私は反射的に魔力を回す。いつもと違って急な魔力回路の行使だからだろうか、異物が中を巡っている感覚が思い出される。
私は―――ただ恐怖のままに魔術を放つ。
「『基礎魔術・切り裂く風』あああああああああああああああ!」
その風が―――化粧台の扉を縛っている紐がズタズタに切れた。そこから出てきたものとは―――
「……いやはや、助かった! ありがとう、クロム」
「え、し、師匠?!」
そう、師匠―――天津鏡虹龍であった。
「そう、そのとおり! 君の師匠、天津鏡虹龍さ!」
「師匠、外では老人の姿だったんじゃないんですか? どうして、若者の姿になっているのです?」
私の素朴な疑問は、師匠の次の言葉で説明された。
「う〜んとね。説明すれば結構難しくなるんだけど……。そうだね、簡単に言えば鏡を使って私の『異界』と現実の君の部屋とをつなげたのさ。
理屈はこうだ。まず、前提としてこの世すべての鏡には霊的な潜在能力がある。ほら、もといた〝世界〟でも鏡に関する階段とかは多かったはずだ。それは、この前提としている鏡の性質が関係している。鏡には霊的な潜在能力があるから、幽霊が映ったり、妖怪が映らなかったりするわけだ。そして、この性質にはもっと単純な理由がある。それは―――鏡の奥には異世界が内包されているからだ。その名は〝鏡面世界〟。〝世界〟からは常に力は供給され続けるから、出入り口の門である鏡はこういった魔術的な性質を有する。
そして〝鏡面世界〟は『異界』だ。『異界』とは現実とは違うが、現実と繋がっている―――現実を『正』とするならば、『異界』は『負』だ。そして『負』である『異界』の中にもう一つ『異界』を作るとどうなるか。その答えが、今回私が使ったものだ。『負』の中にもう一つ『異界』を作れば、その『異界』は、本来存在しないもの、現実と陸続きになっていないありえないもの―――『虚』となってしまう。『虚』とは虚数のことだ。虚数とは、本質的には三次元より上の次元に属する概念だ。三次元より高次元のものにとって、三次元空間上の距離などゼロに等しい。〝鏡面世界〟の中に作った数ナノセンチメートルの極薄の『異界』を通れば、君の鏡のところまで一瞬、というわけ。しかも、今私って鏡の中から半身出してる状態だろう? その半身は『異界』を伝って私の魔術工房にいる。そうすると、私の魔術が行使できる、ってわけ」
だから君に会う時はだいたいこうやるよ、と言って師匠はゴソゴソと魔術工房からカップを二つ取り出し、茶を注いだ。
「さ、遠慮せずどうぞ」
「……いただきます」
私は師匠の淹れてくれた茶を一すすりする。ズズッ、と本来やってはいけないと思うのだが―――まあ、誰も咎める人はいないのだから大丈夫だろう。見た目は紅茶っぽい感じだったが、味はどうだろう?
「―――あ、おいしい」
「そうかそうか、そりゃあよかった! 数十年かけて開発した茶葉が、魔力で変質していなくてよかったよ!」
「……サラッと今なんと?」
師匠はキョトン、とした感じでこちらを見て、
「いや、数十年かけて苦労して開発した茶葉が魔力で変質していなくてよかったな〜って」
その言葉に、ついに私の堪忍袋の緒が切れた。
カタカタと揺れるカップをしっかりと、力を込めて持ち―――
「なんて……」
「ん?」
「ナンテもん飲ませとんじゃいワレェ!」
「ぐおふぉ!」
師匠へ投げつけた!
「―――わかったよ、反省するよ」
「はあ……それでいいんです。んで、アレ飲んでもし茶葉が変質していたらどうなってたんですか!」
んーとね、と師匠は考えるように言った。
「私の見立てでは、魔力が超回復するよ」
「へ〜それは素晴らしいですね」
「そのかわり、まる二日は昏睡状態になるけどね。急激に魔力が回復するんだ。魔力回路が悲鳴を上げるに決まっているだろ?」
「ほーらやっぱり! 絶対そういう副作用と言うか、そういうのがあると思ったんだよ!」
あっははは、と笑いながら師匠は鏡の中へと帰っていく。
「んじゃあねクロム! また様子見に来るから、紐は巻かないでくれよ? あっははははははははは!」
パタン、と化粧台の扉が閉まる。
「……紐、まいとこ」
「―――って、言う話があったんだけどさぁ!」
「そ、そう……大変だったわね」
そうして、私はニーナに愚痴っていた。あの日体験した、あの恐怖体験を。
「でもすごいわね。『空間魔術・異界化』までできる師匠だなんて」
「ま、あの人、すごいのはすごいんだけど……素性が謎すぎるんだよねぇ……。この前も過去話を聞こうとしたら『あっはははは。つまらない話に時間を割いていないで、学校の勉強とか、魔術の勉強とかもっとしたほうがいいんじゃないの?』って言われたし」
はぁ、とため息を吐くと同時に、ガラガラ、とドアが開く。
教卓を見ると、ニコラ先生が教室に来ていた。今は放課後補習も終わって帰る時間のはず。一体全体、何をしに来たんだ……?
「動いているやつは全員一旦自分の席に着け。俺から、今後の授業に関わる大事な話がある」
『大事な話?』
教室中の声が、一斉に重なる。
「大事な話って、なんですか? ニコラセンセ。上方も暇じゃないんで、早めに伝えてもらえると助かります」
「ああ、アイツと意見が合うのは癪だが、早く伝えてもらえると助かる」
「言われなくともそうするつもりだ。……では、今回の授業テーマ―――というか、課題について発表する。今回は、皇帝陛下直々のお達しだ。全員、耳の穴かっぽじってよーく聞くように。
今回の課題は、『旧王国島ブリテン』の調査だ」
『旧王国島ブリテン』―――聞いたことがない島だ。なんというか、アーサー王伝説みたいな……。
「先生、その『旧王国島ブリテン』って―――なんですか? 私、こっちの〝世界〟に転移してきたばっかりでまだ何にも地理とかわかんないんですけど……」
そう言ったのは、今期から入った新メンバーであるハシヒメ・イチジョウであった。
ニコラ先生は、その質問に淡々と答える。
「ふむ、そうだったな。こちらの〝世界〟に転移してきたまだ間もない、という情報は聞いていた。では、軽くこの『旧王国島ブリテン』について解説しよう。
『旧王国島ブリテン』というのは名のとおり、もともと王国のあった島だ。その名は龍王国ブリテン。その王国は、流れる川が地面を肥やし、精霊が当たり前のように溢れ、神のいた幻想の時代がまだ生きていた人類最後の幻想王国、とも呼ばれる。ブリテンは〝古龍候〟血赫の竜によって守護された王国だ。また、ブリテンの成り立ちも竜が大きく関わっている。
まず、龍王国ブリテンには四代の王がいた。それぞれ〝起伝の騎士王〟ウーサー・ペンドラゴン、〝承伝の騎士王〟アーサー・ペンドラゴン、〝転伝の魔女王〟モルガン・ペンドラゴン、〝結伝の騎士王〟モードレッド・ペンドラゴン、と言う。
特に、ブリテンについて語るなら抑えておくべき王は二人だ。正直なところを言うと、この二人―――ウーサー・ペンドラゴンとアーサー・ペンドラゴン以外の王は詳細が一切不明、もしくは非常に記録が少ない。モルガン・ペンドラゴンは名前のみが文献に記されている。モードレッド・ペンドラゴンは記録が非常に少ない。文献を漁っても、出てくる真実は少ない。判明しているのは、モードレッド王はアーサー王と女王モルガンの間に生まれた子どもであり、途中で失踪した、ということのみだ。
さて、話を戻そう。ブリテンについて語るために抑えるべき二人の王。初代ブリテン王のウーサー・ペンドラゴンと二代目ブリテン王のアーサー・ペンドラゴン。ウーサーは龍王国ブリテンを建国した。その経緯はまず、ワルキア帝国の騎士だったウーサーは、故郷を苦しめていた竜―――当時はまだ普通の竜と同じく人類を苦しめる存在だった〝古龍候〟血赫の竜を調伏させた。その功績が認められ、ウーサーにはその時まだ所有者がいなかった大陸―――ブリテン大陸を収める権利と、ペンドラゴン家の家宝である礼装の上位種―――宝具である〝古龍の炉心〟が送られた。そうしてブリテンは国として成立した。
次に、二人目の王アーサー。アーサーの時代は、ブリテンの黄金期と呼ばれる。アーサーは、まず義兄であるケイ卿とともに父であるウーサーが遺した岩に突き刺さる黄金の剣―――〝潔聖剣〟『勝利』の原理に挑んだ。その頃のアーサーは、まだ父親が先王であるウーサーとは伝えられていなかった、と言われている。そうしてケイ卿が挑戦するが、どれだけ引っ張っても抜けない。しかし、アーサーが剣を握ると―――少し力を加えただけで、簡単に抜けてしまった。そこから、アーサーの伝説は始まる。
王となったアーサーは、手始めに騎士を十二人選抜した。これが、世界最強の騎士団―――『円卓の騎士』の始まりとされる。しかし、戦いの中で数々の円卓が死亡。現在まで生存が確認されているのはわずか五人しかいない。そして、その円卓の一人である『誰か』は聖杯を見つけた。これが、伝説上の存在だと思われていた〝聖遺物〟の一つ―――『アヴァロンの聖杯』の発見だ。
しかし、そんなアーサーの時代も終わりが来る。それが―――〈カムランの丘〉の戦い」
〈カムランの丘〉―――その言葉に絶句する。
「せ、先生……〈カムランの丘〉って、もしかして―――」
「ああ、ここで言う〈カムランの丘〉というのはお前たちが前まで住んでいた〈カムランの丘〉だ。あそこ、離島だっただろう? それは、あそこが昔ブリテン大陸の一部だったからだ。その〈カムランの丘〉で戦いが起こった。地理の話になるが、〈カムランの丘〉というのはこのワルキア帝国の中で唯一オルレアン・ローマ連合帝国との連絡港がある島だ。それは、〈カムランの丘〉が昔、オーマ大陸と非常に近い距離にあったからだ。
そして、そこから戦いは始まった。
アーサー王は、あそこで旧ローマ帝国の皇帝・ルキウスと相打ちになった。これが、ブリテンの歴史だ」
なんて……救いのない。諸行無常もここまで極まるとただの嫌がらせにしか見えない。
そしてニコラ先生は言った。
「では、これより出発日を伝える。出発日は長期休み明け一週間後。それまでは準備期間とし、各自野宿や戦闘の道具、金銭を調達し、ブリテンに渡る準備をしろ。今期の授業は以上! 解散!」




