人の限界とはどこなのか?
限界とは
ある一説では [決めつけ] こそが人の限界である、またもう一方では寿命こそが人の限界なのだと、いやいやそんなはずがない、脳が停止した時だよ, いや、考えるのをやめた時だ!
もし、これら全てが本当なら、捉え方の総数が現時点の人の限界なのではないだろうか、つまり同じ人間でも昔の人間の限界は今の人間の限界よりも限定的で、限界値が狭いという事になる。
種族の繁栄に伴い[人] は生き永らえてきた、私は[日本人]の血しか流れていないが国籍は日本ではない、更には思考はさまざまな国のさまざまな人、あるいは国ですらない民族、あるいは非現実世界の想像上の人物にすら影響されている。だがこれらは我々人間が作り出した文化なのだ。その多文化にアクセスできそれぞれの欠点や頂点を思考上で引き継げる現世界の仕組みの賜物を授かる事ができ誠に嬉しい限りです。
だがそれゆえに周りの人からは気味悪がられ親からはそんなのでは友達なんかできないと言われる始末、会社などでは常に異物のように扱われ、私の発言やアイディアは理解されず距離を置かれ、正直なところ小さい時に聞いた勉強を頑張ればいい仕事につけるよ!が、私にとっては勉強を頑張れば頑張るほどに変わり者、理解できない生き物になっていっているの間違いではないかと思っている。何しろ大学に行くお金すらなかったものですから独学論の本を買い、学び、人に対する興味心から心理学や社会学、脳科学、経済学、マーケティングなど道徳や宗教の本を買い漁り何冊も読み築き上げた独特な考えゆえなのかもしれませんが、何しろハーバード大学の教授がだした心理学講座の本から神様について教える本、宗教の始まりに関する本などさまざまな本がありそれらは私の興味心を惹くものでした、それらの本のタイトルは私を呼んでいるようで本の作者さんは実に優秀で分かりやすく何もない私の師になってくれました。なのでたとえ私が、お金には膨大な価値があるではなく、お金に価値をあげたのが私たち人間というように捉えたり発言する事は私の頭がおかしいのではなく、彼らからきているのであり私個人のものではないという事、更にいうと彼らの一部は私の全部なのだという事を理解していただきたい。
このように限界はいくら探してもきっと見つけられないものでしょう、そう、それはきっとあなたが幼い頃に静かに隠したまま忘れてしまったお菓子のようなものでしょう。見つけられないけどそれはいつか見つかる日がくるのかもしれません。最後に最新の科学に携わって頑張っている科学者さんや一向にはこんな私に学びの場を与えてくださっている事に感謝しております。