表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/14

壱.渡せぬ想いと客の男

 翌日の昼食は、いつもより早かった。

 鏡子と椿が観劇に行くらしい。


 要するに人払いだ。


 鏡子も察している。

 だが、それを見せないのがこの愛人だ。

 朝から二人そろっておしゃれまでして、楽しそうに見に行く芝居の話をしている。


 昼食を終えると、片付けも早々に出かけるというので、柚月は雪原と一緒に二人を見送りに玄関まで来た。

 が、うつむいたまま袖に腕を引っ込め、なにかごそごそしている。

 中で握ったり放したりしているのは、昨日渡しそびれたコンパクトだ。


「お土産、買ってきますね」


 ふいに鏡子に顔を覗き込まれ、柚月はビクリと肩を震わせた。


「あ、はい! 楽しんできてください」


 声が裏返ってしまったが、鏡子は気にする様子もない。ニコリとすると、その顔を今度は雪原に向けた。


「では、行ってまいります」

「ええ、流行りの芝居らしいですからね。楽しんでおいで」


 そう言って、雪原はいつもの穏やかな笑みを見せた。

 雪原もまた、何気ない日常を装っている。

 鏡子は微笑んで応え、先に玄関を出た。


 椿も笑顔で雪原に応えると、その笑顔がわずかに不安そうに曇った。

 ちらり、と柚月を振り返る。

 柚月の方もまた、椿を見つめている。

 その顔は、何か言いたそうだ。


 椿はわずかに期待と喜びが湧き、その言葉を待った。

 だが柚月は、わずかに口を開いたものの、そこから言葉を出す前にまたきゅっと閉じ、ぱっと目を逸らしてしまった。


 うまく言葉が見つからない。

 謝りたいのに素直になれない。

 気まずい。

 なんだか情けないし、カッコ悪い。

 自己嫌悪で顔がゆがむ。

 その横顔が、椿には不機嫌そうに見えた。


 椿は悲し気な笑みを残して敷居を跨ぎ、柚月の袖の中には、渡せないままのコンパクトが残った。


 しばらくして。


御免(ごめん)


 玄関の外からの声に、柚月が出た。

 戸を開けると、そこに立っていたのは雪原の側近、清名(せいな)だ。

 相変わらず、愛想も表情もない。

 だがその顔に、柚月はわずかにほっとした。


 しかし、妙でもある。


 清名なら、雪原は「客」とは言わない。

 が、確かに「客」はいた。

 清名の隣。


 その客は、男子にしては短身な方でやや童顔。

 それもあって幼く見えるが、年は一六、七といったところ。

 帯刀していることから武士だと分かる。

 着物の感じから、中級、いや、上級の武家の子息だろう。


 だが、そんなことは問題ではない。


 柚月はこの顔を知っている。

 昨日、薬屋の前で会った男。

 椿が、(あかし)、と呼んだ男だ。


 ――えっ⁉


 柚月は思わずそう口から出そうになったが、かろうじてとどめた。

 だが、大きく見開いた目で男を見つめ、動かない。

 戸に手を添えたまま、固まってしまっている。

 そのせいで、ちょうど清名の前に立ちはだかり、通せんぼする形になった。

 そこへ、柚月の後ろの廊下から、雪原がひょっこりと顔をだした。


「ああ、来ましたね。入りなさい」


 陽気な笑みで招く。

 清名は雪原に一礼すると中に入ろうとするが、柚月が邪魔で入れない。

 固まったまま、動きそうにもない。

 清名は柚月の視線の先をちらりと見た。


 男が一人、立っている。

 男の方も柚月を見つめているが、その顔はどこか嬉しそうだ。


 清名は、まるで何も見えていないかのように全く表情も動かさず、(おもむろ)に視線を戻すと、勢いよく柚月の頭をどついた。


 それも(こぶし)で。


「イッッテ…」


 柚月は両手で頭を押さえ、涙目になりながら清名を見上げた。

 目が覚めるような衝撃に、目がチカチカしている。

 清名は相変わらず、恐ろしいほどの真顔だ。


「いつまでそこに突っ立っている。邪魔だ」


 ぶっきらぼうな言い方だが、怒っているわけではないようだ。

 だが、拳の一撃は効いた。


「すみません、どうぞ」


 柚月はそう言って脇によけたが、よけながらどつかれたところをさすっている。


「…痛ってぇ…」


 さすりながら、小さくまたそう漏れた。

 清名は何事もなかったような涼しい顔だ。

 泣きそうな柚月の横を通り、すっと敷居を跨いだ。

 当然、続いてあの男も。


 ――何者なんだ、マジで。


 柚月は頭をさすりながらも、まだ涙がたまっている目で自然とまた男を追った。


 椿の知り合い、というだけではない。

 雪原が、客、という。


 柚月の、探るような鋭い視線に気づいたのか、ふいに男が振り向いた。

 柚月は思わずギクリとしたが、男の方は気に留める風もない。

 それどころか、柚月に向かってニッコリと微笑んだ。


 その屈託のない笑顔。

 愛想がいい。

 子犬のような愛らしさまである。

 柚月は、また男から目が離せなくなってしまった。


「柚月も来なさい」


 雪原が再び廊下から顔を出し、柚月は、はっと我に返った。


「あっ、はい!」


 勢いよく返事をすると、男に一礼して横をすり抜ける。


「ヤッベ、お茶」


 バタバタと慌ただしく、台所へと向かって行った。


「騒がしい奴だな」


 清名があきれて、ため息を漏らす。

 その横で、客の男は、嬉しそうに柚月の背中を見送っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ