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私は、スローライフに必要なのは戦力と不労所得だと思います。  作者: 楠 小豆
第二章 祖父母と竜

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第26話 子供ってすごい1

・私は今猛烈に感動している。

私が何に感動しているのか、結跏趺坐を組めたことに対してである。

前世ではできなかった事を今世で成し遂げたのである。

おそらく、結跏趺坐とはなにかわからない人も多いだろう。

簡単に言うと、修行や瞑想などで集中するときに行う足の組み方を仏教の言い方で述べたものである。蓮華座といったり、ヨガの言い方でパドマーサナ言ったりすることもある。

この足の組み方ができると、しびれて途中で、雑念が交ざったり、疲労度が抑えきれなくなったりせず、長時間集中し続けることができる。

形としては、両足首を太ももに乗せる形で、仏様がしている形である。

そもそも、なぜ結跏趺坐を行うこととしたのか。結跏趺坐を組み始めたのは、瞑想するために、最も集中できると感じたからである。

子供にはあまり関係ないが、行うことによって、内蔵や生殖機能の働きを支えるなどの利点もある。

今の僕にとって、効果があるとすれば、姿勢がよくなるであったり、股関節が柔らかくなるであったりだろう。

閑話休題、迷走を始めたのは、昨日のミリお姉ちゃんの訓練の話を聞き、自然に溶け込むよう、自然を感じてみたいと思ったからだ。

以前、属性の因子を探したときに情報過多で倒れてしまうと言うことがあった。そのために、必要な情報を選別するフィルターの魔法を開発すると話していたが、それは未だに

完成していない。

ただ、今回は情報を探るので無く、自然に身を任せ、自然を感じるだけなので、情報過多で倒れるようなことは起きないだろう。

「ノアルア、今から外へ出るのだけれど、少し集中するから、周りに誰も近づかないようにしてほしいんだ。」

小さな虫のこすれる音や鳥の羽ばたきなども自然であるが、今回は初めて外で集中するということで、ノアルアに護衛のようなものを頼んだ。

年齢上完全に一人になることは難しく、バネッサがついてくるが、気を向けず感じていきたい。

中庭に飛び出し、小さな草花が生える草原部分に結跏趺坐を組んだ。

大きく息を吸い込んでみて太陽の日差しを浴びた。

まぶたは開くことも閉じることもある。太陽の光を感じ、まぶたの裏に移る闇を感じ

風の流れは緩やかに、日の光は熱とも火ともいえるだろう。


以前の全力の重力魔法の行使で出来た大穴には昨日の雨で水が張り、ゾンビに見えないフレッシュドラゴンゾンビの水浴びの音が聞こえてくる。昨日の雨の影響はそれだけで無

く、地面に草花に、小さな小さな水気を感じる。

今、私が触れているのは、アンネリー家の中庭の土であり、国の土であり、大陸の土であり、世界のそして母なる大地の土である。

僕のちっぽけな感性では、未だ大地のエネルギーも世界のエネルギーも感じることは出来ないし、ましてや表現することなんて出来ない。

僕が、今感じることが出来るのは、この世界の空気とそれを糧にする僕の息づかいだけだ。

大いなる自然の中、このようなことを感じていることすらおこがましい。

ただ、僕も自然であるように、僕が自然であるように、世界に身を任せただ、世界にあらがい、追い風も向かい風もともに歩む。追い風は自然の気まぐれであり、向かい風は自然の試練であるだろう。これも僕の意見だから、違うことを言う人もいるかもしれない。

例えば、自然のエネルギーは奪うものであり、支配するものであるなどだ。

今、この小さな身に感じる空気の散歩を知ると、傲慢さが身にしみる。

だが、今ここに流れているのがそよ風なのが、未だ周りの木々が刈られず自然そのままであるからだと信じていたい。もしくは何かの気まぐれなのか。

徐々にエネルギーを感じる。

破壊であり、再生であり、無である。

これこそが人間の名付けた魔素というものであるのかもしれない。

ただ、今は魔法をはじめとした霊的感覚を抑え、五感六感に耳を傾けたい。

いや、自分の中の何かを抑えていることこそが自然では無いのかもしれない

ただ深く、ただ開放的に

自然とは、言葉であり、単語であり、概念であろう。

こう、考えずに考えていると人間が、神という概念を生み出したのは、自然に恐れ敬い慈悲を願ったからであっただ

ろうと感じられる。

雷よ神の怒りならば収まってほしい、我々は天の神をあがめるから

津波よ神の怒りならば収まってほしい我々は海の神をあがめるから

地震よ神の怒りならば収まってほしい我々は地の神をあがめるから

今の世界では、自然はおびえるもので無く、神はおびえるものとなっている。

果たしてそれは、実在なのか概念なのか


この気持ちの中では、その偉大さに感謝しつつ怯えていよう。

人は死ねば土となり自然に回帰してゆく、アンデッドという存在もあるが、これこそが生存本能であり、人間が自然にあらがうための手段であるのだろう。これを否定しない

し、否定されたくない。

僕はこの人生で、未だ三年しかいきておらず、生き急いでいるようにも感じるし、ただ死が怖いだけのようにも感じる。

初めての瞑想の中、感じることは多くある。ただ、まだ素人であり自然のしの字も知らない僕には計りきれないものは多くそれこそ無限のようにあるのだろう。計るという言葉を使っている時点で、僕はきっと自然をなめていて、ただ傲慢なのだろう。

こんなもの一生かけたって素人だ。

自然じゃ無く、不思議な音色が聞こえてきたような気がする。それは、人の声でも増しては風の声でもないように感じ、ただ聞き惚れ祈った

きっと、僕の固定観念で、光・闇・火・水・風・土しか感じようと出来ていないのだろう。これは、固定観念だから外すことも出来ず、それとともに自然を知った気になる傲慢のかけらだろう。

ああ、神よ創造神メタートル様

あなたに母はいらっしゃるのでしょうか

鈴虫の音色はチンチロチンチロチンチロリンであるが今、聞こえる音は、スズランが鳴いていたらこう鳴くのであろうと感じる音である。

水辺の清らかさと風の香のままに


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