(7)2月14日 バレンタインデー[破]
夕暮れの河原。
フルマラソンしてみせると意気込みリリィの隣を走りながら、いつチョコを渡そうか考えていると、事件は何の前触れもなく唐突に起こってしまった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!」
突如、俺の隣を走っていたリリィは自身の右太腿を押さえると、口からこの世の終わりを嘆くかのような絶叫を出し始める。
こうなる事をある程度予想できていた俺は、足を止めると、大袈裟に地面の上をのたうちわ回る彼女に苦言を呈した。
「だから、言っただろ。いきなりフルマラソンは無理だって」
たった二キロ走っただけで足を攣ってしまった彼女に半分呆れながら、俺は彼女の攣った足を伸ばしてやろうとする。
彼女の太ましい右脚を伸ばしねやりながら、"どのタイミングでチョコを渡せば良いんだよ"と心の中で毒吐く。
「ど、……どうして……、二週間前から運動しているのに……」
「そりゃあ、いきなり過度な負荷をかけるからだろ。散歩とストレッチしかしていなかった奴が何の準備も練習もなしにフルマラソン完遂は無理だって」
彼女の収縮した筋肉を伸ばしながら、俺は溜息を吐き出す。
「ほら、今日はこのくらいにして帰るぞ」
できる範囲での応急処置を終えた俺は、動けなくなった彼女をおんぶしようとする。
「だ、大丈夫よ!まだ、走れ……あいたっ!!」
「さっさと手当てしないと、痛みが長引いてしまうぞ」
無理に立ち上がろうとする彼女を強引に負んぶした俺は帰路に着く。
「うう……!一生の不覚……!!」
「足攣る事よりもそこら辺に生えている雑草食べようとした事を一生の不覚にして欲しい」
彼女の重みを感じながら、茜色に染まった空を仰ぐ。
昨日起きた大地震が嘘だったみたいに、夕空には不穏な雲一つ存在しなかった。
まあ、この町は九州地方にあるため、ピクリとも揺れなかったんだけど。
そんなどうでもいい事を考えながら歩いていると、背中にいるリリィが口を開いた。
「……コウって、結構力あるのね」
「高校まで剣道してたからな。今もそれなりに身体動かしているし」
「ケン、ドウ?」
「模擬刀で闘う競技の事だよ」
「そのケンドウってのを、コウは高校までやっていたの?何のために?この世界って徴兵制ないって聞いたけど……」
「ざっくり言ってしまうと、勉強の息抜きだな。勉強のストレスを解消するために身体を動かしていたというか」
「今はやってないの?」
「ああ、今はそこまでストレスを抱え込んでいないからな」
彼女の質問に答えながら、俺は自宅に向かった歩き続ける。
今日は二月の割には暖かい方だった。
少しだけ冷たい風を受けながら、彼女の身体を背負い直す。
「初めて……コウの昔の話、聞いたような気がする」
「そうか?結構、喋っているような気するんだけど……」
「ううん、あんたは自分の事、滅多に喋らないわよ。昔の事だけじゃない。家族の事とか友達の事とか彼女の事とか」
「あー、それはだな……」
家族の事に関しては意図的に喋らなかったりする。
もし家族の事を話したら、自殺した姉の話までしないといけなくなるから。
それは少し重たい上に人に言いふらすような話ではない。
だから、あまり家族の事はざっくりしか喋らないようにしているのだ。
……ちなみに友達や彼女に関しては意図的に話していないというより話すネタがないから話さないだけである。
彼女は言わずもがな、友人も浅い付き合い方しかしていないため、大学生になってからは疎遠になっちゃったのだ。
「好きな食べ物とか好きな女のタイプとか、私と会うまで何をしていたのか、全然喋らないじゃない」
「……今まで聞かれなかったからな」
「じゃあ、聞いたら答えてくれるの?」
「答えられる範囲だったらな」
「んじゃあ、折角の機会だし答えてよ。あんたがどんな人生を送ってきたのか」
沈みゆく夕陽を横目で眺めながら、俺は彼女の質問に淡々と答える。
「どんな人生を送ってきたのかって言われても普通の人生だぞ。普通の家庭で生まれ育って、普通の学校に通って、普通に生きてきた」
「もっと具体的に語りなさいよ。異世界から来た私にはこっちの世界の普通なんて分からないんだから」
「家族構成に関しては父と母と姉の四人家族。姉は去年の冬に亡くなった。小中高は家の近くにあった学校に通っていた。で、中学高校は剣道と勉強に明け暮れていた。今まで付き合っていた彼女はいない。小中高仲良かった友達も大学になってから疎遠になった」
自身の生い立ちを具体的に語ろうとする。
が、どれだけ具体的に話しても、文章にしたら僅か数行程度の厚さしか語れなかった。
……自分の人生に中身がない事を理解させられる。
「好きな食べ物はおはぎで、好きなタイプの女性は特にない。これで十分か?」
「好きなタイプは特にないはないでしょ。もっと赤裸々に語りなさいよ」
「んな事言われても好きなタイプの女性なんか考えた事ないっての」
「んじゃあ、初恋の相手はどんな子だったのよ?」
彼女は自分の身体を俺の背中に押しつけながら、不機嫌そうに疑問を呈する。
「ノーコメント」
「えー、いいじゃん。私に聞かれて困るものでもないでしょう?」
"困るからノーコメントなんだよ"という一言を寸前の所で呑み込む。
「じゃあ、お前が俺の質問に答えてくれたら答えてやるよ」
話を逸らすため、俺は彼女に疑問を呈した。
「なあ、リリィ。何で一刻も早く痩せたいなんて思ったんだ?別に焦って痩せる必要もないというか、何というか……」
俺の質問を聞いた途端、リリィは黙り込んでしまう。
やはり地雷だったみたいだ。
慌てて俺は"嫌だったら答えなくていいぞ"という一言を言おうとする。
が、その一言よりも彼女の答えの方が早かった。
「ゆ、ユーチューバーデビューするためよ」
「……………………は?」
「ユーチューバーデビューするためよ!!デブのユーチューバーは稼げないから、一刻も早く痩せる必要があったのよ!!!!今年中に登録者数百万人突破するために痩せる必要があるのよ!!!!」
彼女の甲高い大声が俺の鼓膜を激しく揺さぶる。
その所為で俺の耳はキーンとなった。
「い、いや、痩せなくてもいいと思うぞ。お前は太ってても見目麗し……」
「いいや!そんか事はない!!というより、あっちの世界でもこっちの世界でも痩せている人がジャスティスなのよ!!!!現に大人気ユーチューバーにデブはいない訳だし!!!!」
「多分、沢山いると思うんだけどなぁ……」
「ていうか、本当はコウだって痩せている人の方が好きなんでしょ!!??あんたのスマホの中に入っているエロ本だって、爆乳かつ細身のお嬢様ものばかりだし!!!!」
「いつの間に俺のスマホ弄ったんだよ、テメェ!!??」
まさかの初恋相手に性癖がバレてしまっていた。
恥ずかしくなった俺は、つい大声で怒鳴りつけてしまう。
「ほら!やっぱり、細身の方がジャスティスなのよ!!テレビに出てくる芸能人もアニメに出てくる美少女もみんな余分な肉ついてないし!!!!AVもエロ漫画も全然お腹出ていない人達がぽっちゃりみたいな事言われているし!!!!何よ、アレ!!おっぱいと尻デカいだけじゃない!!本当のぽっちゃりはね、腹の肉を摘むどころか掴むくらいある人の事を指すのよおおおおおおお!!!!!!ぽっちゃり舐めるなあああああああ!!!!!!!」
「だから、いつ俺のスマホ弄ったんだよ、お前はああああああああああ!!!!!」
近所迷惑とか省みる事なく、俺とリリィは大声で喚き倒す。
その所為で川沿いに住んでいる人からの視線を集めてしまった。
恥ずかしくなったので、俺は彼女を背負ったまま、いつもストレッチとかやっている橋の下に逃げ込む。
「だから、私は一刻も早く痩せる必要があるのよ、うん。トップユーチューバーになるために。トップユーチューバーになって、浴びる程の金を稼ぐために、うん」
彼女を地べたに座らせた俺は、彼女の隣に座り込みながら、ツッコミの声を上げる。
「個人的には痩せるよりも先にこの世界の常識を学んで欲しいんだけどな。今のままユーチューバー始めたら、間違いなく炎上するだろうから」
ダイエットに雑草を食べる事や血抜きする事を推奨するような人間に動画配信させたくない一心で、俺は──あまり言いたくはないが──否定の言葉を口に出す。
「それにコウだって太っている女性と同棲するよりも痩せている人と同棲した方が嬉しいんじゃ……」
「はい、デブ促進剤」
ショルダーバックからチョコを取り出した俺は、それを彼女に投げ渡す。
運動神経があまりよろしくない彼女は、飛んできたチョコをおでこで受け止めた。
「これって……一昨日くらいから箪笥の中に入っていた……」
「何で知っているんだよ」
「いや、金曜日くらいに何か面白いゲームないかなーって探したら偶然見つけちゃって……」
「人の箪笥を勝手に開けてんじゃねぇよ」
「でも、いいの?これ貰って。他の人に渡すものじゃなかったの?」
「初めからお前に渡すために買ったチョコだよ。ほら、今日はバレンタインデーだから。異性に日頃の感謝を述べる日だから、うん」
地面に落ちていた小石を拾った俺は、それを川目掛けて投げる。
石は水を切る事なく、水底に墜落してしまった。
「別に太ってようが痩せていようが関係ねぇよ、長生きさえしてもらえたら」
ちょっとだけ早口になりながら、俺は少しでも照れを隠そうと足掻く。
「運動しなさ過ぎも困るっていうか、痩せ過ぎも困るっていうか、なんというか………うん、人間、程々が大事って事、だと思う、うん……」
好意と照れを隠そうとした結果、自分でも訳の分からない事を呟いてしまう。
やべえ、何言ってんだ、俺。
「無理なダイエットは長続きしないし、無理に続けたとしても身体を壊してしまう。だから、ゆっくりでいいんだよ。健康的な生活を送りつつ努力し続ければ、いつか結果もついてくるようになると思うから」
臭い事を吐きながらリリィの方を見る。
彼女は幸せそうな表情を浮かべながら、一粒何百円もする高級チョコを頬張っていた。
嬉しそうにチョコを食べる彼女を見て、無理に取り繕う必要もタイミングを伺う必要もなかった事に気づく。
二重の意味で恥ずかしくなった俺は、彼女に赤くなった顔を見られないよう、顔を明後日の方に向けた。
新しくブッマークしてくれた方、評価してくれた方、そして、ここまで追ってくれた方、本当にありがとうございます。
次の話は21時に投稿します。
申し訳ありません、まだ最終回書いている途中です。
多分、短い話になると思いますが、最後の最後までよろしくお願い致します。