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(6)2月14日バレンタインデー[序]

 今日はバレンタインデー。

 だというのに、俺──上寺光は一方的に好意を寄せている同居人──リリィにチョコを渡せずにいた。

 洗濯物を畳みながら、ダイエットに励む彼女の姿を眺める。

 彼女は部屋の隅でシャドーボクシングをしていた。


「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ」


 へっぴり腰から放たれるキレのない彼女の動きは、猫が猫じゃらしに戯れているように見えた。

 あの動きは一体どの部位の脂肪を燃焼するのだろうか。

 あまり意味のない動きに見える。

 けど、そこら辺に生えている雑草を食べようとしたり、血抜きしようとしていない分、まともにダイエットしているようにも見えた。

 

「シュッ、シュッ、シュッ、シュッ」


 変な動きをし続ける彼女を眺めながら、"何で俺は彼女の事を好きになったんだろう"と自問自答する。

 が、幾ら考えても答えは出なかった。

 気がついたら好意を寄せていた。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 多分、一年近く一緒に住んでいたからだろう。


(本当、チョロいな、俺)


 ぼんやり一年前の事を思い出しながら、自分がどのタイミングでリリィに惚れたのか把握しようとする。

 近所の橋の下でリリィと出会った後、俺は異世界から来たと喚く彼女を近くの交番に連れて行った。

 そして、リリィが色々交番のお巡りさんと揉めた所為で、俺と彼女は東雲警察署に連行されてしまった。

 その時、俺と彼女は松島啓太郎という刑事と遭遇し、彼の一言がきっかけで俺と彼女の同棲生活は始まった。


『行く所がなかったら、行く所が見つかるまで彼の家にいたらどうだ?』


 この松島刑事の投げやりにも見える一言により、第一発見者である俺は彼女の身柄を預かる事になった。

 当然、俺は松島刑事に抗議の声を上げた。

 "何故、俺が引き取らなきゃいけないんだ"と。

 松島刑事はどうでも良さげにこう言った。

 "彼女が君に懐いているからだ"と。

 そして、"君はヘタレっぽいから、彼女を預けるのに最適な人間だ"と。

 こうして、俺は松島刑事の強引な説得により、彼女と同棲する事になった。

 そこからの日々は波乱に満ちたもの──という訳でもなく、特に特筆する事がない、平々凡々なものだった。

 朝起きて、リリィと一緒に朝ご飯食べて、俺が大学のリモート授業を受けている横で彼女はこの世界の言語の勉強をし、一緒に昼ご飯を食べて、また勉強し、晩飯前に軽めの散歩をした後、晩飯を食べながらテレビを見て、お風呂に入って、軽く雑談して、寝る。

 それをただ繰り返していた。

 何も事件は起きなかった。

 ラブ的なイベントも起きなかったし、異世界からの使者も一度たりとも来なかった。

 だから、何か特別な事がきっかけで彼女の事を好きになった訳ではないんだろう。

 

(……"隣の席の子と毎日話した結果、いつの間にか好きになっちゃってました"的な感じで好きになったのかよ、俺は)

 

 回想を終えた俺は自分のチョロさに呆れ果ててしまう。

 リリィと会うまで異性とお付き合いどころか、まともにお喋りさえしてこなかったのだ。

 そりゃあ、彼女みたいに見目麗しい上に──頭はおかしいが──そこそこ優しい女性と一緒に過ごしていたら、意識しなくても好きになってしまう。

 俺みたいなモンスターチェリーボーイは女の子に優しくされるだけで惚れてしまうのだ。

 彼女への恋心を自覚して早半年。

 未だに俺は彼女に好意を伝えられていなかったりする。

 と、言うより伝える資格がないのだ。

 今の俺と彼女は立場上対等ではないから。

 もし家主である俺が彼女に告白したとしよう。

 彼女が俺の告白を断った場合、間違いなくこの生活に歪みが生じてしまう。

 以前と同じような日常を過ごす事はできなくなるだろう。

 最悪、彼女は気まずさのあまり、この家から出て行ってしまうかもしれない。

 そうなったら、この世界に戸籍がない上、身寄りがない彼女は間違いなく路頭に迷う事になるだろう。

 或いは好きでもない俺の告白を受け入れるかもしれない──告白を断った場合の時を考えて。

 どれもあまりよろしくない結末だ。

 その状況だけは絶対に避けなければいけない。

 彼女の幸せを望んでいるのなら。

 彼女に長生きして貰いたいのなら。

 彼女に不自由を強いるような選択肢を提示してはならない。

 だから、この気持ちは──彼女が戸籍を獲得するか、俺以外の身寄りを獲得するか、或いは彼女が異世界に戻れるようになるまで秘めておかなければならない。

 俺が家主でなくなった時──俺と彼女の立場が対等になった時、彼女が何の気兼ねもなく俺の気持ちを断る事ができる状況になった時にしか彼女の本心を知る事ができないのだ。


 だがしかし。

 最近になってバレンタインデーチョコくらいの好意は示したいという欲が湧き上がってしまった訳で。

 度々彼女の話に出てくる婚約者の王子や異世界のイケメン貴族よりも俺の方がリリィの事を好きって事を伝えたいと思っちゃった訳で。

 そんなよくわからない気持ちがごちゃ混ぜになった結果、二月十一日、俺は衝動的に高級チョコをネット通販で購入しちゃったのだ。

 ……器が小さい上に気持ち悪い動機だという事は重々承知している。

 下手したら彼女に好意を悟られてしまうかもしれない。

 もしかしたら、告白する前に振られてしまうかもしれないし、最悪な結果を招いてしまうかもしれない。

 それでもチョコを渡したいのだ。

 日頃の感謝とか好意とかその他諸々の気持ちを彼女に伝えるために。

 

「さあ!コウ!今からフルマラソンしに行くわよ!!」


 シャドーボクシングを終えた彼女は、額に付着した汗を素手で拭うと、そのまま玄関に向かって小走りする。


「その前にシャワー浴びて来いよ。風邪引くぞ」


 畳んでいた洗濯物の中からタオルを取り出すと、それを彼女に投げ渡す。

 俺の投げたタオルを顔面で受け止めた彼女は、視界がタオルによって塞がれているにも関わらず、そのまま脱衣所の方へと入って行った。

 彼女が脱衣所にいる隙を伺って、俺は箪笥から高級チョコを取り出すと、いつも外出時に持ち歩いているショルダーバッグの中に入れる。

 もしかしたらマラソン中、彼女が甘いものを摂りたくなるかもしれない。

 そんな淡い期待を抱きながら、俺はチョコを渡す機会を待ち続ける。


(いや、待っているだけじゃダメだ)


 首を横に振り、両頬に喝を入れる。

 

(今日中に彼女にチョコを渡そう。別に食べて貰う必要はないんだ。渡せれば良いだけなんだし)


 そうだ、何も難しい事ではない、

 彼女の機嫌を損なう事なく、チョコを渡す。

 言葉にしてみればメチャクチャ簡単な事だ。

 チャンスを待つ必要なんて最初からない。

 バレンタインデーだからという理由で彼女に渡せば良いだけだ。

 シャワーを浴び終わった彼女にチョコを手渡そう。

 ダイエット終わったら食べてくれと言おう。

 うん、そうしよう、うん。

 そんな事を考えながら、ショルダーバックの中からチョコを取り出そうとする。

 その瞬間、脱衣所からリリィの声が聞こえてきた。


「コーウ!私の着替え取ってくれる!?」


「うっひゃぇ、ありげらっ!?」


 鞄のチャックに手を掛けた途端、声を掛けられたので、つい気持ち悪い奇声を上げてしまう。


「ちょ、どうしたの!?何か変な声聞こえたけど!?大丈夫なの!?」


「あ、ああ!だ、大丈夫だ!!着替えな!着替え取ればいいんだよな!?」


 大声で誤魔化しながら、俺は早鐘のように鳴り響く心臓を押さえる。

 

(な、何を焦る必要がある?ただ声を掛けられただけだろ?焦る必要なんてどこにもない、うん。あ、そうだ、着替えついでにチョコを渡そう、うん)


 そう思いながら、俺は洗濯物の中から彼女の着替えを取り出すと、脱衣所の前に持って行く。

 そして、バックの中からチョコを取り出そうとした。

 変な汗が手に纏わりついた所為で上手くカバンを開ける事ができない。

 結局、俺は脱衣所の前に着替えだけを置いた。

 ……チョコを渡すのは今じゃないと自分に言い訳しながら。

 次の更新は20時を予定しております。

 最終回は本日21時か22時に公開予定です。

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