第三話 終わりを迎えた日常
いつもとは違う雰囲気の亜美菜だった。朝の元気が嘘のように。
「ーー?どうした?亜美菜。」
「兄ちゃんは、ーー」
「ーーー」
目の前に立つ少女は涙を流し、握り拳をつくり、足を震えさせている。それが今にも崩れ落ちそうなほど思いやられているように見えた。そんな彼女の立ち振る舞いに俺は背筋が凍る感覚を覚えた。
「兄ちゃんは、ーー私を、置いていかないよね?」
「置いていかないって、どういう、ーー」
ーーあまりその先をつけ込みたくなかった。
「今日、実は夢を...見たの」
「ーーー」
「兄ちゃんが…お兄ちゃんが…」
聞きたくなかった。
「ーーー兄ちゃんが一人で死んでいく夢」
* * *
普通なら聞き流せるような馬鹿みたいな話だ。
夢が正夢になるなど、そうそう起こるものではない。
ましてや死ぬなんてーー。
だから、亜美菜の今の言葉が、自分にはとても信じきれなくて、ーー信じたくなくて。
「今日、友達に聞いてみたんだ。見た夢は現実でも起きるかもしれないってこと。もしかしたらそれは『予知夢』かもしれないってこと。」
「ーーー」
「それが、私には受け止め切れない。でももし本当に起きたらって思ったら怖くて、ーーー怖くて、ーーー。だって、最近お兄ちゃん、前みたいに元気がないもの。何かあったのかなって思って」
「ーーー」
「いつもいつも思ってた。だからこそ、今日の夢は本当に嫌な夢だった。ーーまるで本当に起きちゃうんじゃないかって疑いやすくなっちゃうの。正夢になるなんてあるはずないのに」
俺が気づかないうちに亜美菜は俺をかなり心配してくれていたようだ。たしかに前より元気が無くなった。が、決して死にたいなんて思ったことはない。生きたいと思ってる。今だったらなおさらーー
だから、夢は夢だ。そう、信じてーー
「大丈夫。心配すんなって。俺がそう簡単に死ぬように見えるか?」
「ーーでも」
「言ってたじゃないか。人はそんなにヤワじゃない」
「!」
「それに前は前。今は今だ。前は前で元気だったし、今は今で元気だぜ。亜美菜、そんな心配いらねえよ。お前にストレスは溜めさせたくないからな」
「一緒にいてくれる?ーーどこかにいったりしない?」
「前、約束しただろ?亜美菜。俺はお前を置いて何処かに行ったりなんてしない絶対だ」
「お兄ちゃん。ーー」
「だから元気だせ、そうだ、あの電柱まで、俺と競争しようぜ?亜美菜が勝ったら、アイス奢ってやるよ」
「ーーうん。わかった。兄ちゃんには、負けないよ!」
心配なんていらない。ずっと一緒にいてみせる。そう心に思った。
胸を手で握り締めてーーそう思った。
* * *
家に帰ると、黒髪のスポーツ刈りで吊り目な男、俺の父親である"石垣 新"が新聞を見てソファーに座っていた。
ちなみに母さんはキッチンで夕飯の準備をして、亜美菜はテレビを見て、大爆笑中。
「おかえり、龍太。今日はいっそう腑抜けたツラしてんなぁ」
「ほっとけよ、ーーただいま」
「なんだよ、ほんとのことだろ?」
「ーーー」
ニタァと笑いながら父さんはそう言ってきた。
確かに前まではそうだったと思う。否、そうだったのだ。しかし、今日の出来事でいろんな心情が変わった。
だからこそーーここから変わる為に家族にもいう必要があった。
「ーー、冗談言ってるとこ悪いが、俺は真面目に伝えておきたいことがある。父さんには悪いけど、その台詞をもう言わせないようにしてやるよ」
「ーーぉおう?なんだどうした?頭ぶつけておかしくなったのか?」
「龍太、熱でもあるんじゃないの?」
「兄ちゃんがそんな事いうと明日は槍が降るぞー?」
「どんだけ俺真面目な奴だと思われてないんだ」
なんと家族総動員で疑いをかけられた。改めてがっかりだ。こんな印象ではたまったもんじゃない。だから自分の思いはちゃんと伝えることにした。
「頭もどこもぶつけてねえよ。真面目に将来考えるって話だ。今からでも遅くないだろ」
「ーーー」
「堕落した俺は今日で終わりだ。今まで間抜けな俺で迷惑をかけた。ーーだから明日から目にものを見せてやるよ。父さん、母さん、亜美菜。期待していてくれよ」
過去の自分を捨てた。
賢太の期待を応えるように、
亜美菜に心配させないように、
ーー俺は今、自堕落と別れを告げた。
ーーーだが、その真面目な決断は、一人の笑い声で掻き消された。
「ぐわっはっはっはっ!!」
「はぁ!?息子が真面目に話してんのに何だそのリアクションは!?」
「なんか重く考えてるようだが、それは人として当たり前なことだぜ?それをなんだか覚悟を決めたみたいにカッコつけても全くしまってねぇって話」
「いや、そんな事は」
「今のお前、最高にイタいぜ?」
「ぐっ、ーーーーー!!」
そう、まるっきり父さんの言う事が正論だ。
だからこそいかに自分の前の堕落さが際立つ。歯を食いしばり、握り拳を作る。
後悔の念が頭を重くした。
「ふん、ーーまあでも、そうやって自分一人で立ち直った事は素晴らしいと思うぞ?だから、言った事は突き通せ。三日坊主なんてごめんだ。これ以上迷惑かけんなよ?俺達に」
「ーー、一人じゃないさ、俺は皆から支えられてきた。だから期待を応えるのは、当たり前さ」
「ーー少しは腑抜けた顔に花が咲いたな」
そう、親子トークは幕を閉じた。
* * *
食事も済ませ、お風呂に入る際に、賢太に言われた自分を見直す事をやってみることにした。
洗面台の鏡の前に立ち、自分の姿を見る。
「髪がダサいーーね。確かにその通り」
鏡に映るのは、黒髪で前髪が変な分かれ方をしている。かなりの吊り目でそれを除けば冴えない顔をしていて、体つきが帰宅部より少し力のついたほどの筋肉。
「でもいちいち切るの面倒くさいんだよな……」
因みにこの髪型は自分で切って自分で失敗したものだ。だからと言って、わざわざ髪を切るためにお金を払うのは嫌だ。
家族に切ってもらうのも嫌な予感しかしないため嫌だ。
ーーと、この髪型を突き通している。
それも踏まえ、正真正銘、誰がなんと言おうと、
この人間は高校二年生"石垣 龍太"だ。
「これは……モテないわ」
自分自身を見直した結果、希望を打ち砕かれる酷く残酷な結果となった。
* * *
自分の部屋に戻る。俺の部屋は二階。まあ、普通の家の間取りだ。
「龍太?明日は三者面談じゃなかったっけ?」
「えっそうなの?」
「はぁ、全く、とにかく明日は三者面談だから覚えといてね」
「はいはい」
母さんからの確認で気付く。
そういえばもうそんな時期か。改めて改心して良かったと思う。あのままだったらもしかしたらニート直行かもしれなかった。
「兄ちゃんおやすみー!明日も起こしに行くぞー!!」
「頼むからわきまえてくれ、あれ本当に痛いから」
「おう、なんだ早いな。なんか疲れる事でもあったのか?」
「まぁ、色々と。今日は何となく早めに寝たい気分なんだよ」
「そうかそうか、丁度今から俺達で腕相撲大会を開こうかなと思ってた所なんだがなぁ」
「こんな夜にそんな中学生みたいな事を、ーーあんたいくつだ」
「がっはっはっ、冗談冗談!おやすみ、我が子よ!」
「あぁ、おやすみ」
どうやらお酒を飲んでいたらしい。テンションがいつにも増して高い。
そうして、家族とおやすみの挨拶を済ませた。確かに寝るのがいつもより早い気がするが、今日の出来事を考えたら納得だ。そうして自分の部屋に入った。
左に本棚、右に散らかった道具、右奥に勉強机、そして中心部分に布団。見るからに男子部屋だ。
「明日から……か」
布団の中へ入り、今日誓った事を確認する。
そろそろ俺も青春したいと思っていた所だ、そんな事を考えながら。
ーー就寝の準備をした。
「結局、俺はなんで今日、楽しいのが不安っていう事を考えてたんだろう」
昼休みの最後からずっと感じていたものだった。普段なら疑問にもならない事を俺はどうしてか考えていた。
「ーー気にするほどでもない、か」
部屋の電気を消した。
身体の機能を少しずつ安静にさせていく。目を少しずつ閉じていく。
「明日から、変わってみせる。ーーー石垣 龍太の殻を破って、ーー俺は、ーーー必ず、ーーーーー。」
実は、ーー俺も夢を見た。
死んで、生き返って、何処かへ消えていく。
『モノクロ』に見えた世界ーーー
青く光る『魔法陣』ーーー
何故そんな疑問を抱いたのか、それが明日には分かると、そう確信された。
幸せすぎる日常が、終わりを迎える。
* * *
次の日の朝はいつもと比べて眩しいと感じなかった。
布団から起きる。いつもは寝起きが悪いのになんだか今日は起きなければならない気がした。
「ーーー。亜美菜、来ないな」
いつも俺を起こしにこの部屋に入ってくる。まあ、昨日俺の部屋に入るな的なニュアンスの台詞を言った気もしたので、その異変には納得がいった。亜美菜がここまで従順にいったことを守るのも珍しいが。
「ふあぁあぁぁ」
欠伸をしながらカーテンを開ける。どうやら曇りみたいだ。
下に降りるとまだ誰も起きていないということに驚きを見せた。
「あれ。今日は皆休みだったっけ。ってことは俺も、ーー」
おかしい。明日は三者面談があると母から念押しされているはずだ。だからーー
「皆寝坊かよ。参ったな、余裕もって起きたけど皆を起こすほど時間はねぇぞ」
俺は起きてから時間を見る事はない。大体腹時計で判断している。実際今までそうしてきた。
さすがにいずれ起きるだろうと判断して一人で朝食を済ませ、
「いってきます」
そう告げて家を後にした。
ーーー静かすぎるという違和感に気付かずに。
* * *
時間に余裕があって登校することのはいいものだ。
焦る必要もわざわざ疲れる事をする必要もない。のんびりと歩けるのだ。
「しかし、自分を変えようと決心した次の日曇りって、まじ俺に味方しないなぁおてんとさんは」
優雅に歩いて登校している。しかし、なぜか皆外にいない。誰一人として外出していないのだ。
「おかしいな。いつもなら必ずこの時間にランニングのおじさんが通るのにな」
余裕がある時間帯の時は大体そうだ。ーーしかし、今日はいない。いつもとは違う景色を見ているようだった。
しかし俺は、対してそういう異常には気にせず学校を目指した。
* * *
学校に着き、教室に入ると一人だけ俺よりも早く登校してる男がいた。
ーーー井上 賢太だ。
「おいおいらしくないな賢太。こんな時間にくるなんて、昨日遅刻したのがそんなにショックか?それにここは、お前のクラスじゃねえし、そこ俺の席だぞ?」何やってんだよ」
やけにテンション高めに話した。否、違う。
周りが静かすぎるため、俺の声しか響かないのだ。
「ーーーなんか静かすぎないか……」
鳥のさえずりも、木がなびく音も、何も聞こえなかった。流石に無視できるほどではないくらいにーー
「賢太。なんかおかしくねぇか。今日。この学校がこんな静かな事ってーー」
賢太は身動き一つ取らずにそのまま静止している。
反応すらしてくれない。
「ーーっお前、人が真面目に聞いてんだから反応くらいしろよ!!」
賢太の肩を強く押して起こそうとした。
しかし起きない。それどころか、椅子ごと倒れても反応一つしなかった。
「ーーーお前、ーーなんで動かないんだ?」
俺は、その違和感に感づき、顔を上げた。
ーー起きた頃から感じた違和感がとうとう如実に感じるようになった。
背筋が凍る。目を見開き、手が少しずつ力を抜いていく。口が動かない。
その現実を少しずつ実感していく。
鳥は空中で止まり、木は斜めに曲がったまま静止。
雲はない。賢太が倒れている。
「ーーーぁ、ーーぁ」
空気を吐くように出る声。しかし口は抑える事を忘れたかのように動かなかった。
家族はこの時間にも起きない。否、少なくとも亜美菜はこの時間にはラジオ体操をするほど早起きだ。
ランニングのおじさんも居なかった。否、彼は雨の中、風の中、どんな時でも欠かさずに走っていた。
こんな事、ある訳ないのだ。
俺はその現実に気づいてない訳ではなかった。
しかし、気づけば受け入れる事が出来なくなるような気がしたのだ。
夢を見た。
胸が締め付けられるのを感じた。
夢が正夢になるなど、あるはずがない。
現実を受け入れる事が何より難しいかを理解した。
ーーーーーーこの「世界」は、『停止』した。
日常編は一旦ここで終わります。