彼の物語
ライルという男には生まれた時の記憶はもちろん、親についての記憶も無い。
そもそも親というものが存在しているのかすら分からない。
彼の記憶は、白い髭の老人が自分を覗き込んでいる映像から始まる。
しゃがみこむライルに「大丈夫かい」と声をかけ、誰も迎えが来ないとわかると「私の村によっていくといい」と優しく微笑んだその老人。
その老人が今のライルの親代わりである村長であり、彼が村で暮らすこととなった経緯だ。
村長によって保護された彼はその後、家族に関しての情報が全くないことや、ライル自身が村で過ごすことを望んだことによって村の住人となることが決まった。
自分の名前すら分からなかった彼にライルという名前をつけてくれたのも村長だ。
そして正式に村で保護されることが決まった次の日。
ライルは自分の唯一となる存在に出会った。
村で挨拶回りをしていた時の事だった。
小さな田舎の村だったため、挨拶回りは一時間とかからずライルと村長は最後の家の戸を叩いた。
「はーい」という声と共に出てきたのは二十代前半の女性ともう一人。ライルと同じくらいの背丈をした女の子だった。
その女の子はトタトタとした足取りでライルに近づいてくるとなんの曇りもない、可愛らしい笑みを浮かべた。
「わたし、スティナっていうの。あなたのおなまえは?」
「·····ライル」
まだ実感が湧かないまま自分の名前を口に出すと、目の前の少女はライルの手をとって「へー、ライルね!」とはしゃぐ。
彼には一体彼女が何でそんなに嬉しそうにするのかが分からなかった。
「あ。こらスティナ、少し落ち着きなさいな。ごめんね、この子ったら歳の近い子が村に来たって昨日から大騒ぎで」
女の子のテンションについていけずにいると、彼女の母親が申し訳なさそうにそう言った。
自分の存在をそんなにも喜んでくれていることに内心、戸惑いつつもライルは目の前の少女に一言「よろしく」と返す。
すると少女からも「よろしくね!」と元気よく返答が戻ってきた。
これが後に彼の最愛となるスティナとの初対面なのだが、正直なところ、彼は最初の頃スティナを苦手としていた。
村にいる他の人間と違って彼女はずっとテンションが高かったし、声は大きいし、何を考えてるのかよく分からなかったから。
でもそれはスティナの歳を考えれば年相応、仕方の無いことであり寧ろそれを冷めた目で見ていたライルの方が異常だったのだ。
彼は自分が異常な存在であることを自覚していた。
見た目の年に似合わない自らの思考も、自分がまるで違う生物を見るかのように人間を観察していることも、親の記憶や生まれた場所を覚えていないのでは無く、その記憶が存在しないことも。
その全てがおかしい事なのだと分かっていた。
だから彼はそんな自分を隠し、無邪気な子供に見えるよう演じた。
人間は自分達と違うものを害したがる生き物だと言うことを聡い彼は予感していたから。
スティナと同じに見えるよう子供らしくはしゃぎ、子供らしく感情を表に出し笑顔ですごした。
そうして過ごしていくうちに段々と子供とはこういうものなのだと理解し、彼のスティナへの苦手意識も少しづつ薄まっていった。
それどころか、村で唯一同世代だったスティナを参考にして行動することも少なくなかった。
心のどこかできっと自分は一生こんな感じで生きていくのだと割り切りながら日々を過ごしていたライルだったが、ある日いつも笑顔でいるスティナが泣いているところを見た事でその心境に変化が訪れることとなる。
その日もいつも通りスティナに誘われ、二人で外で遊んでいたのだがいつも元気なはずの彼女はその日は何か落ち込んでいるようだった。
様子を見てみるに、なにか悲しいことがあり気を紛らわせるためにライルと遊んでいるようでその日の彼女はいつもよりも無理やり笑みを浮かべていた。
常日頃屈託のない笑みを浮かべ、年相応にはしゃいでいる少女が元気の無い様子を見て、なにかあったのだろう、と思いながらもライルの心は今までにないほど妙にざわついた。
そうして気づけばライルは「どうしたの?」と落ち込む少女に問いかけていた。
問いを向けられた当のスティナはぽかんとした顔でライルを見る。
その顔をみて余計なことを聞いたかと「あ、いや落ち込んでるみたいだったから」と付け足すと、みるみるうちに彼女の瞳に涙が溜まってゆく。
そしてそんな少女の変化に驚くライルの前で少女はとうとう泣き出してしまった。
えぐえぐと声を抑えながら泣くスティナの話を聞く分には、どうやら先日彼女の祖母が亡くなったらしく、初めての近しい人の死に大変ショックを受けたそうなのだ。
それで張り裂けてしまいそうな胸の痛みから何とか気を紛らわすためにライルを遊びに誘ったものの、やはりそう簡単には行かず遊んでいるうちに悲しくなってきてしまった、というのが一連の流れらしい。
この時、知り合ってから初めてスティナが泣いているところを見たライルは非常に動揺した。
いつもと様子が違う少女に動揺としたというのももちろんあるが、それ以上に彼女が泣いているところを見て『何とかしてあげたい』なんて言う馬鹿らしい考えを持った自分に一番驚いていた。
死者が蘇ることは無い。
それは当たり前の事実でライルもよくその事を知っているはずだったのに、この時彼は小さな体を震わせて涙するスティナをみてそう思ったのだ。
しかし他の人間の感情の機敏はよく分かるが、自分の感情に対しては酷く疎い彼はそれが『庇護欲』と呼ばれるものだということに気づかなかった。
だから彼はこの時、その感情を自分らしくないと一蹴するとすぐに深く考えることなく蓋をしてしまった。
が、一度芽生えたその人間らしい感情は彼の中で育ちそして時折顔をのぞかせた。
ふとした時にスティナのことを可愛いと思う自分に混乱し、その感情を見て見ぬふりをすることも少なくなかった。
そうしてその出来事から四ヶ月ほどが経ったある日。
ライルの中で蟠りのようになっていたそのふわふわとした感情がしっかりと形作られる出来事が起こる。
村に来てから一年がたった頃のことだった。
「今日はね、隣の村に遊びに行くの!!」
ライルの家に来て開口一番、スティナが元気よく叫んだ。
「隣村?なんで?」と首を傾げるライルにスティナは「年に何度かだけ遊びに行けるのよ」と楽しそうに微笑む。
彼女の説明によると、この村はあまりに小さい為に作れる農作物も限られているようで年に何度か隣の村まで行き、農作物を交換する習慣があるという。
隣の村はこの村よりもずっと大きく、人口も多い為こうしてものを交換するのにはとても良い場所らしい。
そして、その時に隣村で遊びたい子供がついて行くのだと言う。
「別に二人で遊べばいいじゃん」と否定的なライルにスティナは「お友達が増えるかもしれないじゃない」と目をキラキラ輝かせている。
それがライルにとってはなんだかとても面白くなく思えた。
そもそもたくさん子供がいる場所には行きたくない。
珍しく嫌がるライルにスティナはしばらく悩んだ後、「それなら私だけ行くから村で待ってていいよ」と提案した。
「私、ライルの分までお土産持って帰ってくるから!」
「いや·····」
そういうことじゃない、と否定しようとしてライルは「ん?」と首を傾げる。
·····いや、そうすればいい話じゃあないか?
ただ単に子供が大勢いる場所に行きたくないのならスティナの言う通り、村で待っていればいい。
その、はずなのに。
どうしてこんなにも嫌だと思うのだろうか。
俺は、何を嫌がっているんだ?
モヤモヤとした思いを抱えながらも、村で待っている気にもなれずにライルは結局「俺も行く」と隣村に行くことを決めた。
さて。こうして共に隣村へ行ったライルだったが、村に着いた彼は早速後悔していた。
まず、子供達の声が耳障りで仕方がない。
ここに来て自分が思っている以上にスティナが聡明な子であることを知った。
常に元気ではしゃぎはするものの、彼女はここまでギャーギャーと騒がないし、意味不明なことも言わない。
どちらかと言うと彼女は年齢の割に大人びている方ではないだろうか。
特にライルが来てからの一年間で彼女はかなり精神的に成長を遂げたらしく、彼がスティナと遊ぶのが苦痛に感じなかったのはそれが関係しているようだった。
そして、薄々感じてはいたがこの村に来てライルは自分の顔が一般より整っているということに確信を持った。
というのもライルは村に来た瞬間からこの村の人達、特に女性が自分の顔に見惚れているのを感じていたからだ。
そんな見た目だけは王子様のようなライルが村の子供達に囲まれるのに時間はかからなかった。
囲まれ、耳元でギャーギャーと騒がれ、ライルは自分の不快指数がどんどん上がって言うことを自覚しながらも目だけでスティナの姿を探す。が、周りに彼女がいる様子はない。
その事がさらにライルを苛立たせた。
「ちょっとごめんね。俺、ある女の子を探しに行きたいんだけど」
いつまで経っても動けない状況に痺れを切らしたライルがそう言うと、子供達が「えー」と不満を露わにする。
それに内心、舌打ちしながらも彼は半ば無理やり人垣を割って囲みから抜け出した。
何とか自由を手に入れたライルが村中を探索していると、スティナは案外すぐに見つかった。
が、その隣には歳の近い小柄の知らない男子が立っていた。
二人っきりで何かを話していたらしく、スティナが何か言うとその男子が頬を赤く染める。
その光景がライルには何よりも不快なものに思えて、気づけば勢いよく二人の間に割り込んでいた。
男子はもちろん、スティナもいきなり現れたライルに目を丸くする。
「ラ、ライル。突然どうしたの?」
スティナからの問いさえも無視してライルはその小柄な男子を威嚇するように睨む。
すると、ライルの圧に小柄な男子はプルプルと震え始めた。
「ライル、なんでそんなに睨むの。やめなよ、リンくん嫌がってるよ」
リン、というのは状況からしてこの男子の名前なのだろうが彼には彼女がその名を口にしていることさえ嫌でますます睨みをきつくしてしまう有様だった。
こんなの自分らしくない。
そう分かっていながらも、ライルは自分の中の苛立ちを消すことは出来なかった。
「や、やめなってば!!もう!」
目の前の男子から目を逸らさずにいると突然、頭をポカッと叩かれた。
彼は叩かれたことに対しては全くと言っていいほど痛みを感じなかったものの、叩いた相手がスティナだということに物凄い衝撃を受けた。
なにせ、ライルは今までスティナに叩かれたことなど一度もなかったのだから。
が、そんなライルの様子に気付かない彼女は腰に手を当てると「もう、だめでしょ」と怒った。
「仲良くしたいなら睨んじゃ駄目だよ」
そしてそう言われた。
ライルは何故自分が小さな子を窘めるように怒られているのかも、何故自分がこの男子と仲良くなりたがっていると思われているのかも分からなかったものの、初めて見た彼女の怒りに気圧されコクンと頷いた。
取り敢えず、その場はそれで収まり事なきを得たのだがライルはその後もずっとイライラすることとなる。
第一の理由としてはこのリンと呼ばれる男子の性格だ。
彼は元々気弱な性格でその上、甘えん坊なところがあるようで村で遊んでいる最中もスティナにべったりだった。
しかも、当の彼女は初めてできた弟のような存在が嬉しいらしく、リンの態度を嫌がるどころか嬉々として世話をしているのがライルにとっての一番の問題だった。
それに相変わらずライル自身は村の子供達なんかに囲まれるせいで殆どスティナと居る時間もなかった。
結局その日は一日中そんな調子で村へ帰ってからも楽しかった、と母親に報告するスティナとは裏腹にライルの心の中は苛立ちで一杯だった。
ずっと仲良さげにしていたリンという男子にも、そいつの名を嬉しそうに呼ぶスティナにも、理解できない未知の感情を抱える自分にも全てに苛つき、混乱する。
村に帰ってからずっとそんな調子だったライルを見て村長が「珍しいね」と笑った。
何に対しての言葉かと首を傾げるライルに村長は「君が苛立っているのは」と続けた。
「隣の村で何かあったかい?」
問われたライルはこの形容しがたい感情をどう説明すれば良いのかわからずに押し黙る。
すると、そんな彼を見て村長は何かを察したのか優しく笑った。
「まあ今日はあまりスティナちゃんと遊べなかったからね」
何の突拍子もなく、スティナという名前が出てきたことに勢いよく顔を上げた彼は何故そこで彼女の名前が出てくるのかを村長に問いかける。
すると、村長はキョトンとした顔でライルに「だって君はスティナちゃんのことが大好きじゃないか」と言った。
「今日はあのリンくんとかいう男の子にスティナちゃんを独り占めされちゃったからそれでヤキモチを妬いてしまったのかと思ったんだけど、違ったかな?」
穏やかな顔でそう問われたライルは混乱しながら考える。
·····俺が、スティナのことを好き?ヤキモチを妬く?
この、俺が?あの少女のことを?
頭の中は考えなければいけないことで一杯だったが、返事をしない訳にもいかないため、ひとまず村長に「そうかもしれない」と返答をすると適当に理由を告げ、その場を離れた。
そしてその日の夜。
ライルはよく考えた。
自分のこのよく分からない感情について。
恋という感情については本で読んだから知っている。
ただ一人の人間を大切に思う感情。
愛おしく思う感情のことだ。
ライルは目を瞑り、スティナのことを思い浮かべる。
いつでも彼の傍にいる少女のことを。
可愛らしい、と思う。
泣いて欲しくない、幸せになって欲しいとも思う。
·····そして失いたくないと、強く思う。
彼女の隣に誰か自分以外の人が立っていることを想像するだけで思考が黒く染まる。
今日だって、あの男が憎くて仕方がなかった。
そこは、俺の場所なのにと、思った。
だから、つまりは、認めるしかないのだろう。
俺はどうやらあの少女に、恋をしているのだと。
まさか自分がこんな感情を持つなんて、本を読んだ時は思いもしなかった。
自分は人間と言うには、あまりに様々なものが欠けているから。
でも。
自覚してしまった以上、もう逃してあげられそうにない。
そして、この日から彼がスティナを手に入れるための計画は始まったのだった。




