十ノ七、騎士団長
セルピコは、歳枯れながらも重厚さの残る声で言う。
「ドロワをサドル・ムレス都市連合の敵だと錯覚させることが奴らの狙いじゃろう。そしてそれを望む者は、都市連合内部にも少なくはない」
カミュは向き直って一礼し、ジグラッドも椅子から立ち上がった。
「コルネス団長殿」
セルピコは、カミュを半ば無視してジグラッドの前に立った。
「我々の心配をなさるのもいいが、御自分の騎士団の安全を確実にした方が宜しかろう」
「……うむ?」
ジグラッドは、何事かと眉を潜める。
セルピコは歯に布着せず、言う。
「昨日の月魔の騒動、黒幕はファーナム騎士だと街中で噂が広まっておりますぞ」
「なんと」
この場合、第四騎士団だとか第三騎士団だとかいう問題は別のことだ。
カミュがまた口を挟んだ。
「セルピコ殿! その件に関しては昨日結論付いたように――」
「これはその件とは関係なく流言……市民の感情的な憶測じゃよ」
セルピコは、カミュに言葉を継がせず、言い放った。
「それに……残念ながら、月魔の剣はあと三振り見つかったが、全てファーナムの刻印があった」
ジグラッドは無言のままでいる。
こんな時、貫禄のあるジグラッドの演出は、他者に冷静沈着な印象を与える。
「やれやれ、また一つ厄介事のせいで休んでおれんわ」
ジグラッドは昨日からの疲れもあって、肩を回しつつ言う。
「ではファーナム騎士団は尻尾を巻いて退散するとしようかのう。例の『他市の騎士団は即刻撤収』の条件にもあるしの」
カミュは気の毒そうな表情を浮かべてジグラッドを見た。
カミュは厳正中立というより、人が好いだけである。
白騎士団には良家名家の子息の多く、ヘイスティングのような面倒を起こしがちな若者も多いが、それを纏めているのはカミュの温厚な、悪く言えば押しの弱い性格のためともいえる。
カミュは他人に敵意を抱かれることが少なく、セルピコとの衝突はストレスというより、むしろストレス解消の範疇になる。
セルピコは言う。
「都市連合がどう出ようと、約定通りにドロワは動いてしまってるのじゃ。腹を括るしかあるまいて」
今度はカミュも大人しく首を縦に振った。
ジグラッドが横から口を挟んだ。
「だから、儂らがどこまで止められるかが問われるのじゃろう?」
似たタイプのジグラッドとセルピコは頷き合ったが、カミュは少し遅れて首を傾げている。
ジグラッドがいつもの豪快な笑いを交えて、カミュに言う。
「儂らは聖殿騎士団。……お忘れかのぅ?」
そこへ。
その『カミュのストレスの一因となりそうな』、平素から面倒を起こしがちな若い騎士が姿を現した。
「白騎士団、ヘイスティング・ガレアン中隊長、参りました」
カミュがそれに応えて振り向き、あとの二人もそちらを注視した。
裂けた片袖の衣服と、白揃いの軍装には戦闘の跡が見えるがその表情には疲れた様子はない。張りのある声が室内に響いた。
「お呼びでしょうか、団長」
室内に各騎士団長が揃い踏みしているのを見て、ヘイスティングも多少の緊張を抑えてカミュに問うた。
警邏の交代時間を迎えたヘイスティングに、団長カミュは急な任務を与えた。曰く、アリステラ騎士団が一日遅れで出立するので、その道中を案内するようにと。
「アリステラ?」
「明日、とはもう今日のことではありませんか。今この状況で出立ですか」
それも数時間後のことである。
市民の不安を煽るのでは、とヘイスティングは不平を篭めた声音で言ったが、カミュはそれを聞き流した。
「元々昨日出立するはずだったのだ。こちらの都合で成されなかっただけのこと。……なに、夜が明ければ市民も落ち着こう」
「しかし……」
ヘイスティングは尚も口を尖らせたが、逆らうでもなく従った。
「中隊の中から選抜して三小隊を編成。……団長のバスク=カッド殿とは面識があるな?」
「は。その点は支障ありません。が…」
「では、行け」
「……」
ヘイスティングはカミュ、そしてあとの二人の団長に敬礼を残し、退室した。
足音が遠くなるのを聞きながら、ジグラッドがぼそりと口にする。
「カミュ殿の人選か?」
カミュはジグラッドに向き直って、答える。
「ああ見えて、次期団長の候補です。特に剣の腕は大したものですよ」
カミュ自身が若いのでかなり先の話になるだろうが、今のところ有望株の一人である。
「確かに、騎士団向きの性格じゃが……」
セルピコは顎鬚を撫でつつ、視線を二人に戻す。
セルピコは、この白騎士団中隊長の名を記憶に留めている。定期的に行われる武術大会などで何度か会っているし、ヘイスティングの剣の家庭教師とは顔見知りでもあった。
セルピコも、この若い剣士の覇気には一目置いていた。
「それだけに白騎士団には向かんじゃろう」
「……そこなんですよね。」
カミュは嘆息交じりに、セルピコの見立てに同意した。
夜が明けた。
特にドロワ市民にとっては長い長い一夜に感じた。
幸いにしてこの夜は新たな月魔は現れなかったが、その裏で密かに魔が侵食してきているとは露知らず、人々は災難が去ったことを喜び合っていた。
イシュマイルは、寄宿舎のいつもの部屋で目を覚ました。
夕べ、バーツと共に寄宿舎に戻ってきた後、バーツは遊撃隊の仕事に戻り、イシュマイルは床についた。イシュマイルが目覚めた頃には、街の人々はとっくに起き出していて日の光を浴びていた。
イシュマイルはベットの上に座り込んだまま、考えている。
(誰かと用があったような……?)
遠くで、誰かに呼ばれているような朝。
夢の中でのことなのか、現実に誰かに会うつもりだったのか、意識がはっきりとしない。
(なんだろう……ドロワに来てから、こんなことがよくあるなぁ)
寝坊をするのは、これで三度目になる。
イシュマイルはとりあえず着替えると、部屋から出てホールに向かう。
ホールには寄宿舎の者以外ほとんど人が見当たらず、特にアリステラ騎士団はもぬけの殻だった。
「しまった、昨日だったんだ」
イシュマイルは思い出した。
本来ならば昨日、アリステラ騎士団はドロワを出立している予定だった。街はその壮行会を待ちわびて賑わっていたはずだ。
一夜明けてようやく街が落ち着いている今、アリステラ騎士団はドロワを出たのかも知れない。
イシュマイルはホールをあとに、走って街中へと向かった。その時にはもう朝の不思議な感覚のことは忘れている。