十ノ二、掟
イシュマイルには深刻な問題でも、アイスにはそうでもない。
気軽に会話を進めた。
「女王っていってもそんなに肩肘張ったものじゃないわよ、みんなにフィリア姫って呼ばれてるわ」
ガーディアンの常で若く見える容姿からそう呼称されているが、その在位は五十年以上に渡る。
「ガーディアン……ですよね?」
「そうよ。特例のガーディアンよ」
バーツが横から説明する。
「つまりよ、ガーディアンになったはいいが、ラパン王朝にはもう王位継承者がいねぇ。フィリア・ラパンは特別にガーディアンの義務を免除されてる代わりに、国に縛られてるのさ」
「……そう、なの?」
イシュマイルの声音に、若干の同情が入った。
「今回のこともあって、ちょっと心配なのよね。私はこうして各地を行き来できるけど、あの子は王宮に閉じこもりっ放しだから」
アイスは勝手に話を進めている。
こういった取り留めのない話を続けるところもアイスらしい。
「でも、だからよねぇ」
アイスは呑気な声で言う。
「あの子の男の趣味が今ひとつ良くないのは。幼少時の刷り込みってやつよねぇ、本当、レアムみたいなのに憧れる子って……」
言いかけて、アイスははっと気付いて、口を閉ざした。
「……ごめんね、今のは聞かなかったことに」
バーツはまるで興味がないのか、鼻で笑って聞き流した。
イシュマイルはというとあまりわかっていないらしく、アイスの顔を見ている。
アイスはそれを誤解したのか、イシュマイルの肩にそっと手を置いて励ました。
「ねぇ、レアムの件はもう暫く我慢なさいね。彼にも考えがあってのことなのよ」
「う、うん……」
バーツはその様子を見ている。
アイスは少し休んだだけで、すぐに立ち上がった。
「あ? もう行くのか?」
バーツはアイスの淹れた飲み物を、まだ半分も飲んでいない。
「えぇ。教え子たちを置いてきたままだし早く戻ってあげないと……うちは女の子ばかりなの」
イシュマイルは、それならばアイスを送り届けようと申し出た。
が。
「あら、必要ないわよ。ガーディアンが三人連れ立って歩いてちゃ、戦力の無駄でしょう」
「でも」とイシュマイル。
「俺も数に入るのかよ」とバーツ。
「いいから。君は休みなさい」
アイスはもう一度断った。
「……うん」
それまで食い下がっていたイシュマイルが、不思議なほど素直に頷いた。アイスはそれを見て片手を挙げると、先に歩き出した。
「じゃあね」
イシュマイルはそれに答えて手を振り、その場から見送っている。
「……」
パーツは今度も二人の様子をじっと見ていた。
「……なぁ、イシュマイル」
アイスが立ち去ると、バーツはいつになく遠慮がちに口を挟んだ。
「うん?」
イシュマイルは、バーツの視線など気付かなかったように振り返る。
バーツはやや言い濁して言う。
「お前、意外と趣味が……いや、年上好みもいいけどよ」
「?」
バーツは言いあぐねた。
「……余計な世話とは思うが一応言っとくぜ。ガーディアンに恋愛、結婚の類は掟破りだからな」
「え?」
イシュマイルはバーツの言わんとすることがわからないようだ。
バーツは面倒そうに手短に続けた。
「一線引いとくのが身のためだ。いろんな意味でな」
バーツはまだ何か言いたげではあったが、イシュマイルはただ頷いた。
バーツは、苦手な話題を若干変えようとしてか、声を落として言う。
「そのうちお前の耳にも入るだろうから言っとくけど……ハロルドが破ったのも、その掟だ」
「ハロルドさんって……えぇ?」
バーツは、聞き返したイシュマイルに同じ言葉を繰り返す代わりに、手振りで肯定した。
「ロナウズの奴は言わないだろうけどな」
「……うん。初めて聞いた」
イシュマイルは暫し考えていたか、不意に口にした。
「でも、バーツ。それが戒めの一つにあるっていうのは……そういうことがよくあるってことでしょ?」
イシュマイルの生意気な問い方に、バーツも唖然として顔を見る。
「そりゃあ、な」
イシュマイルは、老婆に聞いたギムトロスの話を思い出していた。
「なんだか、『いびつ』だね」
タナトスの言葉を借りて、イシュマイルは言う。
「いびつ、か……たしかにな」
バーツもその言葉には同感だった。
「不老長寿っていうが、実際にはいいことはないぜ。任務の為にいつ命を落すか知れねぇしな」
「……うん」
「第一、本人よりも周りが悲劇だ。ガーディアンが、以前の家族知人と関わりを絶て、と言われるのも道理だな」
「……」
イシュマイルは、家族という言葉にふと何かを思い出し、返事をしなかった。
バーツは付け足して言う。
「擁護するわけじゃないが……俺はハロルドは嵌められたと思ってる。あの人がそこまで自制心のない人だとは思えねぇからな」
バーツは、その言い方からしてもハロルドには思い入れがあるらしい。
「ねぇ、バーツ」
「ハロルドさんが亡くなったのって……まさかその掟と関係あるの?」
「ん?」
「まさか、その……死罪とか」
バーツは少し考えて、低く言う。
「それは、俺にもわからねぇ」
「正直のところハロルドの一件で皆の口が重いのは……ハロルドの過失よりも、それを封印しようっていう圧力の方だろうと思ってる」
「圧力って……なんの? 誰かの?」
バーツはここでもまた言い濁した。
「その…察しろよ、俺が言いにくいことだよ」
ガーディアンの俺が、と言外にバーツは含む。
イシュマイルはようやく理解した。
(エルシオン……?)
イシュマイルの脳裏に、その言葉が浮かんだ。