九ノ十、偽りごと
老婆の使い回された話題は、イシュマイルにとっては新鮮で衝撃的なものだった。
「レアムに……姉妹?」
イシュマイルの呟きを、老婆は不審気に問い返す。
「あんた、レアム・レアドの旧知なんだろ? あんたが知らないわけないだろうよ」
イシュマイルは慌てて取り繕った。
「直接会ってもいない人ことは言えないよ。百年も前でしょ? それに――」
「それに……」
イシュマイルはふっと溜息をつく。
「旧知っていうほど、色々知ってるわけじゃない」
老婆に対する防衛線として言った言葉は、今のイシュマイルの本音でもある。
四六時中一緒にいたわけでもないし、レムには隠し事が多かった。イシュの方もあえて尋ねる勇気が出ず、気付かないフリで過ごしていた。
穏やかで静かな日々というカーテンのかかった、窓越しの景色のような過去がある。偽りの風景ではないのだが、そこには外の風の冷たさは感じられない。
「ふぅん?」
老婆はなおも興味があり気だ。
「じゃあ、こんどはあんたの番だ。何かうまい話でもあるかい?」
「……」
老婆が興味ありそうな話は、イシュマイルにはたくさんある。
頭の中でいくつもの話題を整理してみたが、古い話は山ほど浮かぶものの、そのどれもが人に話すことではないと感じた。
また老婆が今欲しがってるであろうドロワでの話は、突飛過ぎて話題にならない。
(とりあえず、シオンさんの一件からは引き離さないといけないよな……)
イシュマイルは考え込んだあと、こういった。
「これも情報っていうのかな。ノア族の女の人が使う、野山の化粧薬なんだけど」
イシュマイルが口にしたのは、女性が肌の手入れに使う軟膏などのレシピの話
だ。老婆はすぐに返事はしなかったが、目の色を変えた。
「ドロワにも同じ植物が採れるみたいだから、作れるんじゃない?」
「………坊や。それ、あんたが知ってるのかい?」
「うん。いつも材料を採ってたのは僕だし」
ロロラトはじめ、ノア族の大人の女性たちに囲まれて育ったイシュマイルならではの知識だ。
幼少より同年の子供らと触れ合うことが少なく、大人ばかりを相手にしてきたイシュマイルにはちゃっかりした一面がある。年の割りに甘えた口調が抜けないのはそのためだが、相手によって使い分ける器用さもある。
イシュマイルは、老婆の関心を引く事柄も見透かしていた。
適合者としての精神感応能力は、こんなところにも発揮されているらしい。老婆も、情報屋としてだけでなく自分も興味をそそられてか、しきりに首を縦に振った。
老婆がイシュマイルに、取って置きの情報を聞き込んでいた頃。
もっと人の話題をさらうであろうシオンは、評議会へと赴いていた。
人波の中を進むシオンに、街の人々は誰一人として気付かなかった。シオンだとわかれば、たちまちに取り囲まれてしまうだろうが、聖殿を歩いている時からシオンは周囲の誰にも気付かれずに、正面扉から出て行った。
シオンはあらかじめ身を隠す術を施して、仮設司令室を出ている。
その姿はすれ違う人の目には、特に気にも留めない者――例えば聖殿にあっては仕事中の事務官だとか、街中では見知らぬ市民などに映っていた。
あとになって祭祀官の中にはシオンが外出していたことすら気付かなかった者もいたほどだ。
評議会の議場は、ドロワ城内にある。
城へと続く内門前には、アリステラ騎士団が張り付いていたが、シオンは彼らを相手にせず、市民に紛れて門をくぐろうとした。
居並ぶアラステラ騎士団の中に、ロナウズの姿があった。
ロナウズはシオンの正体を見極め、一瞬その視線をシオンに貼り付けたが、すぐに何も言わずに他所を向いた。
シオンも横目にロナウズを見ながら内門をくぐった。
(バスク=カッド……ハロルドの弟か)
術の看破は、ガーディアン適合者としての能力の一つだ。ロナウズがここに張り付いているなら、城内への侵入者の心配は要らないだろう。
ロナウズにこの役目を任せたのは、当のシオンだ。
(似ているな……)
シオンは素朴な感想を抱く。
先ほど聖殿で顔を会わせた時にも思ったが、陽の下ではさらにハロルドを思い起こさせる。ハロルドの白く抜けたような髪色を思い出し、そこから古い記憶が蘇る。
ハロルドは華やかに現れた男ではあったが、毒も棘も無かった。
穏やかで、絵に描いたような優秀な適合者であり、当時のシオンはあまり興味をそそられなかったものだ。
今のロナウズは、すでにハロルドの死亡時の年齢を超えている。
(レアムがこの男を見たら……どう反応するか)
シオンは見た目に似合わぬ、底意地の悪い想像を巡らせた。
演習場跡に来ると、シオンは一人列から抜けて評議場へと向かった。
誰にも止められることなく玄関ホールまで辿り着き、そこで初めて術を解く。途端にその存在に気付いた役員に捉まった。
シオンは、外では穏やかな祭祀官の姿を取り繕っている。
集まった評議員たちに条件を受け入れる旨伝え、同時に今しばらく聖殿への出入りを許可するよう、嘆願した。
聖殿の業務を滞らせないためだ。
そのあと、ドロワ城主をも訪ねた。
この時はまだ、ドロワ城内の演習場跡には多数の市民らが避難したままになっていたが、シオンは彼らに姿を見られることなく用向きを終えた。
城主の側付きの者が、帰る間際のシオンを引き止めた。
そしてバーツに『ガーディアンとして』、城主を訪ねるよう伝えて欲しいと依頼した。
(バーツに?)
何故自分を通さず、バーツのみに絞るのか。
シオンは、背後にファーナムの気配を感じた。
感付きはしたが、それ以上の干渉はしなかった。バーツにそれは伝えるとして、とりあえずシオンはまた聖殿へと戻ることにする。
この頃には、もう陽が傾いていた。