一ノ八、外の世界
ギムトロスは、イシュマイルのいるレンジャー小屋に着くなりその扉を数度叩いた。元々体格も良く、年の割りに力もあるギムトロスはこういう時にやたらと大きな音を立てる。
「起きてるか? イシュマイル!」
そして返事を待たぬまま、扉を開けた。
「……起きてるよ」
イシュマイルはちょうど上着を羽織ろうとしているところだった。
「なに?」
ギムトロスがいつになく神妙な顔をしているのに気付く。
「急な用が入った。すぐに出かけられる用意をしろ」
「何処へ?」
「例のバーツたちを森の外まで案内する。そして、その足でドロワまで行くのだ」
「ドロワ?」
ギムトロスは話しながら椅子に腰を下ろし、イシュマイルにも座るように手で示した。
「長旅になるかもしれん。きちんとしてゆけ」
「それは、どういう……」
「レムが生きていた」
イシュマイルは、弾かれたように動きを止めた。
ギムトロスは構わずに続ける。
「だが、すぐに会える状態ではない」
イシュマイルは、羽織ろうとしていた上着を床に取り落としてしまった。夕べの話し合いに参加していないイシュマイルには、何もかもが唐突な話しだ。
混乱した頭のまま傍らのベッドに座りこむ。
「……」
そして全くわからない、という様子で、イシュマイルは首を振る。
ギムトロスが説明する。
「今、この国サドル・ムレスは東のノルド・ブロス帝国と戦争状態に突入しつつあるらしいのだ」
「……東?」
バーツたちのファーレムも、このノア族の村サドル・ノアも、広大な『サドル・ムレス都市連合』という国の一部分である。
サドルとは漠然と南方を指す言葉でもあり、サドル・ムレスは大陸の西側から南側を広く占めるタイレス族の土地だ。
東の『ノルド・ブロス帝国』とはかねてから折り合いが悪かったのだが、両国の間にあったのが、レミオールという小さな国であった。
「聖レミオール市国といってな、俺たちノア族にとっても聖地だ。小さい街だが永らく中立国として信仰の中心でもあった」
それが半年前、突如としてノルド・ブロス帝国の制圧下に置かれてしまった。
隣国であるサドル・ムレスは当然これを不服として、レミオール解放のため、軍を派遣したのだという。
「レムは……どうやらノルド・ブロス帝国側にいるらしくてな。事情は一切わからないが、奴がこの二年間なんの連絡も寄越せなかったのは、その為だろうと俺は思う」
もともとニ国間の国交が薄く、サドル・ノア村は隠れ里同然であったため、その仔細が互いに伝わらなかったのだろう――そうギムトロスは説明した。
「……」
イシュマイルは理解していないのか、呆然を聞いているだけだった。
ギムトロスは力強い声でイシュマイルに言う。
「俺は機を見計らって村の外に出ることにした。誰かが村と外の世界とのパイプ役をしなければならない。お前も一足先にドロワに行き、レムのこと、そして世界のことを知るのだ」
「ギムトロス……?」
「イシュマイル。俺はバーツ殿を信用している。ファーナムの軍人たちがお前をどう扱うかはなんとも言えないが、少なくとも彼ら遊撃隊は別だ。……俺のカンだがな」
「村の、みんなは……?」
「ここはもう安全な隠れ場所ではないのだよ。いずれここにも戦火が及ぶかも知れない。誰かが、村を守るのだ」
「レムみたいに?」
ギムトロスは言葉に詰まった。
一呼吸考えたあと、こくりと頷いて見せる。
「そうだ」
「レムは、何故よその国に行ってしまったんだろう?」
イシュマイルは、まだ呆然とした声だった。
「わからんな……バーツたちにも、その件はわからないらしいのだ」
ギムトロスは続ける。
「お前は、レムという人間について、他人とは違う接点を持っている。彼らに理解できないことも、お前ならわかるかもしれない」
「バーツたちに協力しろって?」
「それは」
ギムトロスはきっぱりと言う。
「自分で判断するのだ」
「難しい判断かも知れないが、常に冷静であり、中立であること。それが森の番人の役目」
「――俺たちの役割だ」
繰り返して言うギムトロスに、イシュマイルはただ頷いた。
そしてつぶやく。
「今朝……レムの夢を見たよ。レムは昔から、僕が武器に触れたり、戦ったりするのを嫌ったよね」
「……あぁ」
「ギムトロスは、レムを過保護だと言ってたけど、結局僕をレンジャーにするよう説得したのも、ギムトロスだった……」
「あぁ……そうだったな」
「ギムトロス、本当はレムを後継者にしたかったんでしょ?」
ギムトロスは小さく噴出した。
「あぁ、その通りだ」
裏表のないギムトロスの返事に、イシュマイルもようやく笑みを浮かべた。
「レムと比べて、僕はどんな弟子?」
ギムトロスは真顔になって応える。
「まだ、なんともいえんな」
「何故」
「お前とレムを比較したことがないからだ」
「……」
「僕は」
イシュマイルは窓の外に視線を流す。
「レムと会った時に、冷静でいられるのかな」
「さぁなぁ……」
窓から見える空は、いつもどおり青く澄んでいる。