九ノ八、レヒト
「素質はあるのだから……ガーディアンに成ればいい」
レアム・レアドの言葉に、ライオネルは大袈裟に言い返した。
「そして私一人で敵対するガーディアンの群れに突っ込めと? 第一、あのシオンの修行を受け直すくらいなら、侵略戦争でもやる方がマシだね」
「……困った話しだ」
レアムも僅かに笑みを浮かべる。
ライオネルの屈託のない口調に、多少引き摺られているようだ。
「本気でイーステンを狙っているようには、とても見えない」
「さぁなぁ」
ライオネルも口元に笑みを浮かべ、そしてそれをすぐに収めた。
急に真顔になって、言う。
「まぁ、イーステンはともかく……レミオール大聖殿やオペレーターたちまで抑える必要が本当にあるものだろうかな。南部領土を掠め盗るだけで十分じゃないか? 無用な手出しは怒りを買うだけだと思うがな」
ライオネルは僅かに本音を覗かせたが、レアムはそれには触れなかった。
「ことのついでにドロワを落とそうという男の発言とは思えないな」
「その方が、楽だろ? 進んでレミオールの盾になってくれる連中だし、私は予てから興味のあったイーステンを手に出来る」
「……不真面目な前線指揮官だな」
「大聖殿守備隊長だ」
ライオネルは聞き逃さず、すかさず訂正した。
「サドル・ムレスとレミオールの癒着を絶つ。これが我々の共通の目的のはずだ。過度の干渉はノルド・ブロスのためにならんと私は思うね」
「……欲のない男だ。さぞ軍団長たちは苛ついているだろうな」
「不出来な弟で結構」
ライオネルは皮肉めいて言う。
「こう見えても私もノルド・ノア族。兄上たちとは野心の出所が違うのさ」
「ノア族か……」
レアムの目には、窓の外の湿潤な大気に滲んだレミオールの景色が映っている。見慣れた景色は、過去と今の時系列まで溶かし込んでしまう。
「百年前にも、同じことがあった……」
レアム・レアドは独り言のように低く呟く。
「民もろとも、一国の都が消滅えたのだ。忘れはしない」
ライオネルも、このようなレアムの姿は幾度となく見てきた。
「……レヒトの大災厄、か」
ライオネルらしくなく、相手の記憶に同調した。
「お前の故郷だったな」
レアムは、後姿のまま俯いた。
「……あの時、躊躇わず遷都していれば――」
「歴史の『もし』か。お前には昨日のことなのかもな……」
――ドロワ聖殿内。
シオンはすでに評議会に向かっており、あとを任された騎士団長らは、その後も調整会議と軍団指揮を続けている。
イシュマイルはそっと部屋から出て、ドロワ聖殿の中を歩いていた。
今の聖殿内には居場所もなく、退屈なのもあって思い出したようにタナトスを捜している。
しかしタナトスの気配など、すでにどこにもない。
(もう外に出たのかな……?)
すれ違う人に尋ねようとして、どう訊けばいいのかイシュマイルにはわからなかった。外見の特徴を言えばいいだけのことなのに、何故かそれが無駄に思えた。
イシュマイルは、タナトスに対してレコーダーの時と似たような印象がある。向こうから意識して現れない限り、出てこない類の人種だ。
イシュマイルは逡巡しながら、最後にタナトスと分かれた裏口へと戻ってきた。
そして部屋に入るなり、ぎょっとして立ち止まる。
大きな木箱や樽の隙間に、いつぞやの情報屋の老婆が座っていた。
「おや、やっぱりここにいたね」
老婆は待ち構えていたように、イシュマイルを見て歯を出して笑う。
(もうシオンさんの件をかぎつけてきたのかな……)
イシュマイルは身構えた。今の状況で厄介な噂を振りまかれると、事態の収拾がつかなくなってしまいそうだ。
この老婆もまた、自分の都合で現れたり消えたりする類の人間だろう。
「……何してるの? ここで」
イシュマイルは自然体を装って、老婆に話しかけた。
「何って、避難さ」
老婆は空の小箱を椅子代わりに座り、その周りには洒落た鞄と広げた食べ物がある。
よく見ればその幾つかは、樽の中にあった保存食だ。
「……蔵のねずみじゃないんだから」
イシュマイルは、樽のフタを元に戻しながら言う。
老婆は硬い干し肉も平気でかじって上機嫌でいる。
「ここは外とは大違い。静かで過ごしやすいし、情報も集まるしね」
イシュマイルも付き合って傍らにしゃがみこむ。
「月魔のこと?」
「違うね、むしろそれを聞いてくる奴らから避難してるのさ」
イシュマイルは何のことか、と首を傾げる。
「いくらあたしが物知りだからって、どこに月魔がいてどこが安全か、なんてわからないさ。第一タダであれこれ聞いてくる連中ばかりさぁ、ね」
「ふぅん」
イシュマイルは手持ち無沙汰なのもあって、老婆の話しに付き合った。
「……ねぇ、あなたはどうしてそういう格好してるの?」
「どうって?」
イシュマイルは遠回しに、老婆の『老婆のふりをした格好』の意味を尋ねた。
この情報屋が年齢と身分を偽っていることは、イシュマイルにもわかっていた。
老婆は一瞬表情を固くしたが、すぐに降参したようだ。
「そりゃあ相手を騙すためさ」
「これはあたしの趣味でやってること。噂話なんてぇのはね、流した奴が一番嘘付きなんだよ」
「嘘の話なの?」
「それは相手の懐次第かね」
老婆は瓶に入った果実酒をラッパ呑みしながら話している。
「正しい情報が知りたい奴は、耳より目を養うことだね。あたしがやっているのは、皆を愉しませることさ。たとえば、今の旬の話題は……」
老婆はイシュマイルを指差した。
「サドル・ノア族のこと……特に、あんたと、レアムとの関係だよ」
「……っ」
イシュマイルは虚を付かれて、身じろいだ。




