九ノ一、条件
第一部 ドロワ
九、策謀
ドロワ市城門。
外門と内門を結ぶメインストリートはドロワ市を東西にわけ、二つの街の顔を作っている。だが旧市街にも新市街にも月魔が現れた今、ここには行き場の失った人々が無為に溢れかえっていた。
本当ならば今頃、ここでアリステラ騎士団の壮行式が行われていたはずだが、彼らは未だ帰還適わず内門前に居て、混乱する市民を前に我慢強く整列していた。
時折助けを求めてくる者や、恐慌から絡んでくる者などがいたが、概ね人々はより安全を求めて騎士団の近くでたむろしているだけだった。
団長のロナウズが持ち場を離れ、ドロワ聖殿に向かってしばらくのこと。
一台の竜馬車が、人込みを抜けて内門前へと現れた。
閉鎖中の外門すら無視して入城する特権を持つのは、ドロワ市を訪れた特使である。
特使は、内容の同じ三通の書簡を所持しており、ドロワ市評議会とドロワ城主、そしてドロワ聖殿への通過を求めた。
特使はドロワ城内に通され、残る一通の書簡は聖殿へ運ばれた。
以降、話の中心は、ドロワ聖殿へと移る。
ドロワ聖殿には司令塔でもある祭祀官ウォーラス・シオンのほか、現在ドロワ市に駐屯しているすべての騎士団の団長が揃っていた。
その場にいたのは、ドロワ拝殿の騎士団である、
――ドロワ聖殿第一騎士団(白騎士団)団長ツィーゼル・カミュ。
――ドロワ聖殿第ニ騎士団(黒騎士団)団長アストール・セルピコ。
街道警備の任務を得て赴任している、
――アリステラ聖殿騎士団長ロナウズ・バスク=カッド。
そして先日のドヴァン砦攻戦後、ドロワ市に駐留している、
――ファーナム聖殿騎士団第三騎士団長ジグラッド・コルネス。
それぞれの団長には補佐的な騎士が張り付いて逐一指示を各騎士団に運んでいる他、聖殿の関係者も参加しており、それなりの人数となっている。
今一人のガーディアン、アイス・ペルサンもすでに到着している。
また白騎士団のカミュ団長の傍らには、アーカンスとの合流後参じた白騎士団中隊長のヘイスティング・ガレアンがいた。
「ドヴァン砦から、特使だ」
ウォーラス・シオンは、努めて冷静な声でそう言った。
シオンは書簡を敢えて団長らの前で披露し、その内容を伝えた。
「ドヴァン砦守備隊長ライオネル・アルヘイトより、和平交渉の正式な書簡だ」
「……今さら?」
そう声に出したのは、アイス・ペルサンだ。
「すでに交渉は締結したのではなくて?」
シオンが首を横に振る。
「いや、先日の戦闘は終結したが、これは『サドル・ムレス都市連合による聖レミオール市国への武力介入に対して』のものだ。ライオネルはこれに調印しなければ、即刻ドロワ市への攻撃を開始すると警告している」
「……なっ!」
その場に居た一同がざわめいた。
「聖レミオール市国への……武力介入だと?」
「ドロワへの攻撃? ドヴァン砦からか?」
「では、レアム・レアドが……?」
今攻撃を受けたら、間違いなく街は壊滅する……誰もがそう思った。
口々に皆が騒ぐのを、シオンは一際声を張り上げて制した。
「条件は、先日の停戦時の和平条件に、あと一条加わるだけだ」
「条件……」
カミュ団長の横で聞いていたヘイスティングは、その言葉を繰り返した。
『ドロワ市はサドル・ムレス都市連合を脱退する』
『市内に駐屯している他都市の騎士団を即時撤収させる』
それが前回ドロワ評議会が取り決めたことだ。
これにあと一条、とは?
シオンは書簡を開き、皆に見せながら言う。
「ドロワ聖殿祭祀官長代理ウォーラス・シオンを解任し、彼の者を含む全ガーディアンをドロワ市外へ追放すること。……この一条だ」
先ほどのざわめきより、重い溜息が皆の口から零れた。
「……まあ。なんてこと……」
アイスもこれには驚きを隠せない。
「ウォーラス、受けるの?そんな条件」
「もとより」
シオンは短く答え、アイスに説明する。
「向こうの言い分はこうだ。ガーディアンたる私が、祭祀官という公職にあるべきでない、とね。……確かにそれを言われると、私もぐうの音も出ない」
横からロナウズ・バスク=カッドが口を挟んだ。
「しかし、貴方が居なければドロワ聖殿はどうなる? 立ち行かなくなるぞ」
「その点については」
シオンが書簡の一文を指差して答える。
「私と入れ替わりに、祭祀官長オルドラン・グース氏を必ず解放する、と」
周囲にいた祭祀官らからざわめきが起こる。
それは今度こそ本当のことなのか?
もしまた反古にされたら、ドロワ聖殿はその機能を失う。
「……ライオネルはドロワ市の消滅を望んでいるのではない。サドル・ムレス都市連合への盾として、ドロワ市を使う算段だろう」
シオンは書簡をテーブルに開いて置いた。
「そのためには私がとにかく邪魔なんだろう。そしてドロワ聖殿も正常でなければならない。それが出来るのはオルドラン氏だけだ」
「……なるほど」
無口なアストール・セルピコが深く納得したように呟いた。セルピコは先の戦闘で負傷し、今も一人椅子に腰掛けている。
「それで。どう致しますかな」
ずっと黙って聞いていたジグラッド・コルネスが口を開いた。ジグラッドは参加こそしているが、方針については門外漢としてただ成り行きを見ているしかない。
「最終的に決定を下すのはドロワ評議会だ。私たちに出来ることは、今この月魔の騒動を終息させること、それが最優先だ」
「……ですな」
ツィーゼル・カミュがぽつりと相槌を打ち、頷いた。