八ノ十、レコーダー
自らを『レコーダー』と名乗った男は、悠然と座って二人を見ている。
つば広い帽子を目深に被り、身に分厚いマントを羽織っている姿は、今では見かけない古い旅人のような装束だ。
髭を蓄えた顔には皺が深く、年齢が定かでない。高い鼻にノルド・ブロス風の眼鏡を引っ掛けている。
「レ、レコーダー……? まさか、本当にまだ存在してたなんて……」
タナトスが、ようやっとでそれだけを言った。
「……知ってるの?」
イシュマイルがそっと問う。
しかし返事はレコーダー本人が口にした。
「お前たちとは違う種類のガーディアンだと思えばいい」
「ガーディアン……あなたが?」
イシュマイルはこういった時、物怖じしない大胆な所がある。
レコーダー本人に面と向き直って訊いた。
「さっき屋根の上で僕を転ばせたのは、あなたですか?」
レコーダーは返事の代わりに、愉快そうな笑みを浮かべて肯定を示した。
「……そう。助けてくれて、ありがとう」
イシュマイルは淡白にそれだけ言った。
レコーダーはゆらりと右手を挙げて、問う。
「知りたくはないかね? 天地の理が」
「……何?」
睨むようにそう言ったのは、タナトスだ。
しかしレコーダーには相手の気分を察する、ということなどないらしい。滔々と話し出した。
「お前たちは、フォルマについてまるで知識がない。お前たちはこの大地をなんと呼ぶか知っているか? 生き物が死ぬと、どこに行くのか知っておるのか?」
イシュマイルはタナトスと違い、素直に聞き返す。
「どういうこと?」
レコーダーは挙げた右手で空を、そして地面を指差して言う。
「生き物が死ぬとどうなるか。肉体は土に返り、記憶は大地に吸収され、生命は循環する。そう、循環だよ。生命は単体ではなく、その大地を循環するのだよ。しかしながら」
「このブリオールには一つの特性がある。それは、生き物の記憶や生命素を結晶化するという特性だ。これは他の大陸にはない」
「ブリオール?」
「この大陸の名だよ。我々は『彼』を親しみを込めてそう呼んでいる。地の神ブリオールにあやかってのことだ」
「……」
タナトスは黙って聞いているのみだ。
イシュマイルは先を促すように「彼?」と繰り返した。
レコーダーは続ける。
「人族の祖先が暮らしていた大陸は、ガイアと呼ばれていた。彼らは生き物として、その地表にいる全ての生命と共に循環している。……見たまえ」
レコーダーは氷塊を指し示した。
「フォルマは日の光に晒されると少しずつ溶解していく……。これは生命が目覚めているのだよ。君たちが見ている、このはかない石柱こそが、生命が結晶化したものだ」
レコーダーは、歌うように言葉を繋ぐ。
「我々はこれを余剰生命素と呼んでいる」
それは、聞きなれない単語の泉のようだ。
イシュマイルは相変わらず話半分で聞きながらも、問いだけは返す。
「フォルマって何?」
「生き物の体の外にあって、なお力を保っていられる生命エネルギーのことだ」
「ガーディアンはそれを練成する技術を会得している。正しく練成されれば癒しの術となるが、淀めば魔素となって肉体を蝕む」
イシュマイルの表情が変わった。
「……じゃあ?」
「その通り。龍晶石と呼ぼうと、ジェムと呼ぼうと、生きた石、はたまた月魔石と呼ぼうとも……結局は同質のものなのだよ」
胸に落ちるように得心し、イシュマイルは今更ながら衝撃を受けていたが、タナトスは不機嫌そうに口を挟んだ。
「でも、それを使いこなせるのは一部のガーディアンだけだ」
「……然り。ガーディアンが英明なる王、厳霊の力を授かった故」
一呼吸おくと、レコーダーはなおも一人で話を進めた。
「今日は三十数年ぶりにして、千に一度の大収穫だ。これほど珍しい人材を一度に二人も見つけるとは」
「二人? 僕とイシュマイルのことかい?」
タナトスは、レコーダーに一歩詰め寄る。
「『記録する者』の異名を持つガーディアンがかつて居たことは知っている。でも、それがあんただと誰がわかる?」
「わかるさ」
「御伽噺じゃあるまいし……それじゃあまるで本物の不老不死だ、有り得ない!」
「ガーディアンがガーディアンの不死性を疑うのかね?」
レコーダーは今度はタナトスとイシュマイルを交互に指差した。
「誰よりも、お前たちが肌で感じているはずだ。私は誰の前にも現れるわけではない。私と直接出会い、言葉を交わすことが、すなわちお前たちが異才である証拠だ」
そしてレコーダーはタナトスを指差したまま、にやりと笑う。
「お前さんの先ほどからの苛立ち……わからぬ私ではない。見透かされるのがそんなに怖いかね? その迷いを」
「――っ」
「なぁに、いくつ偽りの顔を持とうとも、お前の真の心は一つ……。怯えることは恥ではない。それがお前の命を救ってきたのだからな」
「この私にわからないことがあるとするならば……お前がどちらを選ぶのか、その結果だ……いや、どちらという表現は正しくないな……お前の選択肢はお前一人のものではないからなぁ」
「……」
タナトスは無言のまま、数歩後ろに下がった。
その表情は強張っていながら、怒りも溜めていた。
「……お前のその迷いは、確かに大きな分かれ道だ。私もとても興味がある。そう、とてもとても、とても興味がある……どちらを選んでも後悔すると知りながら……人は必ず選択する。世界の震えを感じることが出来る者は、数少ない」
レコーダーは止めをくれるかのように残酷な言葉で予言する。
「お前は耐え難き二つの道から片方だけを選ぶだろう、その身を引き裂いてな……」
「……っ」
「三つだ……最初に選んだ選択の答えによって、それは変化する」
(意味が、わからない……)
イシュマイルもそれ以上の問いかけをやめた。
二人の様子から、それ以上踏み入るべきではないと感じた。
タナトスは口を噤み、レコーダーはもはや話をすることには満足したのかゆらりと立ち上がった。そして結晶を閉じ込めた氷塊を指差して言う。
「この石は私が貰おう。良い研究素材となろうからな」
「え? 貰うって、どうやっ……」
イシュマイルが言い終わらないうちに、不意に氷の塊はその場から消えた。
まさに、一瞬で見えなくなった。
タナトスは氷のあった位置と、レコーダーを交互に見る。
「……な、何をした? 今」
「何も。私の中にしまいこんだだけだ。私も風凍の術は嗜んでいるからね」
レコーダーはなおも愉快そうだ。
「お前たちは面白い。一人ずつでも面白いが、二人いると相互作用でもっと面白い」
そして付け足す。
「お前たちの行く末、それぞれの行く末。楽しみだ」
風が、広場を吹きぬけた。
イシュマイルはわずかに目を瞬かせた。そしてその瞬間にレコーダーの姿を見失った。
「あ……あれっ?」
イシュマイルはもう一度男のいた位置を見る。思えば、今日はこんなことが何度も起こった気がする。
もう一度探してみようと周囲を見回した。
「……無駄だよ」
タナトスが呟く。
「あれは、ああいう存在なんだ……風の矢みたいな奴さ」
イシュマイルは、タナトスに向き直る。
「知ってるの? あの人のこと」
「知るもんか」
タナトスはくるりと背を向けた。彼らしくなく、ひどく不機嫌だった。