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アモルファス  作者: 霧音
第一部 ドロワ
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一ノ七、イシュ

 ダルデはギムトロスを目で指し示して言う。

「イシュマイルは、今はこのギムトロスの弟子なのじゃ。おい、ギムトロス」

「……俺に異存はない」

 ギムトロスは、腕組みの格好のままバーツに視線を向けた。


「俺は、他の連中と違って村の外にも足を延ばすからな。多少外のことも知ってるつもりだった。だが現実はこんなものだ……俺はすぐ近くで生きていたレムのことすら知らなかった」

 そして自分に語るように、深く頷く。

「とりあえず、今はこれが最善だと思う」


 ギムトロスは続ける。

「今バーツ殿たちと手を組んでおかないと、他の連中が乗り込んでくる可能性がある……その時、そいつらが友好的とは限らない」


「……森で勝負をさせた時から、こうなる予感はしてたぜ。それに、いずれアイツはレムを追ってこの村を出て行くだろうと、覚悟もしていたしな」

 ギムトロスはバーツとアーカンスに、胸を張って言った。

「イシュマイルにとっては危険なことかも知れないが、ノアの戦士として一人前であると保障する」


「それに、イシュマイルならレムを殺さずに戦を避けられる気がするのだよ」

 バーツは、ギムトロスの顔を見上げた。

 ギムトロスは苦笑して続けた。

「自分の弟子を褒めるのは、性に合わんがな。ま、足りない部分はあんたが叩き直してやってくれ」


「あとは……」

 アーカンスが言う。

「当のイシュマイル君が納得するかどうか」

「するさ」

 短く答えたのは、バーツ。

「しますか?」

「あぁ」


「……たぶんな」

 付け足すように言うバーツの声音は、言葉とは裏腹に確信を持っていた。



 いつの間にか日は暮れていた。

 遊撃隊の隊員たちは小ぶりな小屋を仮の寝床に与えられて、数人ごとに分かれて休んだ。

 連れていた竜馬たちは、一列に括られて井戸の近くで丸くなっている。


 バーツとアーカンスは、一度は戻ってきて部下たちに指示を与えたが、その後またギムトロスらと共に広場の家屋へと戻っていた。

 夜遅くまで灯りがともっていて、彼らは何事かずっと話し合っているようだった。


 イシュマイルは、村の外れにあるレンジャー小屋で一人時間を持て余していた。ギムトロスは戻ってこない。


 何より久しく聞かなかったレムの名前を聞いて、少なからず動揺していた。

 イシュマイルにとって、レムというのはただ一人の家族だった。

 様々なことを思い出すも、そのどれもが取りとめもなく、いつの間にか夢か現かわからなくなってきた。

 そして、いつの間にか寝入ってしまっていた。


 イシュマイルは、象徴的な夢を幾つも見る。

 イシュマイル自身はそれと自覚していなかったが、特殊な夢を見るということがイシュマイルの能力の一つでもあった。


 夢の中で、イシュマイルは幼い子供に戻っていた。

 この頃、イシュマイルはまだ『イシュ』と呼ばれていた。


 名前の意味はわからなかったが、レムがそう呼んでいたから、そのまま名前として定着したのだという。

 イシュもまた、レアム・レアドのことはレムと呼んでいた。


 いつの記憶なのか、レムがイシュに語っている。

「お前はここで静かに、平和に暮らすのだ」と。

「私や、お前の父のようにならぬよう……」


 レムの言葉は、幼いイシュにいくつもの疑問を残した。

 特に、レムが自分の父親ではないことに幼いイシュは衝撃を受けた。


 では自分は何者なのか。

 何故、自分とレムだけが、他の人と少し違っているのか。

「私たちは、遠くから来たからだ。とても遠い所から……」

 そう答える記憶の中のレムは、いつも後姿だった。


 イシュはその背に声をかける時、いつも少なからず勇気を振り絞った。

 名を呼ばれて振り向くだろうレムが、果たしていつも通りのレムなのか、幼いイシュには自信が持てなかったからだ。

 その背は時々酷く恐ろしくて、別の何者かのように見えた。


 それでも、イシュは声をかけるのが自分の役目だと思っていた。

 自分がそうしなければレムは戻って来なくなる――そんな思いが幼いイシュの心を占めていた。


 後姿のままのレムが、ゆっくり向こうへ歩いていく。

 幼いイシュの記憶にある、いつもの光景。

(早く追いつかなくては……)

 だが、その後ろ姿は炎に巻かれて、夢は別の記憶へと飛ぶ。


――二年前のあの夜。

 村人にとっても、悪夢のような数日の記憶。


 男が叫ぶ声がする。

「ここはもう駄目だ、森へ……森へ!」

 女たちが叫ぶ。

 子供の、そして夫や家族の名を。

 悲鳴とも叫びともつかない人々の声が、村を焼く炎の轟音に掻き消される。


 誰かが近くで叫んだ。

「レムはっ? レムがいないよ? どうしたんだい?」

「奴は……一人で、月魔に」

「一人で行かせたのかい? どうして!」

「仕方ないんだよ、やつは――」


(レムが? レムが、なんだって……?)

 夢の中のイシュは、まだ幼い子供の姿のままだ。


――視界が明るくなる。

 夜の闇や燃える炎の色が、不意に明るい日差しの色へと変わる。

 耳を苛んだ轟音は、いつしか滝を落ちる水のそれへと変わっていた。


 イシュはいつのまにか十三歳の少年の姿になり、滝壷の前に立っていた。


 手には水汲み用の桶を持っている。

 いつもの水汲みの用事のためにここにいるのを思い出す。夢の中で、イシュはその場に屈んで水を汲んだ。この滝は、聖域を守る水源の一つだ。

 あの悪夢の夜、皆がここに集まって、まんじりとしないまま朝を待った場所。


 つまり、ここにレムはいない。

 人々の生活は次第に落ち着きを取り戻す。新しい場所での生活を立て直すことに皆がまい進した。

 そして、皆がレムの話をしなくなった。まるで最初からそんな人はいなかったかのようだった。


 イシュは、揺れる水面を見つめながら一人、心に決めた。

 僕も、忘れたフリをしよう、と。

 皆に心配をかけないように。

 でも……。


 頬を涙が伝った。

 イシュは慌てて涙をぬぐう。


 この涙を止めないと。

 涙の跡が消えないと、皆のところに帰れない。



「――!」

 気付くと、いつものレンジャー小屋の、自分のベッドの上だった。


 いつの間に夜が明けたのか、辺りがすっかり明るくなっていて、イシュマイルは飛び起きた。そして、自分の頬が濡れている事に気付く。

「くそ……っ」

 乱暴に目尻を擦り、改めて回りを見回すが、ギムトロスの姿はない。


 寂しい反面、少しほっとしてイシュマイルはため息をつく。

 こういう姿は、師匠に見られたくないからだ。目が覚めてなお、胸が締め付けられるように痛くて、不快なまでに悲しい。


 久しぶりに、レムの夢をみた。

 何度繰り返しても慣れる事のない、嫌いな夢だ。だから夢の内容を反芻しないようにしていた。細部を思い出そうとすると、気分が沈むからだ。


 だがこの時、イシュマイルの脳裏を、ふっと何かが掠めた。

 この夢を見る時、必ずといっていいほどある場面を見るのだが、それが今日は見なかった気がする。


 幼かったイシュが「怖い」と感じた場所で、レムが「二度とここに来るな」と叱った場所だった。

(あれは……どこだっけ?)

 この一帯のどこかであることは確かなのだが、思い出せない。


 その時、小屋に続く道を、ギムトロスが歩いてくるのが窓越しに見えた。

 イシュマイルは慌ててもう一度顔を擦り、ベッドから立ち上がった。


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