八ノ五、生きた石
イシュマイルはもう一度下を覗きこんでみる。
光の透ける氷のような結晶は、その表面が鱗のように折り重なっている。
「龍人族は、あれを『龍晶石』って呼んでる。タイレス族はあれをジェム原石って言ってる。ジェムの主な産地はノルド・ブロス帝国と、ファーナムなんだよ」
予想外にファーナムの名前を聞き、イシュマイルは振り返った。
そして、別のことにも気が付く。
「……じゃあ、ファーナムにも魔石の加工技術があるってこと?」
「あぁ。ファーナムが『大都』たる所以だよ」
「ジェムの恩恵ってやつか」
「そういうことだね」
いつの間にか二人は互いの目を見て話をしている。
先程までの警戒心も恐怖も、どこかへ消え去ってしまっていた。
「……もしかして」
不意に、イシュマイルの脳裏で記憶の鍵が一つ開く。
「ノア族の伝承にある『生きた石』っていうのは、これのこと……?」
「生きた石?」
今度はタナトスが問う番だ。
「こういう言い伝えがあるんだ」
今度はイシュマイルが話しだす。
「聖なる山の土を掘り起こすな。そこには生きた石が埋っているから、と」
「聖地と言われる場所の土を掘り返すと、時折龍の鱗みたいな石が出ることがある。不幸にも掘り出してしまった時は、すぐに埋め戻してその場所を永遠に封印しろ……と。でも、どれほど丁寧に祀っても掘り起こした人に降り掛かる不幸は避けられない。地の神を怒らせてしまったからだ……」
聞いた場所が今ここでなければ、よくある寓話の類だと思っただろう。
「地の神……生きた石、か」
言葉を繰り返すタナトスのあとを、イシュマイルが話しを続ける。
「生きた石は、地の神の一部なんだって聞いたよ」
「そして言い伝えによれば、その生きた石は土の中で眠っているだけだ……って」
「眠っている?」
「生きた石は眠っているから……日光や外気に晒されると目覚めるんだって。だから、元いた暗い土の中に帰すのだ、と」
タナトスは、伝承と知識を裏打ちして考える。
「なるほど……生きた石というのが、ジェム原石の龍晶石と同じものだとして……光と空気で結晶が壊れるなら、それらから遮断するしかない……てことか」
「村では月魔石は聖なる泉に沈めてた。月魔を浄化する特別な泉なんだって」
「泉……水、か。土に戻すのと同じ理屈なのかな?……いやいや、そうじゃない、浄化の泉には何か仕掛けがあるんだ……」
タナトスは会話とも独り言ともつかない口調で話している。
イシュマイルは、もう一度月魔を見ようと、少し前に出た。
屋根のフチから下を覗いたイシュマイルは、不意に喉に違和感を覚え、両手で口を覆った。その様子をタナトスが気付き、イシュマイル掴むと力任せに後ろに下げた。
「言ったろ! タイレス族には毒だって!」
「……前に話したろう? 龍人族の街は縦に延びてて、地表にはない。それはあのガスから逃れる為でもあるんだよ」
イシュマイルはまだ口を覆ったまま、懲りたように何度も頷いた。
「原石たる結晶は、すごく脆いんだ。おまけに気化した魔素は人体にも悪影響を及ぼす。だからジェム鉱山は聖殿の厳しい管理下にあるんだ」
「聖殿……」
ふとイシュマイルの脳裏に、誰かから聞いた話がよぎる。
「……じゃ、ファーナムがレミオールに過度に干渉する理由って……」
「え?」
タナトスはまた首をかしげる。
タナトスの情報網はそこまでは達していないらしかった。
イシュマイルは話を元に戻した。
「じゃあ、月魔が鉱山から生まれるという話の真実は、鉱山に立ち込める魔素が原因だということだね」
「だふんね……」
タナトスは、異形の月魔を指差した。
「見な。あの月魔は魔素のガスで死んだというより、結晶そのものに取り込まれたようにも見える。だとしたら、魔力のオーバーフローが起こっているのかも」
「う、うん……」
(このままだと、この辺り一帯が鉱山と同じになってしまうかもしれない)
二人がそう口にするより先に、耳につんざくような鳴き声が辺りに響いた。
「今のっ?」
「向こうの塔だったな。悲鳴?」
「違う……今のは、動物だよ。たぶん、鳥!」
森のレンジャーであるイシュマイルが答える。かつて森の中で何度か聞いたことのある鳴き声だ。
二人の視線の先に、古びた石造りの物見の塔が見える。
「鳥……もしかして」
タナトスは悪い予感を覚えた。
イシュマイルの方を見て、言い重ねる。
「いいかい。今、月魔に近付いては駄目だ。タイレス族には危険だ。でも龍人族の僕なら多少の耐性があるはずだ」
「ここで待ってるんだ」
「えっ?」
イシュマイルが訊き返すより先に、タナトスは再び術で屋根の上を飛んだ。
目指すのは視線の先にある、物見塔だ。
――一方、その頃。
新市街で、新手の月魔と対峙していたヘイスティングたちドロワの白騎士団は、ようやくそれを仕留めるに至っていた。
月魔はついにその場に崩れ落ち、灰になる。
しかし奇妙なあの結晶だけは形を留め、なおも気化し続けているのか、異様なモヤが周囲に立ちこめる。
この通りは新市街でも特に小高い位置にあり、貴族の邸宅が並び山々の景色の見渡せる美しい場所だ。
そこが今、複数の屋敷や庭園に破壊の痕を残し、異様なガスの立ち込める恐ろしい場所と化していた。
ヘイスティングはなおもマスクで口元を覆い、この事態に思案する。
「中隊長殿……」
傍らの部下が、口惜しさを滲ませて言う。
「ここまでです、対処のしようがありませんぞ」
「……致し方ない」
ヘイスティングは努めて冷静であろうとした。
周囲の部下たちに号令する。
「この場を封鎖する。この区画への出入りを禁じ、残留している市民の救助と誘導にかかれ」
そして「急げ!」と声を張り上げた。